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「生きていく上で、かけがえのないこと」若松英輔

人から勧められて、若松英輔さんの『生きていくうえで、かけがえのないこと』を読みました。

この本は吉村萬壱さんの本と同タイトルで、同時発売されているものです。本のタイトルと装丁、どちらも素敵です。

今回読んだのは若松英輔さんの方なので、そちらについて。

「眠る」「食べる」をはじめとした25の生きていくうえで、かけがえのないことを、言葉からの視点と、心や体からの視点で、優しく偽らずに語る。

感動することを日本語では「じーん」と表現することがあるけれど、感想を簡単に言うとするならば、じーんとした、が適切だ。

まず「書く」こと。

このテーマで若松さんは

うまくなど書かなくてよい。本当に心に宿ることを、手でなく、心で書けばそれでよい。

と書いている。

また、

これが、自分が書く最後の文章だ、と思って書くことだ。今書いている言葉は、生者だけでなく、死者たちにも届く、と信じて書くことだ。

とも書いている。

この本全体を通して、若松さんの文章はとても穏やかで、そして頭のてっぺんから指先まで自然な丁寧さを感じるが、この二つの文章を読んで納得だった。それは、もしいま若松さんが亡くなったとしても、最後の著作として十分に誇れる美しい文章であるからだ。

うまく書く技術よりも、自己を見失わない、心で書くことを意識して、そうして他者と向かいあいながら、自分も戒めていく。

次に素晴らしかったのは「喜ぶ」こと。このテーマはこんな一文ではじまる。

ある時期まで、よろこびが、これほどまでに深く悲しみと結び付いているとは知らなかった。

悲しみとは遠い距離にあると考えられている「喜び」が、実は悲しみと深い関係にあり、決して避けがたいことであるというのだ。 

この一文に、すでに悲しみが含まれていることが感じ取れてしまう凄さ。無意識だと思うのだけれど、それだけ若松さんの中で喜びと悲しみの結びつきが強いということでもある。

このテーマでは、喜びの文字の向こうに終始、悲しみが透けて見える。そのことにわたしはとても心が揺れてしまって、涙が出てしまったほどだ。

最後に

よろこびは、悲しみという土に咲く花だ

 という締め括りの一文も、悲しみに満ちている人、喜びに寄り添う人、どちらの心も優しく掬う感じがして、とても心地良い。

こんな調子で、若松節が効いた文章が続くのだが、どの文章も、淡々と書かれているようで、懐の深さを感じることができる。

いま抱えている感情を、周りの人間に託すことができないのならばせめて、若松さんのこのエッセイに託してみてもいいかもしれない。

きっと若松さんの文章は軽々とその感情を受け取ってくれるだろうと思う。

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