この記事は、小学生が親の手伝いなしで弁当を作る「弁当の日」の素晴らしさを伝える記事です。
私が今回、この記事を書く目的はつぎのとおりです。
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◆教室では学べないことを学べる「弁当の日」の素晴らしさを知ってもらう
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1.前回までの振り返り
2001年10月19日。
この日は第一回目の「弁当の日」でした。
「弁当の日」発案者の竹下先生は、早朝、自宅の二階に上がります。
ベランダから校区(滝宮小学校の、通学区域)を見渡し「頼むぞ、火事を起こさないでくれよ」と祈りました。
2.「弁当の日」の朝
竹下先生は、学校に着くと5・6年生の担任※のところに行きました。
ケガをした子がいないか尋ねたのです。
結果は、『ケガ人:0』
何事もなかったのです。
その後、竹下先生はじっとしていることができず、「朝の会」が始まる前の教室をのぞきに行きます。
そこでは、きれいに詰めた弁当の中身がくずれていないか、確認する児童の姿がありました。
すると、【自分の弁当の確認】だけでは終わらず【弁当の見せ合いっこ】が始まります。
朝から、教室は大盛り上がり!
「うまそーッ」
「すごーい」
「本格的!」
といった歓声が響きます。
このような【見た目】に注目していた声をあげていた子どもたちですが、やがて興味は別の価値観に移ります。
それは”ひとりでどこまでやったか”です。
ところが、上には上がいるものです。
ここで、実際の弁当を紹介します。(第一回目の弁当ではありませんが)
弁当の名前が、実に子どもらしくてほほえましいです。
彩りだけでなく、盛り付けも美しいです。
第1回目の「弁当の日」は、大成功。
前回の記事で、竹下先生の「子どもって、まかせればけっこうできるよ」という考えを紹介しました。それが、まさに証明されたわけです。
ちにみに、弁当を忘れた子も、誰一人いませんでした。
3.感想(子どもと保護者)
ここで、子どもの感想を紹介します。
次は、保護者の感想です。
子どもって、教えてあげれば、できるんです。
今まで、やる機会がなかっただけなんです。
子どもの柔軟な発想には、驚かされます。
このような”失敗の経験”、”応用的な考え”は、教室で机に向かっているだけでは体験できません。
4.下級生からの憧れ
最後に、私の大好きな写真を紹介します。
滝宮小学校では、給食をランチルーム(全校児童が同時に昼食を取ることができる場所)で食べます。
5・6年生は、作ってきた弁当を食べますが、1~4年生は給食を食べます。
ランチルームでは、6人がけのテーブルに各学年が一人ずつ座ります。つまり、1~4年生は先輩の弁当を間近で見るのです。
滝宮小学校の給食は、自校給食(学校内に調理場があり、そこで作る)のため、アツアツでおいしいはずです。
しかし、5・6年生の手作り弁当にはそれを上回る魅力があるのでしょう。
左側の男の子をご覧ください。
6年生の弁当をうらやましそうにのぞきこんでいます。
(おいしそうやなぁ、あのたまご焼き)
と思っているのかもしれません。
(僕も弁当を作ってみたいなぁ。トンカツに、ソーセージ・・・・・・好きなものばかり、つめこんじゃうぞ)
と考えているかもしれません。
いずれにしろ、彼の表情が先輩の手作り弁当の魅力を表しています。
そして、写真右側の弁当を見られている6年生の女子も、たいへん堂々としています。
これが、さきほど言った私の大好きな写真です。
そして5年後・・・・・・
1年生だった男子は6年生になり、今度は”見られる側”になります。
さきほどの写真と並べてみます。見比べてみてください。
6年生になった男子は、落ち着きのある立派な顔つきをしています。
1年生の頃に抱いた先輩への憧れが、弁当の内容に反映されていることでしょう。
横にいる女の子なんて、牛乳を飲む手をピタっと止めて、弁当を食い入るように見つめています。
このように、下級生に、上級生の弁当を見せて、「憧れの気持ち」を持たせる場が設定されていました。竹下先生のやり方は、実にうまいと思います。
さて、大成功に終わった「弁当の日」。
しかし、その裏には、先生方や栄養士の方の”知られざるたいへんな苦労”があります。
「弁当の日」は、日本で初めての試みです。
参考になる資料はなく、アドバイスをしてくれる人もいません。
次回の記事では、そのような過酷な状況でも子どもたちのために奮闘した職員のみなさんについて書きます。
ご期待ください。
引用した部分は、note上で読みやすくなるよう改行などを加えました。
また、太字にしたのも私です。
参考文献一覧は、こちらです(外部サイトにまとめてあります)