見出し画像

動かない手で、拭いた顔 -我が子を拭いたタオル-

ごあいさつ
作業療法士って、いろんなドラマがあります。

動かない手、立てば膝が笑う足。つまんだのかどうかもわからない箸先。

寝返りも打てず痛む背中。床ずれになって痛むおしり。

うまく話せない言葉、言葉にならない気持ち。

これからどうしてよいかわからない不安。


そして、やってくるリハビリの時間。


痛い、つらい、もう辞めたい。今日だけは休みたい。
そんなリハビリの中にある、一瞬のやすらぎ。
ある時は、未来への希望。

今回ははじめての記事なので、自己紹介を兼ねてお話をひとつ。
最後には医療職ならではの視点で、生活の捉え方、ケアの視点についても
振り返っています。
本編で”その人らしさ”を感じてから読んでみて下さい。

”生活を支援する”作業療法士が送る、オリジナルストーリー
もしかしたら、貴方のそばにいる、あの人の物語。




エピソード:俺は負けてない


嫁は、幼稚園の送り迎えにもメイクは欠かさない。
167cm、元CA。今はみなとみらいのIT企業で受付嬢してる。
料理はあまり上手じゃないけど、帰りにイオンでサラダとか、ローストビーフとか買ってくることが多い。大手企業だからなんだかんだ稼ぎもいいし、生活はそんなに困ってない。

俺は腕一本で稼いでるから、スーツ着て会社勤めの奴らには、負けてない。
だから同級生で一番早く家も買ってやったし、車もランクル。でかくてゴッツイのがかっこいい。

唯一日曜は休みだから、嫁も子どもも寝てるうちにこっそり釣りに行くのが趣味。誰もいない朝に首都高飛ばして、釣り場に一番乗りするのが最高って思ってる。

誰もいない朝の道は、本当に最高。トロい車もいないからしっかりスピードも出せる。


1:晴れた冬の朝


晴れた冬の朝。
今日は日曜日、絶好のヤリイカ日和。
自慢のランドクルーザーに釣り道具を乗せて、首都高を降りたら海岸沿いを走る。市内にはないどこまでも真っすぐで、空まで突き抜けるような道。


あと15分。自分しか知らない穴場スポット。
岸壁の端が不思議とよく釣れる。
先週はいつもより30分寝坊。結構飛ばして向かったが、狙いの場所を見れば地元のおっちゃんが椅子を開き始めたところだった。
あと5分、早く着いていれば…
アクセルを踏む足に自然と力が入る。

左手にはハンドル、右手にはスターバックスで買ったブラックコーヒー。
バニラシロップ追加がおいしい。
さて、もう一口…

あっ 赤信号


北国の3月は、ダウンジャケットをクリーニングに出す季節。
雪は解け、路面は見えている。
しかし「絶好のヤリイカ日和」が不幸だった。積雪がなく、寒い冬の朝。
濡れる、凍るを繰り返した路面にはどんなにブレーキを踏み込んでも無意味だった。むしろ車はスピードを上げて、防風林の中に突っ込んでいくような気がした。


フロントガラスは粉々に割れ、頭からはじわり、生暖かい感触がした。

2:ここが病院である事くらいしか 


交通事故で入院したAさん。
自慢のランクルは前も横も潰れ、廃車になった。


事故後は一日中ベッドに寝て、たくさんの器械に囲まれ日々を過ごす。
まだ意識もぼんやりしていて、ここが病院である事くらいしかわからない。
身体がうまく動かせず、寝返りも打てないことで背中は痛み、食事も出ず、点滴を交換されるばかり。


検査、処置と目まぐるしく落ち着かず、忙しい看護師は用事を済ませると早々に部屋から出ていく。家族は数日に一回、見舞いに来てくれる。窓越しであっても、子どもは無邪気でやはりかわいい。


しかし夜になると不安になる。

これからどうなってしまうんだろう

せめて
身体中についている管が外れれば、気分転換に散歩でも行けるのに…



一方で、寄せては返す波のような痛み。
痛み止めの注射とともに眠気に襲われ、不安な気持ちも霧の中に消える。



しばらく経つと、大部屋に移された。
管が外れ、器械の作動音も少なくなり、なんとかナースコールも押せるようになる。まだかすれ声だがなんとか看護師と話せるようにもなり、頻繁だった検査も最近はめっきり少なくなった。頭のぼんやり具合も徐々に晴れてきて、病院スタッフの顔にもなんとなくなじみが出てきた。

