虎になれればと思っていた。 自分で自分の人生を終わりにできるほどの覚悟も理由も持ち合わせてはない。だからといって歳を重ねて背中が丸まるように、根拠のない自信や自尊心で伸ばしていたはずの背筋がどんどんと縮んでいくだけの日々を、僅かばかりの希望を頼りに生きていけるような人間でもないのだ。 だから、虎になりたいと願っている。 生き続けなくても誰にも責められない、夢を諦めるどころか、夢を描いていたことすら忘れてしまえるような、そんなリタイアの証明書。 東京にはこんなにもビルが立ち並ん
散れば悲しむひとひらも 散らねば何も思えない 散って悲しむその前も 愛しく思っていたはずで 舞うや奏でや花吹雪 去冬の名残を惜しむよう 去るや去るなと思っては 未練濡らした袖を振る いつか掠れて霞んでく そんなことは知りながら 今はそれすら寂しいのです 頬を伝うは花筏 流れゆくのは記憶の花弁 あなたでないのはわかってて 濡らした袖をもたげるは 無慈悲に根を張る生の幹 ぽつりぽつりと薄紅も 葉桜いつか山中に 馴染んで消えたと思っても 明春迎えてまたぽつり
私にとっての創作は、ひどく不純なものである。 承認欲求と現実からの逃亡。 その2つが私にキーボードを叩かせている。 本当のことを言ってしまえば、書きたいことなんて何もないのかもしれない。 私が好きな小説家の1人は、世の中に自分の読みたい作品がなかったからペンを持ったのだという。 そんなこと脳裏によぎったこともない。 世の中はコンテンツで溢れている。 気を抜けば、人の一生などあっという間に溶けるくらいに。 そんな不純な私だから、すぐに言葉を見失う。 今書いている言葉も、普段
元天才子役ともてはやされた過去をもつ内村雅紀は、中学の時の挫折をきっかけに普通の学生生活を送ることを決め、現在は都内の大学に通っている。しかし、悪夢で当時を思い出すほどに過去に囚われていた。ひょんなことから「劇団スピット」というYouTube上でドラマを配信している劇団の監督・脚本家である梶澤源と出会う。その出会いから少しずつ彼の時間は動き出していく。落ちぶれかけたおじさんYouTube劇団と挫折した元天才子役の青年は、自分達の居場所を証明するために足掻き続ける。 第1話:
暖かな記憶だ。 カメラの後ろで心配そうに見守っていた母に駆け寄る私、抱きしめられた時の温もり、頭を撫でられた時の誇らしさ。 しかし、ストロボのように移り変わる柔らかい記憶の最後は、母の悲しげな顔だ。 「雅紀ならいつかできる、ちょっと無理しすぎただけだよ」 ぐっしょりと濡れた背中の不快感で目が覚める。寝汗のせいだけではない重さを感じつつ、なんとか体を起こし風呂場へと向かう。 最悪な朝が今日も始まった。 シャワーを浴び、着替えを済ませ、足早に家を出る。 もう、15年以上前のこ
劇団スピットは30代後半のおじさん4人組YouTuberで、オリジナルのドラマをYouTube黎明期から投稿しているグループだ。長い活動期間もあり登録者は40万人を超えている。しかし、YouTuberと呼ばれる人たちが乱立し、若くて見栄えのいい人気者が増えてきた時代において、おじさん劇団の居場所はどんどんとなくなっている。再生数は軒並み落ちており、直近のアベレージは1万を切っているようだった。 ただ私が最初に見た「ネオンサインより」という作品を筆頭に、劇団スピットの作品は純
「なぁ源、本当に内村くんを劇団に入れるのか?いくら台本が当日だったからといって、あの演技力は正直言ってひどいぞ」 「まぁ零ちゃん、俺の方で何とかするからちょっと時間をくれ」 何が悪かったのかわからないけど悪かったことだけはわかるというのが1番最悪だ。そして、今回私はその状況にいる。 結論を言ってしまえば、演技らしい演技は何もできなかった。セリフは何とか覚えられたが、それを言っただけ。時間があれば何とかなったかもしれないという言い訳が頭の中を支配しかけるが、そういった問題では
街灯よりも月明かりの方が眩しい田舎町で、夜遅くまでやっている飲食店は貴重なのだ。国道沿いのラーメン屋ではあいみょんが流れている。金がないくせに麺は大盛り。生きているだけで腹は空く。武士は食わねど高楊枝というが、それは武士という階級をもっているからこそ言える痩せ我慢だ。何の社会的階級も肩書きも収入もない僕らだから、腹一杯に食った上でラーメンのネギが挟まった歯で笑ってやろう。 僕らに目的などなく、ただひたすら朝日から逃げるために車を走らせていた。月の綺麗な夜だったので、車窓から
僕はサブカルチャーと言われるものが基本的に好きだ、といってもサブカルだから好きなのではないと自分では思っている。むしろ、様々なジャンルがあるものを強引に「サブカル」という括りにしていることには腹が立つ。そもそも、メインカルチャーとは古典美術、古典文学などを指すらしい。現代において、そちらの方がサブではないかと思うばかりだ。ただ、言葉尻をとってメインカルチャーを今ポピュラーな漫画や音楽、サブカルチャーを一般的に流行ってはいないものと捉えるのであれば、僕はそのサブカルが邪険にされ
僕はこの世界の主人公じゃない。もし僕が主人公だったなら、小学生の時にはクラスで一番足が速かったはずで、中学3年で好きだった同級生とは付き合っていたはずで、高校では甲子園でヒーローになっていたはずだからだ。 それでも当時は、自分が世界の中心だと思っていた。 「〇〇は世界を救う」なんて言葉は何かしらのイベントごとがあるたびに使い倒された言い回しで、そのセリフさえあれば戦争ですら、給食の残り物じゃんけんくらい簡単に決着がつくあっさりしたものだと言わんばかりだ。 でも、僕らは救
目の前の世界が灰色に見えたことがあるだろうか。僕にはない。きちんと信号の赤で止まることができるし、ラブホ街のネオンでどこか浮ついた気持ちになることもある。 僕は羨ましかった、目の前が灰色になって何を見ても心が動かなくなる、そして物理的にも動けなくなるような経験がある人間が。正確にいうと、そのような経験を踏まえた上で、灰色の世界が一瞬にして色鮮やかになるような体験がしたいのだ。閃光のように煌めく恋愛や、頭がぶっ壊れるような衝撃的な音楽や、全ての感情を曝け出せる誰かとの出会いと