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読みたいことを、書けばいい。(田中泰延著、ダイヤモンド社)

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ふざけた本だった。おじさんが、ずっと最初から最後まで悪ふざけをしている感じだった。だから、この本を紹介するかどうか迷った。自分だけで、こっそりよんでクスっとすればそれでいいかなという気がしたのだ。

この本の根本原理は、「自分が読みたいことを書けば、自分が楽しい」ということにある。著者は、この本を書いてきっと自分でプークスクスと面白がっているはずである。

ふざけている本が面白いとは限らない。ふざけているのにつまらない本というのはある。そういう本は、たぶん途中で読むのを辞める。
逆に、真面目な固い本がつまらないとは限らない。

面白いか面白くないかの基準は、ふざけているかどうかではないということだと思った。

ただ、面白いか面白くないかの明確な分かれ目は、結局よくわからない。でも、この本はふざけているけど面白かった。

ふざけているからと言って大事なことが書いていないかというと決してそんなことはない。というか、この本は浅瀬でふざけているようにしていながら、突然深海に突き落とされるような感覚に陥るときがある。

で、次の瞬間、またふざける。1頁に数回はふざけているので、深海に突き落とされたのはもしかしたら私の幻覚だったのかもしれない。


ここまで書いて、一回書いたことを訂正したくなってきた。

あーもしかしたら、そこまで悪ふざけ一辺倒の本ではなかったかもしれない。

でも、全部書き直すのが面倒くさいので、ここから先は私が印象に残ったことを何点かとりあげます。

どこまで、ふざけていたのかは皆さんが確かめてみてください。

「随筆」とは、「心象と事象が交わる文章

読みたいことを、書けばいい。

この本のハイライトを書くとしたら、この部分が上がってくると思う。
筆者は文章の90%が随筆ではないかという。
事象を中心にして書かれたものが「報道」や「ルポルタージュ」で
心象を中心にして書かれたものが「創作」や「フィクション」である。

「報道」にも、たまに心象が入っていることはあるし、「創作」にもたまに事象が入っていることがある。
だから、ほとんどが心象と事象が交わる「随筆」というわけだ。

あれ?全然ふざけてなかった??

「起承転結」でいい。

読みたいことを、書けばいい。

著者は、書く形式は起承転結で十分という。

起:実際の経験だという前置き
承:具体的に何があったか
転:その意味は何か、テーゼか
結:感想と提言。ちょっとだけ

①発見 ②帰納 ③演繹 ④詠嘆

と整理する。

著者は、新聞のコラムはだいたいこのパターンだという。

① 今日、Aというものを見た。
② Aの特徴から考えると、Aの本質はXであろう。
③ と、なると、BにもXは当てはまるしそれどころか現代社会全体の本質はXなのだ。
④ ああ、軍靴の音が聞こえてくる。

読みたいことを、書けばいい。

④が明らかにふざけているが、それ以外はそうでもなかったか。

ともかく、「事象に触れて論理展開し心象を述べる」という随筆に起承転結ほど効率よく使えるコード進行はないと著者はいう。



冒頭でも書いたが、この本の根本原理は、「自分が読みたいことを書けば、自分が楽しい」ということなのではないかと思う。

我々は宇多田ヒカルやイチローではないのだから、どうせ、だれも読まない。だったら、自分が読んでプークスクスってなることを書けば自分が楽しい。

この本の著者は田中さんという方だったが、小学校のときに田中君という友達がいた。
田中君は、僕に、「アンパンマンの作者を知っているか?」と聞いてきたことがあった。
「え、やなせたかし?」と答えたら、「違う、ジャムおじさんだ」と答えてきた。
僕は、田中君に対して言いようのない怒りが込み上げてきた。機嫌が悪いときだったら、一歩間違えたら手を出してしまうかもしれなかった。
本当にささいな、どうでもいいことから、暴力の連鎖が始まる。暴力の連鎖は、怒りがさらに次の怒りを引き起こし、危険な戦争の道へとつながっていくのだ。

ああ、軍靴の音が聞こえてくる。


どうせだれも読まない

だったら、自分が後から読んでプークスクスってなるものを書けばいい、自分が楽しくなるから、そんな感じです。


そんなわけで、自分が読みたいものを書いて自分が楽しんで、「今日一日を最高の一日に



ここからもだいたい言いたいことが読めます↓


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