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早稲田の古文 夏期集中講座 第21回 『水風晩来(すいふうばんらい)』
「流水夏に当たりて冷ややかに、風は晩を迎えて来たる」というのが水風晩来です。
橘成季が五十歳の頃、1254年(建長六年)の時に編んだ『古今著聞集』にある文です。(『古今著聞集』西尾光一・小林保治校注 新潮日本古典集成による)
「我が朝の風俗、和歌を本と為す。志(おもい)に成りて、言に形はる。(あらはる)一時を記し、一物を詠ず」
とあります。自然の一事一物、移ろいゆく、事物の一つ一つのほんの一瞬をとらえて思いをのせていくのが和歌というものだ、我が国はそれが習慣であり、文化と伝統なのだ、と言いたいのでしょう。歌道の始まりは、ここにあります。
これは大学の頭・藤原敦光(あつみつ)という人の序文です。この時は、将作大匠という人の水閣(水辺の高楼)で開催された歌会の記録のようです。
まず敦光の一首
〈藤原敦光の歌〉
風ふけば 浪とや秋の 立ちぬらん みぎはすずしき 夏の夕ぐれ
風が吹けば立秋となるだろう。水際は夏でも涼しい、とうたっています。
<内蔵の頭長実(くらのかみながざね)の歌>
夕されば 川風すずし 水のうへに 波ならねども 秋や立つらん
風は水面に波を立たせるか立たせないか、ぐらいの穏やかなもののようです。夕方になると急に涼しくなるが晩夏の風情です。
<源俊頼の歌>
ゆふ日さす 野守のかがみ かひもなく ふれける風に影しそはねば
「野守のかがみ」とは野中の水を鏡にたとえた語、それが夕日を映して、一際輝いているさまのことだそうです。(新潮古典集成P236)夏の涼風のわずかなさざ波が野中の鏡をこわしてしまったようです。夕日輝くはずの水面に影ができてしまったのでしょう。でもまた野守の鏡はよみがえることでしょう。輝く夕日は、たえまなく照らし続けているからです。
<中務(なかつかさ)の権の六輔顕輔の歌>
まだきより 秋は立田の 川風の すずしき暮れに 思ひしられぬ
まだ立秋は来ていないのに、立田川の風に秋を感じさせるものがあると言っています。夕方の涼風はひんやりとして、昼間の暑さを払ってくれるのでしょう。
<散位道経の歌>
手にむすぶ いささ瀬川の まし水に たもと涼しく 夕風ぞふく
瀬川の小さな流れの水を手にすくって飲むときの、たもとを吹く涼しさは格別である。瀬川の水量が増したため、涼しさも増したかのようです。
<散位顕中の歌>
夕されば なつみの川を こす風の すずしきにこそ 秋もまたれず
夏見の川は、夕方になると涼風が秋の風のような涼しさなので、秋が来なくてもよいくらいだという事です。