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私はお汁粉が飲みたいの



分析する前に思ったこと。
・このバスケットって、頭の中のマインドかも!バスケットって一つのバスケットにいろんな花が入っていますよ、っていう絵面だよね。
ワンネスって感じだな。自分や他人っていう区別がない。花の種類=個体や個性の違いはあるけれど、区別がないんだろうな。自分と他人を区別していることが原因ですよ、ってことかな。
たしかに自分のお金!っていうと自分の〜ものが減るのって怖いって思いやすいかも。人のものが減っても痛くないが、自分のものが減ると怖い…っていう。
・自分のお金の「自分と他人」っていう分け方ってマインドじゃね?自分のお金、他人のお金っていう考え方がもうマインドなのかも。自分と他人を分けれれば「自分のもの」感覚が生まれて「独占欲」や「もっと欲しい」や「減るのが怖い」「亡くなってしまうのが怖い」といった喪失〜欠如意識を産んで、執着になる。マインドの罠じゃねーか!
・自分のお金をちゃんと管理しなきゃいけない
 自分のお金を大事にしなきゃいけない
 自分のお金は使っちゃいけない
 どこからも収入がないのに自分のお金が減るのは怖い
 家族からお金を貰えば自分のお金が減らなくて済む
・完璧主義も「私」じゃないマインドだったな。
自分と他人を区別しているのは他人で、自分の物を使いたくないのもマインドで、そのマインドにいま私は悩んでいる。
…バスケットと美のカードは花がまとまっているという点で似ている。
シャボンだ浜と言えば、ふわふわと自由に浮かんで飛んでいく。
きっちりこう!これは自分!あれは自分!っていう境界線がないように思える。実際、シャボン玉に触れたら消えてしまう。おたがいにぶつかって消えてしまうこともある。

【美カード】

・分離利欲求:誰が稼いできたお金だと思っているんだ!!!
人の働いてきた金で勝手なことをするな!!!!
働いてもいないのに贅沢しようと思うな!!!!
(贅沢していいのは働いて稼いでいる人だけで自分だけ贅沢していいんだと家族に向かって言う、祖父と母親など)
贅沢したかったら自分で働いた金で買え!!!!!!!
(マインドに操られる親[マインド人格]は子供もマインド人格を植え付けてマインドクローンとするために、あらゆるマインドが操縦しやすい、恐怖に反応しやすい状態を作るため、単細胞バカで人間よりバカなマインドに気づかない親の立場の人間をいいように利用して子供にマインドクローン…マインドの人格を作成してマインド人格が子供の人格より強くなるよう、マインドを自分だと思いこむように洗脳操縦支配してくる。

毒親毒親っているのはこのマインドのことであり、毒親の毒とは、アダムとイブをそそのかしてマインド人格をまんまと植え付けた悪魔の化けが毒蛇の毒である。
つまり親が毒なのではなく、親のなかにあって親ではないマインドの人格が毒なのである。
つまり毒親本の本を作った人がもしマインドに気づいていないならこの毒親本というテーマの本はすべて、マインドが書いている。

そういった理由から、毒親という言葉に惑わされて、毒親=親が悪い、親ガチャなどという言葉を使っている人間はマインドの毒にめっきり冒され、その人の人格マインド一色、それが学校いいとか自分らしさだと思い込んでいる。それのどこが格好いいのか。そう言えばムキになって人を馬鹿にしてくるのがマインドのいつものパターンである。

親と同じマインド(自分を我慢させえてマインドのために自身を抑えつける、多重人格性、精神分裂性…マインドに我慢して→我慢した嫌なことを分裂した自分に押し付けたり、マインドの癇癪や暴力のために自分のやりたいことを我慢して分裂体二我慢を押し付けてどんどん感情=多重人格、精神分裂が起きて、マインドが本人格を乗っ取る現象によってマインドが人間を乗っ取っているワイ愛が強い)人格がものすごく強く、マインドと自分を同一化している、と断言する。