この姉ちゃんは新人。テレビのチャンネル操作も頼めばやってくれるありがたい存在。が、その後お局に怒られてる時あり。

このおばさんは難しい顔してるけど実はオムツ交換が丁寧。あと帰り際の笑顔が実はかわいい。

このお局はやばい!回診の時だけ…

いろんな看護師がいる。

窓の外に目を移せば、ベッドから見る景色は見晴らしが良い。丘の上のニュータウンにある、真新しいリハビリ病院。目を凝らすにしても自慢の我が家が点にしか見えない。
3か月前までは、あの家から自慢のランクルで現場に向かい、ヒノキの香りを嗅ぎながら一本ずつ組み上げる日々を過ごしていた。
そして今は…


まだ一人で箸を持つことも、立ってトイレに行くことも、デイルームに行って大きい窓から自慢の我が家をはっきりと見ることも、できない。


3:毎日来る「彼女」

最近気づいたことがある。看護師とは制服の違う、毎日30分だけベッドに来て、手足に触れて帰る女性職員。なんだかよくわからなかったが、今日はいつもと様子が違う。

「じゃあ今日はベッドをあげてみましょう」

徐々にベッドの頭と足が上がっていく。病院のベッドはこんな機能もあるのか、と感心しているうちに自分の腰が下へずるずると落ちていく。
バランスが取れず、身体が傾いていきそうになる。
なんだか頭がぼうっとして、目を閉じたくなる。うまくは言えないが、自分の身体と見えて居る景色が一緒になるような気がした。


「おっとっと。ちょっと上げ過ぎたかな。お加減治ったようですね。」
「明日は30秒にチャレンジしましょう」


そう言い残して彼女は去って行った。


それからというもの、今日は30秒、1分。2回、3回、4回。
座っている訓練は、次第に時間も回数も増えていった。
疲れるばかりでなんの意味があるのかはさっぱりだった。
夜よく眠れるようになったのだけは確かだった。


相変わらず自分で身体を動かすことはできない。
もう管はほとんど繋がっていないのに、寝返りを打つことができず、かろうじて捻って浮かすことで、背中の痛みを軽くするしかなかった。
時折看護師がやってきて背中に手を入れるタイミングが唯一ほっとできる時間だった。
同室の患者は高齢者ばかりで、昼も夜も頭まで被って眠り、それでもなお寒いと半纏を着こむ人もいる。
暖房が強くじっとりと汗ばみ、乾けばベタベタとして気持ちが悪い。
現場で働いていたときは、クールミントの汗ふきシートで体中を拭いた後、時折吹く風が痛いくらい清涼感を感じるあの瞬間が最高にクールだった。
生きてる、って感じがした。


そしてある日、回診に来た医師が言った。
「リハビリはどうですか?身の回りのことが少しでもできるようになったらいいですね」
答えたのは、いつもベッドに来て俺を無理やり起こしていく彼女だった。いつもの少し適当な様子とは違って、心なしか頼もしく見える。そして普段は目に入らないネームプレートを見ると「作業療法士」と書いてある。

どうやら彼女はリハビリの専門職らしい。

その頃には、彼女が来ると背もたれが頭まである大きい車椅子に乗せられ、毎日デイルームに散策するようになっていた。
一方背が高く体格のいい若い男子も毎日来ていて、こいつはベッドの上で俺の足を持ちながら「力を入れて!」と筋トレをして帰っていく。
少しずつ自身の腕や足も太くなっていくだけに、これがリハビリ、とすっかり思い込んでいた。
彼女もリハビリの職員だったとは。


そこでデイルームに連れられた時を見計らい単刀直入、彼女に聞いてみた。”姉ちゃんのもリハビリなのか?”


