「繊細」の本当に意味する処 その2
おおてぼが他人から「繊細」という評価を頂戴する意味を考えるにあたり、
HSPの概念を少し借りたいと思う。ニュアンスとしても、何か似ているものを感じているから。
前回記事からの続き まだの方はぜひ
そこで、HSPの定義を明確にしておこう。
①HSPとは?
これらの刺激に対して敏感な性質が、結果、
となるそうだ。これらのHSPの人のあるある話、確かに繊細。
②現在の自分にとってどうか
いくつかは確かに当てはまる。
・特に夜。小さくても話し声が耳に入ると気になって眠りが浅くなる。
・キツイ香水などの匂いは苦手。柔軟剤など化学香料も苦手。腐敗臭・排泄物もOUT
・チクチクする肌触りの悪いものはすぐに着なくなる。
・最近、添加物が入ったものを食べると舌がしびれる。
・他人が家に居ると非常に気になる。
以上は今でも残っているところ。
しかし、今はそうでもないことがある。
・他人に言われたことを受け止めすぎて自分を責めまくっていた。
・他人と対立すると、時に自分が悪いとも思っていた。(いつもではない)
・頼まれごとを断れなかった。
・些細な一言で深く傷ついたこともあった。(たまに)
・将来への不安は大きかったが、防災の備えなどをしまくったら、そこまで備えなくてもどうでもなることにも気づいた。
③繊細な感覚は、何のために顔を出すのか
繊細にセンサーが動いているということは、何か、違和感・アラート・危険信号を察知しているという事だ。
大多数の人がどうであれ、本人が敏感に感じているという事には、何らかの意味・無意識の意図があり、正しいとか間違っているというようなものではない。
しかし、どうも、自分の体験上、繊細な日常を経て、今消えてしまった感覚のことを思い出すと、まだ繊細な状態のそれは、物事の本質がわからない段階だからしてしまっている反応に過ぎないのではないか?
今、情報弱者なだけで知らないから混乱したり不安になっているだけ?なのではないか?と思えるのだ。
もっと情報を入手していたら?
もっと選択肢がたくさんあったら?
もっと問題解決の発想があったら?
実は周りに助けてくれそうな会社・行政機関・サービス・友人・家族がいたとしたら?
人口の20%がこうした性質を持っているという事であるなら、すぐに同じような感性をもっていて且つ克服したり問題を抜けてきた人にも出会えそうな気もする。5人に一人なのだから。
何よりも、自分の潜在的なポテンシャルに気づいていないとしたら?
繊細な感覚は、固有の感受性として、その人にとって大切なメッセージが隠されているのだ。
センサーが働いたら、何かのしるし。
④なぜHSPの感受性の一部を手放せるのか
しかし、過度なセンサーは時にややこしい。
インターフォンが鳴りまくっていたら、うるさくて仕方がない。
光センサーが敏感すぎて、ランプが点いたり消えたりしすぎたら、それはそれでチカチカして煩わしい。
だから、できるだけ種類を減らして知らせてもらえるように、あまりにも敏感なセンサーは鈍感にレベルを落としたり、切ってしまいたい。
どうにか、感受性の一部を手放したり弱くする方法はないものか。
上記の例でいうと、私がそもそも気にもならないところは、以下の3点
・イレギュラーに強い。
・周りの雰囲気は察するが、それに自分の気分は影響されない。
・他人の感情は自分に流入してこない。
私の場合は、五感に関する感性は今だ残っており消せないが、思考や感情の動きについては、捌き方を習得していったようで、今は気にならなくなって手放すことができている。
私には嫌なものがたくさんあった。
その嫌なものをできるだけ書き出した。
A4用紙だったり、メモだったり、書き殴りなり、思いついた時に、頭の中だけでなく目に見えるようにしていった。1回に100個書いてみたり、制限なく書くつもりでも5個ぐらいしか書けなかったり、日によって様々だが、何度もやっていると、残ってくるものは決まってきた。
