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現実と将来

父は60で頭から灯油を被って自死したから、自分もそれくらいで死ぬんだろうとの感じはずっとあった

なんだか投げやりな人生の道行となったのも、「親超え」を大きく勘違いして父の苦悩を知ろうともせず厳しい言葉を浴びせた結果がそういうものに帰結したという自責の念に苛まれ続けたからとの自覚はずっとあった

目の前で実の親が火に包まれ、救急車に付き添いで同乗した時に見た父の顔の皮膚は鶏のモモ肉を焼き上げたように爆ぜている

そうした衝撃的としか言えない光景は今でも目に焼き付いていて、しかしながら命日はいつも忘れてしまうというようなアンバランスについても常に意識していた


臨床心理士の制度が始まった頃で全体的に手探りだった最初期に受けたカウンセリングがめちゃくちゃな失敗に終わって以降、「社会的不適合」と見做されても仕方のない気持ちに支配される中で、たまたま近くで独立したばかりの今ではその業界では広く知られた人物となった少し歳上の男性カウンセラーが言ったように、全部ひっくるめてトラウマ体験がもたらしたPTSDの現れの一つに過ぎないとの説明が、断続的に今も続く彼との関係性を築いていく中で腑に落ちていった


その後ずっと後年に、騙し打ちとしか言えない理由で措置入院した先は、当地域でも高名で大規模な単科病院だったが、様々な角度からの各種の検査や、生育期に限らずトラウマ体験以降の越し方を聞き取るために設けられたカウンセリングでは、父の件やその後のことも含めて詳細に話すように務めたものの、それらすべての結果を受けての複数の立派な学歴をお持ちのお医者さんが慎重に合議した上で決まった病名は「発達障害」と申し渡され、これにはひっくり返った

最後は躁鬱病(現在は双極性障害と称されている)との二択からの結論とも聞かされたのも、それはあり得んことなんやけどなと丁寧なご説明をいただきながら感じたものだ


先のカウンセラーに話したところ、「日本の精神科医は長期に及ぶトラウマ経験の影響を認めたがらないんだ」と怒気を含んだ答えが返ってきた

今も日本の精神科医療の現場での認識は基本的には変わらないものの、

ようやくこうした記事が日本語でも出てくるようにはなり、

といった書籍もそこそこ充実してきたが…

幼少期や成長期に限らず、成人になってからも長期に及んで「社会的な不適合者」と見做される経験を重ねて受けた心的ダメージを含めて「複雑性PTSD」になりうることはあり得るとも、それに連れた発達性トラウマが生じることも、最新の研究に基づいてと求めたチャットGPTさんの回答では「あり得る」との説明をもらった

2022年改定のDSM-5-TRには発達性トラウマの記載はまだ無く、総じて遅れている日本の精神科医療や福祉制度の現実を踏まえた上でならば、ほな「発達障害」で納得しますわという感じで己の内に収めるよりない

そもそもPTSDはベトナム戦争の帰還兵の多くに社会的に不適合な問題行動が頻出して以降発展してきた概念なので、この場合のGPTさんの回答は当然と考えてよいだろうとする

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母の死去後に経験したスピリチュアルなやり取りを通して父のことも尋ねてみた
併せて父がどこに居るのかくまなく探索もした

限られた時間との確信を持ち、その時の自分がやれることは全部やったが、父は「不在」との結論しか出てこない

自分の心象の内外に限らず、あらゆるところを探ったものの、どこにも何の気配も無く、もはや人間ではなくなった母はこの件については無言を貫いている

現世に様々な思いを相当に残して逝った人だから、それはそれでよいのかもしれないと今は考えるようになった

最晩年に共に仕事をして、それまで全く知らずにいた彼の持っていた良きパーソナリティについては何度も振り返ってきたし、その時の年齢に差し掛かってようやく己とを比較する「冷静」を得たが、直近の二年ほどそれを続ける中で、到底真似することのできない大した人だったと評価するように大きく変わってきた
それで十分なのかもしれないとも思えるようになってもきた


ちなみに父が🔥の中で身につけていた仕事時計は、1999年3月以降たった一度しか電池交換していないにも関わらず正確な時を刻む

形見としてよほどのことでもない限りは24時間腕につけているが、簡素なつくりだからと理由を見つけるのは簡単だが、過酷な環境下でも一切壊れず動き続けることにはいつも不思議なものを感じる

軍用時計がモチーフなのは明らかだが、アイボリーの文字盤というのが自分の好みでもあり、独自の審美眼を持っていた父のセンスも感じ取れる

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若い人はかなり減っているかもしれないが、日本人は干支十二支という12年のサイクルで人生を捉えてきた

12年という年月は、長いようであっという間にやってくる

それを踏まえて12年後をきちんと考えてみると、もう立派な爺さんになっていることを否応無く思い知らされた


以降は1年の無駄もできないと気持ちを改めているが、ロング・コービットとワクチンの副反応で続く体調不良は間もなく2年に及ぶ

そうした予期せぬことは年齢を重ねれば重ねる程頻出するもので、この先の12年という時間を大切にせねばならぬとの思いをより強くしている

そもそもの新型コロナに由来する自分の体調不良の原因については、まだわからないことが多いのが現状でもあり、無駄に焦っても仕方のないものだと言い聞かせても、残された時間との追いかけっこを意識するとなかなか難しいと言わざるを得ない

レジ待ちの時間でさえへたり込んでしまう有り様で、今夏の酷暑で休養を余儀なくされたが、季節が変わればまた回復して戻ってくるとの当初の楽観も崩れ果てた

膠原病やリウマチを専門にする近くの内科医が診てくれるとのことで、処方された漢方薬を服用して休養を続けても、大きな効き目は間違いなくあるものの、調子の波が大き過ぎたり、予想が不可能なことも身をもってわかってきた

診察中にこの症状が一生続くことも想定していると伝えると、そういう考え方はいけないと説教されたが、問診だけで的確な見立てのできる名医の言うこととして、反発せず否定せずという受け止めをして、今も彼の言葉を反芻するのを重ねている


そうした日々を続ける中でふと気づくいたのが、60で人生は終わりとの、どこかやさぐれたような気持ちはもはやどこにもないということだった

このように両親の最期をきちんと見つめて文章にするまで、それは長く続いたトラウマ体験をようやくやり過ごせるようになれたことに等しいとも強く感じるが、20年をゆうに越える時間が必要だったとしても、これは自分にとり決定的でとても大きな変化だ

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昨日はなぜか極度の体調不良が朝から続き、ほぼ寝たきりだった頃のように「朝の支度」を終わらせるだけで昼前になる有り様だった

主治医の通院日だったので、午後の指定された時間に間に合うようたっぷり時間をかけて準備し、若干のめまいやふらつきを感じながら、ギリギリ間に合うていたらくだったのが、その後は急速に体調が回復したものだから驚いた

無理だろうと諦めていた食料品や日常品の買い物を済ませた夕方には、ほぼ健康な状態まで戻っている

先だっての内科医の言葉を思い返し、時間に追われる意識を一旦捨ててみることを今朝起床して思いついた

休養中の過ごし方も少し変えて、しばらく様子を見ていくつもりだ

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