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【HSP】わたしのまえでケンカすんな【INFJ】
特に職場。
別にさ、みんなが働きやすい笑顔溢れる職場を望んでいるわけじゃないし、職場への帰属意識がめちゃくちゃ高いわけでもない。
でも、一年のほとんどを過ごすような場所が居心地悪くなるのはイヤなんだよね。
というか、なんでケンカすんの?
どういう関係が原因でケンカが起きるの?
たかが職場の人間相手にさ。
ケンカあるんだよね。お仕事柄元ヤンキーやら元レディースやら血の気が多い人間が多いからさぁ……。
しょっちゅうどデカいケンカが起きるわけじゃないけど、年に何回かはトラブルになっているのを見たり聞いたりしている。
そんな、わたしとは種類が違う人間が多い職場に、どうして帰属意識なんて持てるのだろうか。
まあいいや。
妙なくくり方はしたくないけど、若い人間ほど会社への帰属意識は低いと思う。たぶんひとつの会社で人生を終えようと思っていないだろうし。
かくいうギリギリ若い世代のわたしでさえ、チャンスがあるなら転職したいと思ってるし。
そりゃ業種にもよるだろうけど、会社への帰属意識なんてのはこの先低下していく一方なんじゃない?
知らないけど。
なんでこんな話をしているのかというと。
つい最近、職場でそこそこ大きめのケンカの現場に居合わせてしまったから。
もちろん、わたしとはまったくの無関係なケンカだったけど、そのあとのお仕事中やなんなら帰ってからもずーっともやもやして過ごすハメになってしまった。
無関係のことでもやもやしている自分が鬱陶しいのと、わたしにこんな不愉快な思いをさせた職場の人間に腹が立ったので、今回はどうしてわたしがこんなにケンカが苦手なのかを徹底的に深掘りすることにした。
彼を知り己を知れば百戦危うからずってね。孫子もそう言っています。
とにかく、わたしはケンカするのはもちろん、ケンカしている人間を見るのも苦手。わたしとはまったくの無関係のケンカだったとしても、ふつうに動悸がするし動揺する。
感情を爆発させて大声で口論するケンカも、陰でこそこそ言い合う長引くケンカも、できることなら見たくないし聞きたくない。
目の前で起こっていることも苦手なら、ドラマや映画とかでのケンカも苦手。とことん娯楽に向いていない人間なんだけども。
それくらいケンカが苦手なくせに、目の前でケンカが勃発すると仲裁に入ろうとするきらいがある。
どういう運命のイタズラなのか、ケンカを止める能力はあるみたいでして。
「ケンカを止める」といっても、その場の雰囲気をよくしようとか、公序良俗を守ろうとか、いわゆる平和主義的な思想から動いているわけではない。
理由についてはどういう場面でのケンカなのかにもよる。
深い関係の相手同士のケンカなら関係を保つために仲裁に入るけど、職場でのケンカなら、そのケンカの結果次第ではわたしを含め他の職員が損をする可能性があるから止めに入る。
ほら、たとえばケンカの張本人がお仕事を早退しちゃって、残りの時間を人手不足で回さないといけないとか、大声のケンカを見た他の利用者や患者が興奮して落ち着かなくなっちゃうとか、ケンカの原因次第でめんどくさい規則が追加されちゃうとか。
正直もし殴り合いのケンカをした当人たちが病院に送られようとも、個人的にはどうなってもいい。
でも「私情でケンカして、それで周りに迷惑をかけるのは違うよね?」っていう感情(正義感とでも呼べばよいでしょうか)から、正直どうでもいいケンカでも止めに入ろうとする。
無事に仲裁できたとしても、そのあとのわたしはずーっと動悸がするし、動揺するし、目の前のことに集中できないくらい疲れ果ててしまう。
へとへとになっている傍らで、さっきまでいがみあっていた当人たちは笑顔で仲直りをしていたりするのを見ると、「あれ、けっきょくダメージを負ったのわたしだけ……?」とさらにもやもやした気持ちになる。
まさに骨折り損のくたびれ儲け。
「できる」と「やりたい」は別物って、こういうことなのかしら。
というかいい歳こいてアホなケンカすんな。マジで。
ケンカが苦手なのは、相手から向けられた感情について正当な理由を考えてしまうから。
「こういうふうに思うってことは、これこれこういうことがあったのかも。でもわたしにはわたしの理由があって、ああいうことをしたわけなんだから、別にわたしに落ち度はない……とは言い切れないよねえ」
みたいな。
優しいね、わたし。
正当な理由というか、わたしに落ち度がなかったかを考えるクセがある。
基本的にわたしはわたしにとても厳しいので、大抵のイザコザで自分の落ち度を見つけてしまう。
一度落ち度を見つけてしまったら、それを棚に上げて相手を非難することができなくなる。
まあね、人間ってとても賢いから、相手はそこをとことん突いてくるわけよ。
ね、そうしたら退くしかないでしょ?
わたしがほんとうのほんとうに、本心から相手と衝突できるとしたら。
わたしに落ち度がなくて、誰が見ても相手の過失であることが明白で、何かしらの個人的信条に反することをされたときだけだと思う。
――でも、そんなこと絶対にないと言い切れる。
揉めごとで、一方だけが悪いなんてことほとんどないじゃん。
どっちも悪いことがほとんどじゃん。
みんな自分にもどこか悪いところがあるのをわかっていながら、それに目を瞑って相手を責めるじゃん。
「あなたが自分で選んだんでしょ」
「おまえが決めたことでしょ」
「きみが仕事できないのがいけないんでしょ」
揉めごとの原因になっている問題の本体には目を向けないで、その背後にある動かすのが難しいもーっと大きくて根本的な要素について、言い返せないような正論をぶつけてくるでしょ。
こういうのを、わたしは勝手に自己責任論と呼んでいるだけど、その正体ってたぶんこれだよね。
問題をどうにかしたいんじゃなくて、相手の反論を封じたいだけの言葉だよね。
こういう言葉は、わたしみたいに自分の落ち度をすぐに探してしまう人間に特別効いちゃうんだ。
書いていて気づいたけど、わたしがケンカ苦手なのは自分の落ち度を見つけてしまうからとかじゃなくて、負けるのがイヤなだけなんだろうな。
気が弱くて小心者でビビりなくせに負けず嫌いなんだよね。うすうす気づいてはいたけど。
幼いころに変なふうにスポーツやってたせいかな……。
まあいいや、たぶん治らないし。
勝たなくても負けない道を探りながら、この先の日々を生きていきたいと思います。ええ。
今回はこんな感じ。おつかれサマー。
みなさま、よき正義感ライフをお過ごしください。