「死にたい」とは、「生きたい」と訳すのです。
助けてって言えなかった私。
消えたかった私。
私は、いま生きている。
。。
「私に生きる価値はあるのでしょうか。」
海沿いの駐車場で、独り泣いたあの日のことを覚えています。
「どうしてこんなにも生きづらいのでしょうか。」
こっそり家を飛び出して、田んぼ道の行き止まりで、独り泣いたあの夜のことを覚えています。
家族も、恋人も、友人も、仲間も、私にはいませんでした。
私にはいませんでした。
私の目には映っていませんでした。
私自身の輪郭さえも。
私はどこにもいませんでした。
暗い闇の中で、私自身の体が、闇と一つになっていました。
夜に包まれていると安心しました。
私の輪郭がなくなってしまうから。
夜に覆われると不安でした。
私の輪郭がなくなってしまうから。
「私が生きる意味はなんなのでしょうか。」
夜は答えません。
だってここには、誰もいないのですから。
。。
会社の仕事も上手にできませんでした。
発信活動もうまくできませんでした。
恋愛だって思うようにいきませんでした。
身体もいうことを聞きません。
それでも私は、生にしがみついていました。
「死にたい。」
私の口から外へと逃げ出すそれは、死を望む言葉ではありませんでした。
私は臆病者です。
自分の身体を傷つける勇気などありませんでした。
痛いのは怖いのです。
死にたいと嘆きながら、私は生に執着していました。
「助けて」が言えない私の、精一杯だったのです。
「死にたい」とは、「生きたい」と訳すのです。
。。
美しく愚かな美学。
美しくありたいと望むがあまり、真実の醜さに耐えられなくなってしまったのです。
美しさを望むあまり、自分の穢れがよく見えるようになったのです。
みたくなかった。
知りたくなかった。
私の輪郭はこんなにも曖昧で、中身はこんなにも薄っぺらいものなのか。
私はそれを直視することが恐ろしかったのです。
夜の闇にずっと抱かれていたかった。
光など、必要ないのです。
私の輪郭が、中身が、光に照らされて浮き彫りにされてしまう。
明るい世界に行くためには、その醜い輪郭を、おぞましい中身を、見る必要があったのです。
だから私は、夜の海に溶け込んで、じっと身を潜めることを選んだのです。
そっちの方が、幾分か楽だったから。
光など、必要ないのです。
。。
「来世の私に託しましょう。」
なんて、どこかの綺麗な物語で、よく聞くような台詞。
私が”来世の私”であったなら、きっとこう言うでしょう。
「そんなの自分でやりやがれ。」
死にたくなるほど、大事な想いがあるのなら、
”来世の私”という都合のいい存在に託すんじゃない。
今のあなたしか、存在しないのだ。
来世のあなたは、今のあなたなのだ。
”来世の私”と言う甘い偶像に、あなたの夢を開け渡してはならないと、
あなたの胸ぐらを掴み、言ったでしょう。
あなたのその輪郭を、殴り潰しに行ったでしょう。
私には、あなたの輪郭が見えるのです。
あなたが夜の海に住んでいたとしても、私には見えるのです。
この手であなたの輪郭をすくい出すことができるのです。
私は、あなたなのですから。
どこへ逃げても逃げれませんよ。
私は、あなたなのですから。
そろそろ、私の顔を見てはくれませんか。
泣き腫らして潰れかかった隙間から、私の顔を見てはくれませんか。
大丈夫。
私も同じです。
同じような顔をしています。
でも、私はこれが気に入っているのです。
だから、私はあなたを選んだのです。
あなたは覚えていませんが、あなたがあなたを選んだのです。
髪の毛一本まで緻密に組んで。
あなたは、あなたを選んで、ここに生まれついたのですよ。
「私が生きる意味はなんなのでしょうか。」
そんなの、あなたが一番よく知っています。
だからいま、あなたは「生」を選んでいるのです。
。。