「ええ、そうですよ。知らなかったんですか?」もともと涼しげな彼女の目元、今日は一段と鋭く光る。まずい、女のプライドに傷をつけてしまったかもしれない。神が俺に知らせている。何かフォローをしなくては今後に響く。

”姉ちゃん、いつも顔拭いてくれて気持ちいいよ。朝は看護師が拭いてくれるけど、昼間は頼みにくくてなあ”

そう伝えると、意外な反応が返ってきた。

「そんな気持ち聞かせてくれるなんて、嬉しい!顔を拭くと身も心もスッキリしますよね。今度、リハビリに取り入れてみましょう」


機嫌は取り戻したようだが、なんだか面倒事が一つ、増えた気がする。

4:我が子を拭いたタオル、自分の手で

今日も彼女がやってきた。
まずは血圧計を腕に巻き付け、強く圧迫され、痛い。はじめは職員のスキル次第と思っていたが、どうも痛いくらいまで圧をかけないと血圧というのは計れないらしい。
「調子はどうですか?」
お決まりの文句だ。入院生活も長くなると、最近は体調の変化すらない。いつもと同じだ。最近は自分でベッドの背を上げて横向きができるようになった。何がいいかというと、自分のタイミングでテレビが見れる。
同室のジジババが叫んでいるときには、窓の外にある桜を見ながら、やっと歩き始めた子供を連れて歩いた新宿御苑を思い出す。アスファルトの上に転びつつ、何度でも起き上がっては上から降り落ちる桜の花びらを捕まえようと必死だったあの子の姿。俺は、まだ一人で起き上がることはできない。なぜか腹に力が入らず背中とベッドはいつまでも仲良しだ。家では声を上げて応援し、家族に煙たがられていたプロレスも、寝ていたままでは張り合いが出ない。
そんな考えを巡らせながら”変わりないよ”と答えた。

そして不思議なのは、顎より上に手が上がらないこと。
すぐに疲れるとか、ジムの後筋肉痛が治らずに腕が使えないのとは違う。とにかく力が入らない。今日は少し空中で保っていられるぞ、と高揚した次の瞬間、茹でたほうれんそうのようにベッドに倒れ込む俺の腕。だからスマホも使えない。せめて一文でも連絡したい時には、もどかしい。

「…さん」「起きますよ」

いつのまにか桜の見える季節。冬の暖房とは違う温かさが心地よく、つい明後日の方向を向いていた。気丈な彼女は俺の戸惑いも意に介さないようにして、足、肩に手をかけ、回転させるように滑らせ、俺は生まれたての小鹿のように座ったかと思えば次の瞬間には車いすに乗せられていた。くりくりとした目と150cmほどしかない小柄な娘の一体どこから、こんな力が出てくるのだろう。


デイルームに向かうと、彼女が思い出したようにつぶやいた。
「今日はぐっすり眠れたみたいですね。目やに、ついてますよ」
戦場のごとく走り回る看護師、今日の朝の顔拭きは特に手早かった。振り返れば、いつもより2時間も早く目覚めた今朝、地震かと思うほどに騒々しい。入口近くの俺のベッドが特に揺れたその理由は、早朝にも関わらずタンスを引きづる重低音、ベッドが廊下の手すりにぶつかるカーンという音、精一杯声を潜めてもよく通る看護師の声。緊急なのよ、朝から…と愚痴を吐く声が耳に入っていた。

「今日はなんだか生き生きとした目をしていますね。お顔拭いてみましょう、ちょっと待ってて」
おもむろにナースステーションへ向かい、戻ってきた彼女が持っていたのはたっぷり湯気のあがったおしぼりタオルだった。
ハンバーグの空気抜きのように左右の手へと移し替えるその仕草は、コミカルで少し可愛げがある。そして纏っていた霧はなくなり、空気を抜く必要もなくなったタオルは真っ白で、清潔な匂いがする。

”さあ、ギッチリ拭いてくれよ”
目を閉じて、強い力に備える。

しかし今日は<清潔>が顔にやって来ない。代わりに、その温かさは手に訪れた。
「一緒に持ってみましょう」
右手にはタオル、その下には彼女の手。すっかり筋肉のなくなった俺の二の腕には、彼女の手のもう一つ。
「しっかり握っていてくださいね」
顔だけに当てるとわからない、ザラザラとしたタオルの感触。キュッと手に馴染み、力が入りにくい今でも手から滑り落ちることはないと確信できる。補助されながら次第に上がっていく自分の右腕。小刻みに左右へ触れながら徐々に近づくタオル、とそして自分の右手。もうすぐ目のあたりに…

「もう一回やってみましょうね、もうすぐですよ」
いいところまで肘は曲がったが、急に力が抜けてコントロールを失った右腕は額にクリーンヒット。1回目はこんなもんか。少しジンジンする。
諦めにも似た気持ちを抑えてトライする2回目。

右腕を上げてもらい、少しずつ近づく自分の手と、目やにでいまいち開ききらない目。彼女の手にも力が入っているのがわかる。普段の病室とは違う、白くて透き通った香りが次第に鼻に近づいてくる。まだ気を抜いてはいけない、細心の注意を払って自分の目まで3 2 1…

やったぞ 俺は!