たまに、毒親本について言及し、毒親ぼんなんて読んだら毒にあたるぞと言っていた。なぜなら気付かないで読んだら毒に冒されることなんてわかりきっているからだ。これがマインドの特徴だ!と思って読むのと、親が悪いんだ!(毒親本から恐怖を感じるだろうネタを読み取ったマインドがパターン通りに脅して、まんまと騙されて、自分が親が悪いと思い込んでいる)って思うのとでは、まったく結果がちがうでしょう?学べることと来づけることに雲泥の差が出るのはわかりきっている。
私はマインドに操られる人を観察していても別にいいから止めないけれどな。マインドに食われるのも本人の自由意志と責任だから。そのあとにマインドと一緒に消滅しようとも、それが本人の意志なんだからしゃーない。

マインド人格になっているやつが真実なんて人間に見せることはないよ。不快感を自分だと信じたらマインドの思うツボだよ。
なんのかんのいって、私の発信している情報を説教だ、バカのひとりごとだ、えらそうになんか言っているぞ、ばかじゃねーの、知ったふうなことを言っている、なんか不快だから無視しよう、などと内側で反応してそれに従ってしまうのだ。
自分が誰かと賢いと思っているのなら目を覚ましたほうがいい、それはマインドが自分を賢いと言っているんであって、あなたはマインドにバカにされているのだ、あなたよりもバカなマインドに気づかない馬鹿で間抜けな人間犬だな、と。

・わたしはなんちゃらほにゃちゃちゃ言っていても、私なんていないのに何言ってんだ。私はダメだ、私はお金を無駄遣いする悪い子だ、私はお金を使わないいい子にならなきゃとかすぐ「私」なんてものを内面で作って偽装して「ああ、私はこんなことを思っているんだ」と自己欺瞞と自己憐憫を加速させてくる。かわいそうな「私」を演じている三文芝居のマインド。
私って言えば私だと思い込むカランいんげんは操縦されてしまうのだ。
私なんていない。ネガティブな私や自分と称するアドリブ台詞はすべてマインドが作った三文芝居の脚本である。

・ドラッグストアで割引券使って甘いものを買いに行った、というイメージの結果、働いてもいないのに贅沢するな我慢しろ言うマインド人格と、それにたいして言うことを聞かなきゃと思うマインド人格。
亭主関白〜?思春期〜?マインドの間違いでしょ〜〜〜〜〜〜なに格好つければごまかせると思ってんの〜〜〜〜〜〜〜〜〜?本当格好つけたがるよねえマインドって。その格好つけを自分だと思ってんだから。は〜〜あ。
どっちも気持ち悪い。私に言うことを聞かせて機嫌とりさせて俺私勝利で正義ってバカマインドの不快感を解消しようとするバカも嫌いだし、それに従わなきゃと思う私を偽装するマインドも嫌い。どっちも嫌いでどっちもバカ。なに三文芝居やってんだ。不快な脚本は本当にくだらないマインド作家のもので不愉快だ。

余談:元家猫の懐っこい猫がいたがよくかみつく、ちょっとデリケートな猫だった。扱いが難しいところがあった。変な癖もあった。やたら顔を人にこすりつけてくる変わった子だった。
やたら浮かんでくる映像や言葉はマインドがそう思わせたがる何がかがるのだが、私がこの猫を好きだった、飼いたかったと思い込ませたいらしい。
好きでも嫌いでもない。可愛らしいとは思ったし、美しい目の猫だなと思ったし懐いてくれるのは可愛いのだが、いかんせん、神経を使う子だった。ので、私としてはなでさせてくれて抱っこもできて気楽に触らせてくれる子のほうが気が楽だ。
その子は猫のほうが好きらしいらしく、よく猫とくっついて甘えているから、猫と一緒のほうが幸せかもしれない。よく仲間の猫を呼び寄せようとさみしげに泣いていたが、柄がそっくりの猫友達が見つかったらしい。近所の軒下に潜り込んでいくのを見た。



オラクルカード画像の引用出典」サイトワークス 天使の贈り物オラクルカード

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