わかりやすく「わからせない」沼にハマる 「自分の頭で考える読書」(荒木博行著)
恐ろしい構造の本だと思いました(笑)
著者の荒木博行さんは、グロービス経営大学院の講師をやられていたことがあり、実は昔、一度、体験授業を受けたことがあります。
受ける前から他の受講生の間で評判だったと聞いており、実際に受けた体験授業も、非常にわかりやすい授業で、目からウロコなアハ体験みたいな気持ちになったのを覚えています(内容は覚えていませんが…)。
思考過程一つ一つは、そこまで難しくない(気がする)のに、積み上げていくと気がついたら鮮やかに問いと答えが導き出されているというアハ体験みたいなものが、普通のビジネススクールとは違う楽しさを感じさせてくれました。
漫然としてたら放置してしまう思考そのものを疑ってみるという姿勢を感じたような気がします。
思考停止に陥らないで、問い続けることが大切
ということが本書において通底しているメッセージのひとつだと思います。
本書は、文章が非常にわかりやすいのですが、著者の姿勢は、必ずしもわかりやすいとはいえないと思います。
なぜなら、「わかった!もう大丈夫」と思考停止に陥ることに対して、警鐘を鳴らしており、考えることをやめさせようとしないから。
書いてあることはわかりやすく、スムーズに読みやすいし、ところどころかわいいイラストが入っており、本の言いたいことも分かる気がします。
しかし、この本のいいたいことがそこで終わることを許さないがゆえに、「問い」が残されます。
その状態を「楽しみましょう」と、かわいいイラストとともに「終身エンタメチャレンジ」とかいうのですから、恐ろしいとしかいいようがありません(笑)
まさに沼にハマるという感じでした。
少しなぞってみます。
(今回も仮に意図通り読めていなくても気にせず妄想展開します。ゆえに以下個人的妄想です)
本のあらまし
印象的な見出しを拾ってみる
本書は、「本とどのように付き合っていくのか?」ということに対するコンポーネントをまとめたとされています。
上述のとおり、文章そのものは読みやすく、書いてあることもなんとなくわかったような気がします。
また、各項目の見出しが特徴的で印象的なものが多いと思います。
いくつかあげてみると
・われわれが乗っているのは、「障壁のない巨大タンカー船」
・「終身エンタメチャレンジの道を選ぼう」
・本の最大の魅力は「魅力的ではないこと」
・本は「読み手」によってはじめて命を与えられる
・読んだ冊数の多さよりも、よい「問い」に向き合う時間を大切にしよう
・自分の「問い」の抽象度を高めることによって、過去の叡智との「航路」をつくれ
・積読空間は「ビオトーブ」である
・「役に立つか?」という問いに意味はない
・「熱狂」と「懐疑」のバランスに答えがある
などなど…
これらのサブタイトルだけを見ても、思考停止せず、自分の頭で考えましょうというメッセージを感じることができます。
本の3つのカテゴリー
本書では、全体において、本を読んだときの「問い」と「答え」の構造を意識します。
そのうえで、本のカテゴリーとして
・今まで考えたことのない「問い」を提示する①「問いの発見」
・既存の「問い」に対して、新たな回答を示す②「答えの発見」
・既存の「問い」に既存の「答え」を提示する③「既知のリマインド」
に分類します。
このカテゴライズをベースにバランス良くポートフォリオを組みましょうというアドバイスがされています。
なお、ここでは既存の答えに対して、新たな問いのカテゴリは(たぶんない)という整理をしています。
沼にハマる
既知のリマインド
本書では、自分を作る読書として、以前本noteで取り上げさせていただいた「読んでいない本について堂々と語る方法」と「世界は贈与でできている」が紹介されています。
特に、「読んでいない本について堂々と語る方法」については、「共有図書館」のことも紹介されています。
共有図書館については、その本の「問い」と「答え」の位置関係を把握することの重要性について触れています(「読んでいない本について堂々と語る方法」は、本noteを再開するきっかけになった本で、コンセプト本にしているので、勝手にうれしくなったりしてます)。
一度読んだことのある本の紹介部分は、以前読んで見た私にとっては既知のリマインドということになると思います。
本書では、本そのものを読むことやその技術というよりは、むしろ、本を通して「問い」と「答え」を把握する、自分の頭で考えることが重要であるということに重点が置かれていると思います。
この本は、何を問うていたのか?
本書の「問い」は、何なのかについて考えてみようかと思います。
冒頭のはしがきを見る限り、それは
「本とどう付き合っていくのか?」
ということではないかと思われます。
この「本とどう付き合っていくのか?」という「問い」に対し、たぶん、以下の「答え」を言っていると思います。
①本との間に壁を作らない
②自分の頭で考える(本書のタイトルでもある)
まさに言っているとおりだと思える内容で、これで「問い」と「答え」がリンクして、これですっきりしそうです。
それで、よく分かりました、はい終わり、でもいいのですが…
気になるのが、ここでの「答え」が、「自分の頭で考える」になっていることです。
自分の頭で考えることは「懐疑」の目を持ち続けることとも言いうると思います。著書の中でもそのような記述があります(本書についても懐疑の目をもってほしいと述べられています。)。
著書の中に、熱狂7割、懐疑3割がいいという記載があります。
つまり、無批判に熱狂10割で読むのではなく、3割くらい懐疑の目を向けましょうと言っています。
本書の「問い」と「答え」の結びつきは、明快で一見懐疑の余地がなさそうに思えます。
問い…本とどう付き合っていくのか
答え…①本との間に壁をつくらない
②自分の頭で考える(懐疑の目を持つ)
しかし、「答え」の中に「懐疑をもつ」が入っています。これはなんだか恐ろしい予感がしてきます。
思うに、「自分の頭で考える(懐疑の目をもつ)」という「答え」は、間違ってないというかその通りのような気がします(これが間違っているのかを検証しようとしたら気持ち悪くなりそう)。
そうすると、懐疑の目を向けるべきは、「問い」の方ではないか?
つまり、この本の「問い」は、本当に「本とどう付き合っていくのか」だったのか?
本書には以下のような記述があります。
ここから感じられるのは、「本との付き合い方」という「問い」を立てつつ、本当の「問い」はもっと違うレベルにあったのではないか、ということ。
「懐疑」の目を向けることで、「問い」だと思っていたものは、実は本当の問いではなく、新たな「問い」の発見に変わるのかもしれません。
すなわち、この本は、一見して明快な「問い」と「答え」のリンクに懐疑の目を向けさせることで、明快と思われる「答え」に対する既存の「問い」のほうが更新され、結果既存の「答え」に対する新たな「問い」を発見させる構造になっているのではないか?
つまり、本書は、本のカテゴリーで自ら④(たぶんない)と分類された既存の答えから新たな問いを発見させる本になっているのではないか、、、というのが妄想です。
若干妄想をぶっ飛ばしすぎた気がしなくもないですが、気にせず書いてみました。
ただ、熱狂10割本に懐疑を挟み、沼にハマると大変なことになる(いい意味で)ことは間違いないと思います(笑)
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