目まで達すればあとはなんとかなる。目全体が隈なく掃除できるよう、やっと動かせる手首を使って顔にタオルを押し付け、左右に動かし汗やら何やらをこそぎ取っていく。
ほどよい圧感が凝り固まった目に心地よく、肩、背中、腰から足まで温泉に浸かったようにほぐれていく気分だ。

生きてる、って感じ。

思い返せば、あの子が生まれて産院から戻ってきた夜。布団の中で我が子の顔を拭いたタオル。ひとしきりご満悦の表情を浮かべたあと、すぐに眠ってしまったことは忘れられない。
今こうやって自分の顔を拭けている事。本当に、首から上だけでも、生まれ変わるような気持ちよさだ。


「じゃあタオル、戻してきますね」
と声を掛けられた時には、彼女も小刻みに震えていた。疲れたのだろうか。顔拭きにしては長い時間が経っていたのだと思う。俺の感動とは裏腹に、彼女はそっけなくナースステーションへ歩き出してしまった。

それからというもの、彼女がいくら時間がなさそうにしていても、マッサージや立つ訓練を省略してでも、自分で顔を拭く時間を設けてもらえるようお願いした。刺激のない入院生活の中で至福のひと時だったからだ。リハビリだから怒られるかと思い、デイルームでのあの時間から何日かは我慢したが、意を決して言ってみると、なぜか照れた様子で「いいですね!」と返事があった。それから彼女が来るときは必ずあの白いタオルを携えてやって来るようになり、顔拭きの時には毎度「あっ、しっかり握れてる」「こんなに左右に動くようになったんだ」とつぶやくようになった。彼女なりに思うところがあるようだった。

そうこうしているうち枕をつっかえにし腕を固定しながらスマホ入力ができることを発見し、家族と連絡が取れるようになった。さらに病前の息抜きにしていたパズルゲームへ没頭するようになってからは、彼女との顔拭き活動は少なくなっていった。
というのもある日、リハビリの時間でもないのにいきなり病室に駆け込んできて、他のリハビリ職員まで呼んで「スマホ触れてるじゃないですか!」と一しきり大騒ぎした後から「タオルはやりたい時に言ってくださいね」と言って顔拭き活動を辞めてしまったからだ。
確かに朝の顔拭きも、看護師は俺にタオルを渡してそのまま立ち去るようになってしまったし、実際その方がゆっくり身体を拭けて心地が良い。だからわざわざ作業療法の時間にやらなければいけないことでもなくなっていた。そのうち彼女は産休を取るといって来なくなり、作業療法には別の担当者が来るようになった。

そして学校を卒業したての男の子が毎日来るようになった。彼は若くて元気があるのか毎回広いリハビリ室へ連れ出すようになり、デイルームでのあのささやかな喜びが霞むほど日々手足の練習に励むことになった。
関節の曲げ伸ばし、力を入れて抜いての繰り返し。ひと段落したと思ったら立ったり座ったり、はめ込みパズルを何度も何度もやらされる。
正直、これはリハビリという名のしごきだと思う。
しかし俺はしごきには慣れている。うまくできなくても、何度も繰り返し、身体で覚えて身に付ける。職人の世界はそういうものだ。リハビリは怪我をしないようコーチが傍に付きっきりだから、職人の修行よりずっとマシだ。と言い聞かせて取り組んでいる。

でもやはり疲れるし息は切れる、筋肉痛にはなる。頭がくらくらするほどに脳みそを使い、リハビリから帰ってくれば即昼寝だ。


ただ、俺は忘れないと思う。


我が子を思い出しながら拭いた自分の顔。
生まれ変わっている自分がいる。

「さあ足を上げて、保って」

もう一度、自分の足で踏みだす。必ず。


ベッドに戻ると、面会の時に置いていった朝顔が、もうすぐ開くところだ。

おわりに

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
きれいな奥さんに可愛い子供、大きな車にピカピカのおうち。
準分満帆な生活を送られていたことと思います。
唯一休みの日曜日、路面はアイスバーン。不幸にも交通事故で大けがを負い、後遺症が残る結果となってしまいました。

