外国文化を学ぶ時に必要なもの 【『福翁自伝』に学ぶ】
福澤諭吉は、日本を「西洋流の文明富強国」にしようと考え、そのための教育方針として、二つの項目をあげています。
それは「数理」と「独立」です。
西洋の数理学と独立心が当時の日本に必要なものと考え、「漢学は敵である」と言っていた福澤の教養は、漢学に土台がありました。
・人生は至尊至霊なものである。
・不仁不義なることをやってはいけない。
・不品行で卑しいことをやってはいけない。
・一身を高尚至極なものにせよ。
どの言葉にも、脈々と儒教精神が流れていることがわかります。
福澤は、「漢学を知っていても知らないふりをしているだけだ」と同書の中で、何度も言っています。
ここが、単なる西洋かぶれの人物と違う点です。
「慶應義塾を西洋文明の案内者にし」「日本に洋学を盛んにして、如何にかして西洋流の文明富強国にしたい」という情熱をもって、「数理」と「独立」という二つの教育方針を掲げていた福澤が、その教養の土台となる部分を漢学に負っていたことは、決して見逃してはならない重要なポイントです。
福澤の情熱が、その後、何人もの傑出した人物を生み出すきっかけとなりました。
ノーベル物理学賞を日本で初めて受賞した湯川秀樹さんも、その一人といえるかもしれません。
湯川さんは、学歴などをみても、慶應義塾とは直接関係はありませんが、子供の頃、祖父から四書五経の素読を毎日訓練されていたそうです。
湯川さんの祖父は、小川駒橘という漢学の素養がある明治期の官吏であり、実業家でもありました。
彼は、慶應義塾で福澤諭吉の教えを受けた人物で、慶應義塾の教壇に立った経験もあるそうです。
明治以後は洋学を学び、その晩年まで「ロンドン・タイムズ」の購読をしていたそうですが、教養のベースに漢学があったことは、福澤の場合と同じです。
湯川秀樹さんが、中国の古典から中間子論のヒントを得たことは有名な話ですが、当時の物理学の最先端であった量子力学のヒントが、四書五経を中心とした漢学にあったところが非常に興味深い部分です。
日本を「西洋流の文明富強国」にしようと情熱を傾けた福澤諭吉。
福澤の教えを受け、洋学を学び、日本の近代化に貢献した小川駒橘。
祖父である駒橘から薫陶を受け、後にノーベル賞を受賞した湯川秀樹。
そこには、いつも「漢学の素養」が根底にありました。
このような西洋文化だけに留まらない教養の厚みこそが、今の外国語教育に欠落している部分のように思えて仕方ありません。
現代では、英語教育が盛んになっていることもあり、英語の読みをそのままカタカナ英語として、利用するケースが増えてきました。
そのため、会議などでも、多くのカタカナ英語が飛び交っています。
しかし、明治の頃は、西洋から来た言葉を積極的に翻訳し、日本語として定着させようとすることが盛んに行われていました。
特に学問や思想、政治経済や法律用語でそれは顕著でした。
元々、概念自体が日本に無かった言葉を輸入し、それを使っていく必要が生じたため、安易に言葉の読みをそのままカタカナに置き換えるのではなく、表意文字である漢字に置き換えることで、外来語が持つ意味をすぐにわかるようにしたのです。
「哲学」「常識」「理想」「人格」「権利」「義務」「社会」「国際」など多くの言葉が生まれ、今でも利用されています。
このような高度な作業をしていくためには、外来語の意味を正確に知ることと同じくらい、日本語や漢文の素養が必要であったことは間違いありません。
最近では、入試方法としてヒアリングやスピーキングの試験なども行われるようになっていることもあり、日常的に使う言葉を中心として、新聞や雑誌、海外ドラマに出てくるような単語や熟語ばかりを学習する傾向がありますが、それだけでは大学レベル以上の教養ある論文を読みこなし、書けるようになることは望めないでしょう。
福澤諭吉のような気概や情熱を持つことはなかなか難しいことですが、少なくとも、日本語や漢学の深い素養をもつ教育者となることを目指して、日々精進しています。
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