「福翁自伝」を読む② 「何のための学問か」 【慶應義塾中等部対策】

江戸では学問が金になる。或いは立身出世の手段になる。大阪では全くその機会がない。したがって学問をするものは、ただ学問のために学問をする。これがかえって大阪の学問のために幸いしたというのである。福澤はそれを例の活き活きした語調を以って語っている。

小泉信三著『読書論』岩波新書P.13

これは「福翁自伝」にある「大阪書生の特色」(「新訂 福翁自伝」岩波文庫P.91~92)の小泉信三による要約です。

当時の江戸では、外国語(主にオランダ語)の本を翻訳することで、簡単に大金が手に入ったそうです。
「昨日までの書生が、今日は何百石の侍になった」と記されていますから、今で例えれば、貧しい学生が会社の経営者や起業家になるようなものでしょう。
ところが、「大阪ではそんなことは全くない」と福澤は言っています。

緒方の書生が幾年勉強して何ほどエライ学者になっても、とんと実際の仕事に縁がない。すなわち衣食に縁がない。縁がないから縁を求めるということにも思いも寄らぬので、しからば何のために苦学するかといえば一寸ちょいと説明はない。

「新訂 福翁自伝」岩波文庫P.42

孔子の時代から、「就職のために学問をするのか」「何の目的もなく、ただ学問のために学問をするのか」学問のあり方は二つに分かれていました。
「論語」憲問篇にも、次のような言葉があります。

いにしへの学者はおのれの為にし、今の学者は人の為にす。

(現代語訳)
昔の学者は自己修養のために学問をし、お金のため地位名誉のため、就職のために学問をしないが、最近の人は他人に知られる目的のため、就職という売名行為のために学問をしている。

「論語」憲問篇

福澤は、自分たちが学問をしていた頃の心境を、振り返りながら言っています。

「西洋日進の書を読むことは日本国中の人に出来ないことだ、自分たちの仲間に限って斯様こんなことが出来る、貧乏をしても難渋をしても、粗衣粗食、一見、看る影もない貧書生でありながら、智力思想の活発高尚なることは王侯貴人も眼下がんか見下みくだすという気位きぐらいで、ただむつかしけれ面白い、苦中有楽くちゅううらく苦即楽くそくらくという境遇であったと思われる。

「新訂 福翁自伝」岩波文庫P.92~93

中学受験を見事突破しても、その後、すっかり安心してしまい、普通の学校生活を満喫しながら、漫然と中学から高校へと進学してしまう生徒が大勢います。
そのため、せっかくの中高一貫のメリットを活かすことが出来ず、高校受験がない緊迫感の欠如から、高校受験を経験してきた優秀な生徒に、大学受験で負けてしまうというケースが後を絶ちません。
それは、福澤がいう「智力思想の活発高尚なる」部分が、緊張が解けたことで、にぶってしまうからでしょう。
中学受験の時に培った学力の優位性も、1~2年もすれば、すっかり消えてしまいます。

これは教え事ではありません。自分でつかみとるものです。
精神が「高尚なもの」となるか、「品性下劣なもの」に陥ってしまうか、全ては、その人の精神性次第なのです。

自分の身の行く末のみ考えて、如何どうしたらば立身が出来るだろうか、如何どうしたらばかねが手に這入はいるだろうか、立派な家に住むことが出来るだろうか、如何どうすればうまい物を食いい着物が着られるだろうか、というようなことばかり心を引かれて、齷齪あくせく勉強するということでは、決して真の勉強は出来ないだろうと思う。

「新訂 福翁自伝」岩波文庫

福澤の言葉を噛みしめながら、今一度、「何のために学問をするのか」問い直してみると良いかもしれません。

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