診断名としてはいわゆる脊髄損傷をイメージしています。
現代の医学では完治することはなく、後遺症の残る障害です。

とはいえその程度は様々で、回復の度合いも全く手足が動かない方から、ぎこちなさはあっても車を運転して概ね通常通り仕事に復帰される方まで様々です。
今回のお話では特定を避けるため、脊髄損傷に限らず多様な病態を織り交ぜて創作したため、特に当事者、医療関係者の方には不思議に思った方もいるかもしれません。
あくまで読み物としてご提示していますので、ご了承のほどお願い申し上げます。

作業療法士として、Aさんへの寄り添い
今までちょっぴりやんちゃして過ごしてきたAさん。アクティブに活動してきたのに、自由の利かない身体を抱え病院にいるのはさぞ不本意なことでしょう。先ほどもお伝えしたように、現代の医学では病前と全く同様に手足を動かせるようになることは困難です。もちろん筋トレや動作練習で可能な限り生活に必要な力をつけていくことは行いますが、幸運に障害が軽くて済んだ方でも100%の満足で地域生活を送られている方はいらっしゃらないように思います。

リハビリを伴う入院というのは1か月、2カ月では終わりません。長期の入院生活では張り合いがなくなりがちで、精神的にも荒んできます。まして体調のすぐれない状態ですから、一人で健康的な精神を保っていくのは案外難しい事なのです。
また身体障害に対するリハビリというのは主に筋トレ、動作練習ですから、気持ちが乗ってこないと進みも悪くなります。仕事や家庭がうまくいっていないのに、ジムに行って身体を鍛える意欲は湧きませんよね?しかも身体が思うように動かせなければ、筋トレも動作練習も嫌になってしまうことは容易に考えられます。

しかしそれを精神論で乗り切ろうと「頑張って、もっと!」と追い立てたり、「これをやらないと…」と脅したりすることもできません。一方で、リハビリも立派な治療ですから「辛いからやらなくていいよ」とも言えません。

そんなとき、作業療法士はどうするか?
Aさんは「彼女」の怒りを避けるために思わずおべっかを言ってしまいました。

”姉ちゃん、いつも顔拭いてくれて気持ちいいよ。朝は看護師が拭いてくれるけど、昼間は頼みにくくてなあ”

「彼女」も思い悩んでいたのだと思います。Aさんの体調は安定せず、リハビリをどんどん進められる状態ではない。見た目にもわかるやんちゃさ、しかし来室するたびに窓の外を見つめ、マッサージをしていても大した反応もなく、何か気晴らしになる作業活動をお示ししようとしても手足が動かせる状況でもない。
そんなときに受け取ったあの言葉は、Aさんにとっては「口から出任せ」だったかもしれませんが、一方で「彼女」にとっては突破口だったわけです。

デイルームに連れていき、広い景色を見せながら、心身の体調がいい時を狙って顔拭きをしてもらう。
腕はまだ自分で上げられないけれど、わずかに動く手先で顔を拭く気持ち良さを味わうことで、自分で顔を拭けた達成感を得て少しでも自分らしさ、自主性を回復していってくれたら…。
作業療法士としては賭けだったかもしれません。できなかったらAさんの失敗になり、ますます落ち込んでしまうかもしれない。もしくは顔を拭いてもAさんは別になんとも思わないかもしれない。はたまた、普段挙げることの少ない腕を目いっぱいまで上げて、ふとした拍子に肩を痛めてしまうかもしれない。
でもそれらの賭けは、リスクのない賭けです。失敗しないよう、腕をしっかり支える。顔を拭けた達成感がなくても、きれいになったらそれでヨシ。肩を痛めないよう、手の先まで支えAさんの表情もつぶさに観察する。そういう対策をしていれば、成功はしなかったかもしれないけど、失敗とも言えない程度には済むわけです。

では、結果としてAさんにはどのような気持ちが生まれたでしょうか?

