べーた

精神の話 旅の話 風景の話

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最近の記事

日記

 最近入ったバイトのグループLINEで店長から送られてきたメッセージがあまりにも酷かったのでその憤りをここで供養する。面接時は誰でもウェルカムみたいな感じで即採用され「俺はシフト削るってことは基本的にしてないから」と言っていたような人が、バイトとして採用が決まった途端ここまで態度を豹変させて社畜としての犠牲心を植え付けようとしてくるのが堪らなく腹が立った。とりあえずそのLINEの内容から とりあえず箇条書きでこの文章のダメなところを列挙してみる ・まず、「みんなからの信頼

    • 日記

      「きっと良くなるよ」と言われる度に、良くなってたまるかという気持ちが強まっていく その言葉に「ほら、ならなかったでしょ」って行動を持って言い返してやりたい 死への執着 生きていてよかったなと思えたことなんて無いし、意思とか希望とかそのための努力とか、それらの回転は全てもっと深い苦しみに落ちるための助走に過ぎなくて、気づいたら手も足も絡み取られてもっともっと深くへと沈んでいく   絶望してる時間か、絶望へ向かうための助走を希望だと勘違いしてる時間か、そのどちらかしかない、な

      • 日記

        助走時間が長ければ長いほど、スピードが早ければ早いほど、衝突事故を起こした時の脳の破壊は大きくなるんだと思う 今まで必死で走り続けてきた時間全てが鬱病になるための前フリに過ぎなかったんだなと今だから分かる  全部意味なんて無かった 絶対評価としての希死念慮の最大値が100だと仮定しても、だからと言って100になった時点で肉体的に限界を迎えて死ぬわけでもないし、これは言い換えると末期癌とは違って精神病の行き着く先は必ずしも死ではなく、自死を選ばなければ死は与えられず、こんなの

        • 揺れ幅

           GWの旅から帰ってきて一週間、まるきり体が動かなくなってしまった。GWの旅自体は順調でメンタル面もがくんと沈むことはなく、この調子なら名古屋に戻ってもまた生活を続けられるだろうと思っていた。最初は一日二日と何も出来ないまま過ごし、もしかして思ってたより疲れていたのかなと思い始め、にしては更に長引いていく体の不調がどうにも制御出来なかった。このようなことを書いてはいるが、何もせず体調が悪くなった訳でもなく、帰ってからずっと酒と薬に浸りっぱなしだったのはあるのでそれも良くなかっ

          日記

          今日、去年の春と全く同じ時間割を組んで、講義名を見るだけで鬱へと潰れていった過程を思い出してしまい気分が悪くなった。環境に恵まれ意欲的に授業を受けれていたのが一転してドン底に落とされたあの感触、好奇心が突如としてただの重たい鉛色の義務感へと変わった虚しさ、どうしていいか分からないまま泣き続けて壊れていく日々、全部嘘であって欲しかった。生きている限りあの日々は二度と記憶から消えないのだと思うだけで死ぬのには十分過ぎる理由になると今でも思う。何も呑み込めず受け入れられず泣いて泣い

          日記

          夜寝る前に温かいお茶を飲んでみたり、風呂のお湯に浸かってみたり、いい匂いのする線香を焚いてみたり、アイマスクで目元を温めてみたり、お酒を飲まないように抗酒薬飲んだり、朝早く目が覚めたら健康のために散歩に出てみたり、そういう自分の体を大切にするような習慣を何ともなしに続けていくうちに、やっぱり自分はこのような生活なんて何一つ求めてなんかいないことを知る。春からの復学のことを思うとこのままの生活を続ければどうせまた潰れるんだろうなと思う。せめてそうならないための対策を少しでも試し

          日記

          「こうするしかなかったからそうした」の行き着いた先が今のこの旅だか逃避行だか街歩きだか文章だか写真だかよく分からない漠然とした趣味であって、「こうするしかなかった」と未だに自分に言い聞かせて曖昧にしているどうしようもないあれこれを、どうにか救済しては貰えないかと、いつもそう思って  こんなもの手放して 早く楽になりたいだけなのにな 最近人に「お前に興味は無いけどお前の見ている世界には興味がある」と言われて、僕はずっと「自分には価値がないけど美しい風景には価値がある」と言い聞

          雨宿りの記憶

          朝早く通勤途中のサラリーマンと同じように最寄り駅の電車に乗り込み、見知った駅で乗り継ぎを繰り返す。境目なんて意識する間もなく、どこからかそんな日常の風景は非日常へと溶けていき、馴染みの無いローカル線で体だけぽつんと浮いたように存在していることに気づく。無人駅で降りたのち更に数十分バスに揺られると、ついさっきまで僅かにはあったはずの街の明るさは途端に消え去り、車窓は霧に包まれていた。 薄曇りの空は次第にその暗さを増していき、あぁ降るかなと心配したのもつかの間、大粒の雨が蝉時雨

          雨宿りの記憶

          京都生活最後の一日

           下宿に帰るとアパートの前に引っ越しのトラックが止まっていた。もうそんな季節かと思い出す。京都の街を出てからもうすぐ一年になる。あの春ほど僕にとって象徴的な春というのはこれから先訪れるだろうか。出会いと別れの季節、あれほど胸が引きちぎられるような経験をしたのは初めてだったし、同時に認めたくないほど新生活に希望と期待を抱いていたのも本心だった。春の色は眩しい。その眩しさに耐えられず、京都を出るまでも出てからも、毎日のように泣いていた。あの時の感情の温度感まではもう霞がかかって思

          京都生活最後の一日

          終の日の入り

          初夢の内容は覚えていない。ただ夢の中で泣きじゃくっていた事だけ覚えていて、目が覚めた時も涙が流れていた。動悸も激しく、心臓の鼓動が落ち着くまで一時間ほどかかった。去年も一人で泣きながらカップ麺の年越しそばをすすって年を越したけど、今年も涙で始まったなと思った。去年の年末年始もとても精神状態が悪くてバイトの行き帰りはずっと泣いていたしバイト中も隣の部屋から聞こえてくるお客さんの笑い声を聞きながら布団を敷き、マスクの下で泣いていた。あの頃はこれより苦しい状態なんて存在しないと思っ

          終の日の入り