福澤の「非暴力・不服従」【福澤諭吉「学問のすゝめ」】
これは「国民の職分を論ず」という章にある一節です。
福澤は、「政府というものは分限を越えて暴政を行うことがある」と言っています。
「国法は最大限尊重しなければならないのだが、盲目的に従う必要はない。
国民は常に国法の是非を問うべきであり、その主体性は国民の側にあるのだ」という「法運用に関する独立自尊の精神性」のことを、福澤は謳っています。
国家運営の主体性は、あくまでも国民の側にあります。福澤は、この自主性や自律性を失ってはならないとしています。
「封建時代の身分制の下で、お上が言うことは御説ごもっともで、ひたすら恐れおののくのは言語道断である」と、その軟弱な精神性を強く否定します。
暴政による悪法に恐れおののいて、言いたいことも言えずにいるのは「犬の糞」だとこき下ろしているのです。
善は善、悪は悪とするのが天の正道というものです。
権威を恐れ、権力にこびる軟弱さを福澤は許せないのでしょう。
と言っても、暴力は肯定していません。
福澤は、内乱を強く否定しています。
フランス革命のような「暴力を伴う革命」は軽挙妄動であり、暴力は暴力を繰り返すだけだとしているのです。
では、どうするべきなのでしょうか。
福澤は、「天の正道に従い、天の道理を信じて正理を唱えて政府に迫るだけだ」と言います。つまり「言論で闘え」と言っているのです。
これは、「非暴力、不服従運動」と言うことも出来るでしょう。
「学問のすゝめ」が出版された1872年以降、自由民権運動が盛んになりました。
国会開設を目的とした運動の中で、一部では暴力闘争もありましたが、基本的には言論闘争によって、その目的を達成します。
不完全でありながらも「選挙」も実現しました。これは、アジア初の快挙です。
欧米と対等に外交を展開するためには、「民主的な議会」が必要不可欠なものでした。
そこでは「国民による自主独立の国家運営の気概性」が必要となりました。「国家運営の中心は、国民にある」と考えられていたからです。
このような考え方が広まった背景として、当時ベストセラーとなり、今なお読み継がれている「学問のすゝめ」が大きく影響していることは間違いないでしょう。
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