為政者が目指すべき政治とは 【『論語』『左伝』に学ぶ】
『論語』はとかく「仁の書」と思われがちです。
しかし、子細に読み込んでいくと、「仁」よりも「礼」の方に高い価値をおいていることがわかります。
為政者として民に尊敬されるかどうかが、まず問題となります。
知や仁の徳をもってしても、「荘」の徳が無ければ、民に侮られるだけです。
「荘」とは人格的な威厳、人としての重みのことです。
上の一文は、『左伝』に記されている鄭の名宰相=子産の遺言です。
民に寛大な政治というものは、有徳者であれば民も従い無事に行うことができるが、そうでないのであれば、厳しい政治をするのが最善の策であると言っています。
民に侮られるくらいならば恐れられる方がましである、と言いたかったのでしょう。
自分に自信のない為政者は、民に媚びて人気取りの政策をしがちです。
民はそのうち、わがまま放題となり、要求ばかりをし義務を怠ることから、乱が起きるようになります。
小心者の為政者は、みせかけの仁政で批判をかわそうとし、かえって侮られる結果となります。
「為せば成る、為さねば成らぬ、何事も、成らぬは人の為さぬなりけり」という言葉で有名な上杉鷹山は、改革を断行するために、反対する者を処刑することも厭わない厳しい政治を行いました。
為政者は常に孤独です。
人に頼っているようでは何もできません。
それ故に、昔の為政者たちは人に頼らず、独り学問と修養に励みました。
他人が見ていなくても天が見ていることを意識して、常に己れを律し、居住まいを正すことに努めました。
「己に克ちて、礼に復るを仁と為す」と『論語』の言葉にもあるように、このような気概性をもった人物だけが天下万民を救える真の天下人となれるのです。
「威」があっても「礼」が無ければ、単に民を威圧するだけの恐怖政治となってしまいます。
威厳がありながらも、そこに弱者への労りを施す恵政が必要となるのです。
「礼を以て行う」善政を為すことは、大変に難しい道のりと言えるでしょう。
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