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雨宿りの記憶
朝早く通勤途中のサラリーマンと同じように最寄り駅の電車に乗り込み、見知った駅で乗り継ぎを繰り返す。境目なんて意識する間もなく、どこからかそんな日常の風景は非日常へと溶けていき、馴染みの無いローカル線で体だけぽつんと浮いたように存在していることに気づく。無人駅で降りたのち更に数十分バスに揺られると、ついさっきまで僅かにはあったはずの街の明るさは途端に消え去り、車窓は霧に包まれていた。
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薄曇りの空は次第にその暗さを増していき、あぁ降るかなと心配したのもつかの間、大粒の雨が蝉時雨のようにバスの窓を打ち付けた。夏の暮れ、それも山あいとなると天候も不安定になる。折りたたみ傘では到底事足りない程の雨足に、車内には僕の溜め息が充満しているようだった。降車ボタンを押す。危険信号のような赤色が同時に幾つも灯ったのに何か不安を覚え、体が少し硬直したのを覚えている。旅先においてあの時降りなければよかったのかもしれない、と思う瞬間が幾つかある。この時がまさにそれだった。
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バスを降りた。雨足は弱まらず、集落を歩いても撮影は出来そうにない。日没が近いので撮影は断念してただ町を見て歩こうかな、などと考えを巡らせながら目の着いた商店の軒先で空を見上げていた。
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そんなことを考えていた矢先、商店の奥からおじいさんが出てきて「止むまで休んでいきなよ」と椅子を指さしながら声をかけてくれた。ありがとうございますと返答しつつ、せっかくなので何か買おうかなと店の中を見渡す。よく見てみると中々年季の入った建物で味がある。しばらく雑談した後、地酒を二本購入した。
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ふと外の方を見ると雨足はだいぶ弱まってきたみたいだった。店を出て再び傘をさし商店の方を振り返ると、山奥にしては珍しく二階は洋風建築になっていた。おじいさんの話によると大正元年築でこの辺の商店では一番古いらしい。親切な店主と雨宿りの時間を共に出来たのが印象的だった。
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雨が上がり視界の遮りがなくなったことでようやく街を見上げながら歩くことが出来た。剥がれ落ちた看板の文字、山の影が霧に遮られる風景、どこかでこだまする鳥の鳴き声。雨上がりの美しさに惚れ惚れとし、思わず深呼吸した。雨上がりの山奥の、しっとりとした空気感が好きだ。
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日没の時間が迫る。街灯の明かりが灯り始め、暮らしのある家からは光が漏れる。空の明かりと街の明かりが反転していく永遠にも似た一瞬の風景。出来ることならずっと浴びていたかった。
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暗くなってからもしばらく街を歩いた。四国の山奥の雨上がりの匂い、むんとした緑の濃度。風が吹く度あたたかく鼻の奥まで入り込んでくる山の匂いが幸せで、でもその幸せを感じている自分に嫌悪してしまうほどには負債となった自我が膨らみすぎて、この堪らない感情を全て焼き払って灰にしてしまいたかった。
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僕にとって「救われたい」と言うのは「幸せになりたい」ではなく、「存在を初めから無かったことにして欲しい、誰の記憶からもいなくなりたい、水や空気、風景になりたい」みたいなことなので、その意味で救われることはないと言える。それでも救われた気に一瞬でもさせてくれるのが緑であり風土であり、そこで連綿と続く変わりのない風景なのだと思う。一瞬を永遠に閉じ込めてしまいたいなどと、叶わないことばかり考えながら
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雨の日に傘も刺さずに狂ったように音楽を聴きながら歩きたくなる夜がある。それと同じくらい、旅先の静かな軒先で雨が止むのを待っていたい瞬間がある。そのような時間を等しく大切にしていけたらと思う。
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向こうに宿の明かりが見えて、そろそろ帰らないとと思いながら橋を渡った。ちょうどオレンジの灯りが漏れている部屋に泊まって、川の流れる音を聴きながら眠りについた。自然の音は耳をすませば時に恐ろしい程大きく感じる。同じ自然の音でも、例えば海の音は寄せては引いていく波の音が一定の周期を持って繰り返される。そのような周期を持つ音を聞くとその繰り返しに永遠を感じて感情が呑み込まれそうになる。川や雨の音にはそれがない。広い意味での強弱はあれど、ただ淡々と周期を持たずに上から下へと落ちていく。僕はそのような音の方が落ち着きを感じられて好きだ。
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この日を境に、雨宿りの時間が僕にとって特別なものになったのを感じる。詩も映画も、余白が多いものが好きだ。肩の荷を下ろして感受できる気がする。雨宿りも同様、傘を閉じてから再びそれを開くまでの短い時間に静かな余白が作られる気がして、その余白に身を委ねていたくなる。余白と言うほど白くなくていい。涙の色と同じくらいの憂鬱な雨を軒下で見ていたい。あわよくば靴下まで濡れながら
今まで過ごした雨宿りの記憶だけを全て紡ぎ合わせて人生の最後に走馬灯で見てみたい。このまま止まなくてもいいかなって受け入れて、そうやって消えたい。