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#3 死にたい人

暗い曲が書けないミュージシャンです。
暗い曲は「cry」くらい。

なるべく手書きがいいけど。
Twitterで呟くには、思考が100倍巡り巡って思考速度を通り越していく、多すぎる。

卒論の続きを書こうと思っている。
あの時、あのあの時、あのあのあの時からも、もう一線を画しているから。
(一線を画す日が来るとは思っていなかった。)

自殺ということ、
本来的には不自然、自然ルールに反する物事だと思う。
小学2年生で、初めて「自殺」という言葉を知った時のこと。
自分で自分を殺すことだともはっきり認識できずに
あまりにも不自然だった。
自分で自分に包丁を刺すイメージをしていたけど、「why?」でしか無かった。
非常に意味が分からない。人間は何故。

時が経つと、生きる事の苦しみが非常によくわかるので、逆にどうしたら生きようと思えるのか分からないことも。別に死んでても一緒なら、楽な方がいい。

踏切に吸い込まれそうな時も、ビートルズのレディマドンナがちょうど流れてきて土曜日が存在しなかったことも。
別にその日が土曜日だったから命拾いしたとかでもなく、田舎の(終点前の)電車の速さじゃ死ねんだろということで。

→最近の北九州の駅事故、
暗いニュースは興味ないが、部屋の中でおじさん達がうるさくて聞いてしまったのでreminds me of that …
親父さんが国鉄の運転手で、初めて人を轢いた日は1ヶ月飯が食えず、2回目からは大丈夫だった(んなわけない)という話

その上で、やはり自殺してしまった人に関してはそれもひとつの寿命と捉えるようになった。
精神の寿命というか。

その上で、別に今、生きていることにも意思がある訳では無いし、
生きたいとも思わないし、自殺したいとも思わないし、そんなことをそもそも考えない。
考えないということが(全部含めた)生き物としては自然なのかもしれない…
忙しいということは、ある意味最高。必ずしも常に楽しくいなきゃ行けない訳でもないし。死ぬほど病むことによって、暇じゃない状態を実現している人もいるかもしれない。

「生きる意味」とか思っちゃうことがまず間違いだけど、生きてても一生そんなこと思いつきもしない人が、最強でハッピーに生涯を終えると思う。
卒論でそんな題目立てるなよ…と自分にツッコミで思ったりも。

旅行から帰る時に電車の窓から外を見つめて、「生きてて良かったと思える日が来るのか?今日はそう思える日なのか?思える日が来たのか?」と考えても、Yesではないし、
そもそもそんな事を考えてしまうような過去が存在することが不幸ですね。
そもそもハッピーな人にとっては、思いつきもしない問いかけ。

この卒論が遺書的に見せかけて全然そうでも無い上、ふつうに元気でやってる。
願いとしては、自分と同じように、研究室に来て勉強とかお菓子とかネットとか、お喋りの用事で来ている人が、もし1人で苦しんでいたら、めくって欲しいなと思う。研究室に歴代の卒論が置かれているよ。

死ぬ人は、きちんとした遺書を書く傾向にあると思う。私は感情的な読めない物しか書いたことがない、よって破棄。
この卒論は、文学部や専門的な人だけが読めるものではなく、理系の学生に読んでもらっても簡単に理解出来て、スッキリできるものにした。小難しいこと書いても宗教なので。

なんの根拠でもないが、昔 小6の修学旅行で福岡のハイアットレジデンシャルスイート(名前出しちゃったよ、15年間封印してきました)
が幽霊の巣窟になっていた時に、泊まることになってしまい。1111号室ね。なんかの映画ですか。「4」です。

バンドメンバーのギター氏と何故か「足引っ張られたことある幽霊エピソード」だけは被るね、という共通点を見つけた。
修学旅行、その夜はベットの下に足が潜り込みました。
飾ってある絵画は逆さまから読むと「死亡」と書かれていて
4人の女の子で泊まったけど、それに気づいたのが私でした。

家に帰っても精神が分離してしまったので、自分の声が空耳として外から聞こえたり、
震災(熊本地震に被災)時も似たような現象があった。
人が2m以内に居てくれないと、恐怖で無理な感じでした。(物理的に不可能で草)

と、ただの心霊体験ではなくて。
この時はただの恐怖体験、恐怖だけで満たされまくったけど、その幽霊から「死んでも苦しいよ」と言われた気がする強めのエピソードです。
霊は他人だから、知らんがなって感じですけどね。(同情したら憑くよ、と友達に言われた。)
(てか霊は私は見てないのに、見えてないのに何人もいた気がする…そのホテルの幽霊は風呂で死んだのかな?そして常に子供の霊に遊ばれやすい。)

元々、自殺寄り(自殺推しってこと?)の哲学者をテーマに扱いたかったけど、
ショーペンハウアー(Arthur Schopenhauer)は記憶では江戸時代くらいの哲学者で、文献が無かったり、
その時代のドイツ語だから古い。
違う意味で自分が先に死ぬなあ、と思ってやめました。

もちろん卒論は泣きながら書いていました。どっちの意味でも。自己と向き合うのは苦しい。

ショーペンハウアーの「自殺論」の方が好きで、「幸福について」はそんなに読んでいないけど
何よりも、こんなに自殺したがってたのに筆者は自殺してない!という事実が最強すぎて推せる。
結局自分もhauer派として、生きてるから最強。

他力本願はほとんど無理で、自分の足で歩いていないと無理(お前のエールを任せられない)。
しかし、性格・性質・思考・傾向は(というか精神病は)、他人の力がないと&本人の素質もないと直せないので、上手いこといい縁があってよかったね。
基本的にそんな奇跡は無いので、あまり期待はできないと思う。これが他人のエピソードだったら、はいはい良かったねで終わる。

こうやって興味本位と勉強の意味合いも含めて、精神科に(友達と)予約して行ってみても
私が若造だからって、洒落た丸眼鏡の30代くらいのやつ出してくるなよ、舐めてるのかな?
と思うような若造カウンセラーがでてきて。

まともな医師の方のカウンセリング直後には、若造カウンセラーに対して緘黙症を発揮して別の治療が始まろうとしてしまい、
趣味は歌です、というと「こんなやつが歌えるのか?何も喋れない病気なのに」となって草。

木の絵を描くやつ(バウムテストですね)
そもそも人がいる環境で好きなようにお絵描きできるわけがないんだよなぁ…と。
笑いながら診断結果を聞いてしまう人がたくさんいそう。

現職:表向きスパイ・捜査機関
になる前は、(その前も色々あるけれども)
スパ、すぱらしい心のお医者さんに近い職を志して半年以上勉強したので
筆記は受かったが2名のみ。
心理学は独学(そもそも文学科)vs 大学院で心理学専門の一騎打ちになってしまい、負けました。負けてよかった!

何やかんやで曲に関しては、明るい歌詞がほとんどで、
暗い歌詞は「cry」くらいです。

cry時は、暗い言葉の方が救ってくれると思ったけれど。
それを認識したのはこの曲を書いてから2〜5年後のこと。当時はまだ身体の面でも病気が始まっている訳ではなかったので、
ふつうにふわっとした気持ちで書いた。
決して、「感覚過敏により日光浴が眩しすぎて外に出られない」とか、うつ病とかを想定して書いてない。イメージにはあったかもしれないけども。

外論、もし続編あれば書く。
2日間寝不足で頭が活性化しました。

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