個人の自由と社会的効用性 【J・S・ミル「自由論」】
「個人の自由が進めば進むほど、社会全体の幸福度が増大する」というのが『効用性の理論』です。
自由は、個人を幸福にするものです。
「自由によって幸福になった個人が増えれば増えるほど、社会全体が幸福になる」というのが、社会的効用性の考え方です。
『効用性の理論』とは、「個人の幸福」と「社会の幸福」を密接に関連づける理論です。ここでは、個人の自由が、第一の存在理由となります。
「個人の自由の保障なくして社会全体の幸福はありえない」とするのが、J・S・ミルの「自由論」の立場です。
「自由論」では、「個人の自由の保護」を最優先にします。
なぜなら、社会というのは、多数者の専制や暴虐によって、個人の自由に圧力をかけて、圧殺する性質を常にもっているからです。
慣習と伝統の中だけで生きている人たちにとって、それまで自分たちがやってきた方法やルール、規範というものは変えたくないものです。
それまでやってきた方法やルールで、すでに幸福に生きているからです。
彼らは、自分の生活の不安にしてまで、現状を変える意味がわからないでしょう。
そのため、改革に反対し、押さえ込もうとするのです。
既得権益があれば、なおさらでしょう。それが利益を増大する可能性があったとしても、そのような不確かさを選択するよりも、現状維持を選択する場合がほとんどなのです。
それまでと違ったことをやろうするものを、総力を挙げて反対し抑圧しようとするのが、社会の現実と言えるでしょう。
ところが、ミルは、このような状況に対して、次のように切り込んでいます。
これについて、「自由論」の訳者である関口正司さんは、次のように解説しています。
「自由論」と「功利主義」は、このように密接に関連しています。
ただし、ここで重要なのは、「個人の自由の保障」が最優先の条件であるということです。
「社会の幸福」を優先してはいけません。
それを優先してしまうと、「社会全体の幸福」という美名のもと、個人の自由は圧殺され弾圧され、結果として、社会全体が不幸となることが多いからです。
このようなことは、歴史をみれば、多くの事例をあげることができるでしょう。
まずは「個人の幸福」です。
それが積み重なって、少しでも多くの人々が幸福になればよいのです。
「社会の幸福」は、あくまでも結果論であるべきです。
この順番が大切であることを、我々は努々忘れてはいけないのです。