生きてる、って感じ。

そしてこの言葉、別の個所でも登場しています。

現場で働いていたときは、クールミントの汗ふきシートで体中を拭いた後、時折吹く風が痛いくらい清涼感を感じるあの瞬間が最高にクールだった。
生きてる、って感じがした。

Aさんはデイルームで顔を拭くという行為を通して、”職業人として誇りをもって働いていた病前の自分”との連続性を体得したことが暗に示されています。

作業療法とは、目に見えないものかもしれません。
Aさんに行ったことといえば、傍目には車いすに乗せて、デイルームに連れていき、顔を拭かせただけ。でも顔を拭くことは手の練習になり、自分の身体の感覚を再獲得する機会になり、自分の力でできる喜びを取り戻すきっかけになり、病気になった現在の自分となんでも一人でできた過去の連続性を回復させる作業であったわけです。
もちろん、顔拭きだけで立って歩けるようにならないのは自明です。
でも作業療法というのはそういう全人的アプローチの視点を強く持って働きかける理論をもつのが強みであると思います。

そしてAさんは自分の顔を自分で拭けたとき、このようにも思い出しました。

思い返せば、あの子が生まれて産院から戻ってきた夜。布団の中で我が子の顔を拭いたタオル。ひとしきりご満悦の表情を浮かべたあと、すぐに眠ってしまったことは忘れられない。

我が子の顔を拭いたタオルと自分を重ね合わせ、一人で身の回りのことがままならない自分を投じ、育っていく息子を思い、Aさん自身も生まれ変わっていく過程を表しています。
病気をする、そしてその障害と付き合っていくというのは、これまで生きてきた自分の歴史をすべて基盤とし、その上で新たな自分を上手に積み重ねていく生まれ変わりの作業だと思っています。
作業療法士である「彼女」は「顔拭き」という作業にそこまでの意味を必ずしも持たせられたわけではありません。しかしその人の生活に根差した行為、作業というのは、その人の歴史をも内包した概念であり、それを再獲得する過程というのは生まれ変わりの作業を支援する、いわば生き直しの過程でもあるわけです。
その人の全部はわからないけれど、その人にとっていま、最善であるコトができるように手伝う。作業療法士の専門性の本質というのは、そこにあるように思い働いています。

Aさんのその後
Aさんも病院でこれだけ大変な思いをしてリハビリに取り組まれた後、おそらく麻痺があって動かしづらさを残しながら自宅に帰り、家族と過ごされているのではないかと思います。
皆様の中には、後遺症が残り気の毒に思うかもしれません。確かにパーフェクトではないでしょう。しかし今は訪問介護等の介護サービスも豊富で、身の回りのことが自立しきらずとも自宅で過ごしていける時代になりました。家族と過ごす時間はかけがえのないものだと思いますから、家に帰っても案外それなりに暮らしていけるのではないかと専門職としては思っています。

また仕事に関しても、ご存じの通り現代はIT機器が発達しています。在宅ワークもある程度普及しつつあることを考えると、もはや会社に歩いて出勤することすら必須ではない世の中です。
私が昔勤務していた職場で、印象に残っている方がいます。とても上品な方で、大した文句も言わずいつも静かに過ごされ、ご飯が出てくれば食事をとり、リハビリの時間には訓練スペースに行き、そして後の時間はベッドにPCを持ち込みずーっと仕事をしている方でした。療養しているはずなのに。
いつも消灯ギリギリまでPCを見つめ、携帯電話を駆使し”働いている”その様子は衝撃的で、もう10数年前のことにはなりますが、大学を出たての新人の私には病気をする=引退の頭しかなく、今でもその方の姿が鮮明に思い出されます。
その方は毎日病室で”働いている”わけですから心なしか雰囲気もピリッとしていたように感じます。リハビリに伺う時はまるで自分がスーツを着ているように精一杯背筋を伸ばし「失礼します!」と、いつにも増して礼儀正しく挨拶してから入室していたことを思い出します。

ですから今は、障害があっても生活のスタイルを保つことが出来る場合もあります。ケースバイケースですが、Aさんのことを私はさほど悲観していません。その心身の状態にあったキャリアチェンジは必要だと思いますが、そういったスキルを身に付けていけるかどうかはもはや狭義のリハビリを越え、Aさん自身の人生設計によるものです。あとは「社会福祉士」などの専門職もある領域になりますので、もしAさんのような方が私の手元にいらっしゃったら、キャリアチェンジしていける心身の基盤を作っていけるようリハビリを組んでいければ、と思っています。

最後になりますが、Aさんは全く架空の人物です。いかなる現実の方とも交わらない架空のケースですので、ご承知おきください。


いいなと思ったら応援しよう!