思い出の天丼、それは仕事の味
仕事に躓くと食べたくなるものがある。
天丼。
尊敬する上司に連れて行ってもらった思い出の天丼だ。
その日わたしたちは仕事で日本橋にいた。
午前中の打ち合わせが終わり、午後からもじっくり重たい打ち合わせが続くこの日。
食いしん坊の私に食べさせたいと上司が連れてきてくれたのがその天丼屋さんだった。
私は大の食いしん坊で、白米を1日3合食べる大食漢だ。
小さい頃から食べ物が吸い込まれるようによく食べるので「ティヌちゃんは美味しそうに食べるね」と言ってもらうことが多く、
私のお腹のブラックホールはチャームポイントでもあった。
上司はそんな私の食べっぷりを好きでいてくれ、
出張でご飯に行った時は私の分は毎回大盛りを頼んでくれたし、
他社で打ち合わせ時に出るサンドイッチなどは「足りないな」と思っていると横からさりげなく自分の分まで分けてくれた。
日本橋でも有名なその店は、大行列だった。
その頃私はそのセクションでは駆け出しの新人で、
とにかく大きいことがしたい!成功したと言われたい!という思いで前のめりになっていた。
しかし右も左も分からない小娘がそう簡単にドカンと大きな成功を収められるはずもなく、
ジリジリとした焦りと自分の力不足を日々感じていた。
列に並びながら私は最近ずっと悩んでいたことを上司に相談した。
「アイディアは浮かんでもそれがこの案件に相応しいかわからなくなってしまうんです」
「何が響くかわからなくて怖くなってしまうんです」
「どうしたら面白い企画を思いつくんですか?そこからのこれぞ!というアレンジはどうしたら思いつくのですか?」
普段忙しい上司を独り占めできる貴重な時間だ。
私は溢れる疑問や悩みをここぞとばかりにぶつけた。
上司からの返答はとても穏やかで、抽象的だった。
「私たちの仕事はhappyを作ることだって思ってる。いつでも、《自分は誰をhappyにしたいのか》《この思いつきでhappyになる人は誰か》に立ち返る。極端に言えばあなたが決めたhappyにしたい人以外には響かなくていい。」
ストンと落ちた。
それは上司の今までの振る舞いから既に証明されていたからだ。
この日だってそうだった。
きっと〝普通は〟若い女性の部下を東京のおしゃれな街でランチさせるのに天丼屋さんは選ばない。
まして大行列になんか並ばない(上司は油物が苦手だった。)
大食漢で、油と糖が好物の私を喜ばせようとセレクトしてくれたお店だった。
それまで私は浅はかにも話題性ばかりに偏った考えをしていた。
面白いもの、珍しいものは一見目を引くだろうが、それは一体誰に向けたものなのだろうかと考える。
happyにしたい人のことを、とことん考える。
それは対個人でも、一つのセグメントでも変わらないことだった。
上司は当たり前のように私に大盛りを頼んでくれた。たくさん並んで、たくさん話した後に食べた天丼の美味しかったこと…。
いまはお互い別の部署に移動して、それぞれ遠く別の仕事に勤しんでいる。
でも上司の功績が聞こえてくるとわかる。「今回はこんな人たちをhappyにしたかったんだな」
あれから私の仕事での座右の銘は「happyを作る」になった。
どんな仕事でも、必ずいる。
お客様でも、自社の従業員でも、顔の見えない取引先様でも、利用者様でも、直属の部下や同僚でも。
あなたがhappyにしたい人は誰ですか?