「福翁自伝」を読む② 「何のための学問か」 【慶應義塾中等部対策】
これは「福翁自伝」にある「大阪書生の特色」(「新訂 福翁自伝」岩波文庫P.91~92)の小泉信三による要約です。
当時の江戸では、外国語(主にオランダ語)の本を翻訳することで、簡単に大金が手に入ったそうです。
「昨日までの書生が、今日は何百石の侍になった」と記されていますから、今で例えれば、貧しい学生が会社の経営者や起業家になるようなものでしょう。
ところが、「大阪ではそんなことは全くない」と福澤は言っています。
孔子の時代から、「就職のために学問をするのか」「何の目的もなく、ただ学問のために学問をするのか」学問のあり方は二つに分かれていました。
「論語」憲問篇にも、次のような言葉があります。
福澤は、自分たちが学問をしていた頃の心境を、振り返りながら言っています。
中学受験を見事突破しても、その後、すっかり安心してしまい、普通の学校生活を満喫しながら、漫然と中学から高校へと進学してしまう生徒が大勢います。
そのため、せっかくの中高一貫のメリットを活かすことが出来ず、高校受験がない緊迫感の欠如から、高校受験を経験してきた優秀な生徒に、大学受験で負けてしまうというケースが後を絶ちません。
それは、福澤がいう「智力思想の活発高尚なる」部分が、緊張が解けたことで、にぶってしまうからでしょう。
中学受験の時に培った学力の優位性も、1~2年もすれば、すっかり消えてしまいます。
これは教え事ではありません。自分でつかみとるものです。
精神が「高尚なもの」となるか、「品性下劣なもの」に陥ってしまうか、全ては、その人の精神性次第なのです。
福澤の言葉を噛みしめながら、今一度、「何のために学問をするのか」問い直してみると良いかもしれません。