H・D・ソローは、「生活をシンプルにする」ことを絶えず訴えていました。
自然を見渡せば、実に「シンプル」であることがわかります。
そこには、必要ではないものなどない、素晴らしい世界が展開されています。
誰しも、毎日仕事をしていると、作業に慣れてくることから、緊張感もなく、なんとなく惰性でこなすようになってくるものです。
そうなってしまうと、機械的・事務的に仕事を処理するようになるため、知力も注意力もさして働かない状態となります。
そのような現場では、余程大きなことが無い限り、現状維持の状態となるため、現実の出来事にそぐわないような事柄があっても、なかなか改善しようという動きになることはないでしょう。
これが普通の会社員であれば許されることなのかもしれませんが、国の明暗を分けるような判断をしなければならない「為政者」となれば話は違います。
めまぐるしく変化する毎日毎時毎分の出来事に的確な判断をし、最適な対応をしていくことが求められているからです。
為政者の成功や失敗は、国民の生活に直結してしまいます。
それは両脇に深い谷底がある切り立った細い尾根を歩く状況に似ているかもしれません。
立ち止まることも、足を踏み外すことも許されないような厳しい状況ですが、その難題を乗り越えることが為政者には要求されているのです。
冒頭にあるソローの言葉に出てくる「湯王」は、殷王朝の始祖と言われている王のことです。高徳な王として、古くから模範とされてきました。
彼は夜明けと共に起きていたそうですが、顔を洗う水盤に自戒の意を込めて刻んでいた銘が、「日に日に新た、日に新た」だったと言われています。
この言葉を英語で表すと、次のようになります。
ソローが言うように、「朝」は非常に大切な時間です。
ソローのように、毎日、曙の女神に宗教的儀式をするかのように心身を浄めて、新しい朝=新しい人生を迎えるというのは、なかなか出来ないかもしれません。
それでも、内面の気持ちだけでも、そのような境地で朝を迎えることが出来るのならば、それは素晴らしい一日=素晴らしい人生の始まりとなるに違いありません。
どんな朝を迎えているのか。
それを思い起こすだけでも、自分の人生の過ごし方を知る一つの手がかりとなることでしょう。