臭いもの、夜間の人の話し声、化学香料の匂い、汚れた衣類、指図だけして動かない人、噂話から悪口を言うのを好む人、誠意のない言動、ぞんざいな扱い、破れたりヨレた服、高温多湿な場所、冷たい人間関係、罵詈雑言など
そして、嫌なものを可能な限り遠ざけた。
同じようなことだが、自分が安らげる場所をいくつか作った。
家を静かで心地いい空間にしたり(深夜は家族に静かにしてもらうよう頼んだり)、話を聞いてもらえる友人に多めにLINEで会話したり、丁寧な言葉遣いにしたりと、以前に増して大切にした。
私に特に必要だったのは”居場所”だったので、自分の感性に合ったCafeや公園などの具体的な場所をいくつか見つけた。
自分の安全基地が担保されていつでもそこに帰ればいいのだから、多少他所で嫌なものを見聞きしても、その場に置いて、居心地のいい安全基地に手ぶらで帰れるということだ。
こうしてストレスの減った心地よい状態を増やしていくと、ネガティブに考えがちな傾向(傷つく、疲れる、落ち着かない)が減って行ったのだ。
おそらく、ネガティブに囚われて忙しかったり疲れてしまったりすることが減って、まともに思考できる余裕ができたのだ。
余裕ができれば、本の知識や他人の有益なアドバイスも受け取れるし、自分の間違いも素直に認めることもできるようになる。
余裕を持つとはいうが、本当に大事なのは、感受性が過敏すぎるときは
ネガティブ情報を足さないこと、なのだ。
⑤自分の大切なものを知っているか
感性が鋭く、アンテナが敏感すぎて、
惚れっぽい、
傷つきやすい、
感動しやすい、
同情しやすい、
怒りやすい、
不安になりやすい、
細かく見ていくと、
惚れっぽいのは、人の肌に触れる感覚が好き、だからかもしれない。手に触れた感覚、温度感を情報のアンテナにしているなら、視覚障害の人でなくても、触って確認するということが起きてもおかしくない。(一般的に少数派かもしれないけど)
惚れっぽいのは他に、人のいいところを見つけるのが得意な感性をもつのかもしれない。「この人のこんなところって素敵」と思う件数が多ければ、素敵な人がたくさんできるので、「あちらもこちらも素敵♡」となるのは、別に浮気性だと断定するようなものではない。
人の長所をたくさん見つけられる、という感性は、知性的であるともいえる。
好き嫌いが声のトーンや会話の速さによるものだったら、聴覚優位で情報を取り入れているのかもしれない。高い声、低い声、速い口調、ゆっくりめ、どんな感じが自分にとって心地よいだろうか。
心地よいと、心地よい感情(喜び、安らぎ、感動)を呼び寄せやすいし、
気分のすぐれないものや状態は、嫌な感情(怒り、イライラ、不安)を拡大しやすい。
自分の大切なものが何か意外とわかっていなかったりするものだ。
嫌いなものを集めることを先にしたほうが、要らない感受性を手放すのも、好きなものを見つけるのも早いことが多い。
そうして、嫌なものから遠かったら、手元に残っているものは、少なくとも嫌ではないもので、その中に好きなことがあるに違いない。
もしくは、嫌なものから解放されて初めて、好きなものを探すことができるようになるのかもしれない。
そうして、大切なものを見つけたら、あとはどんどん心地いいが広がっていき自分の可能性が広がるのを見つけるだろう。
私は「繊細」と言われるのを嫌だと思っていたが、それは「繊細」を弱いとか悪いものと間違って解釈していたからだった。
こうして解釈が違っていると、言葉を受け取った時に、必要以上な不愉快を感じてしまうことがある。
もしも、敏感な感受性がひとくくりに「繊細」という言葉でパッケージされて否定的にラベリングされていたら、一度見直してみてはいかがだろうか。
繊細な感覚はとても有益なものなので、ネガティブに印象づけてしまうのは勿体無い。
おおてぼは、読んでくださったみなさんが、繊細な感覚とともに、ご自身の世界をより一層楽しく愉快に広げていってほしいと願います。
あなたの貴重な時間をいただき、読んでくださってありがとうございました
♡(๑♡ᴗ♡๑)
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