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51.断編集20 けん玉 飛行機の成功率を高めたい、読書経験のハード面とソフト面、ロレンスについて
51.断編集20 けん玉 飛行機の成功率を高めたい、読書経験のハード面とソフト面、ロレンスについて
文字数3200
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新潮古典集成に対して好感を持っている。
ただ最近の小さな不満を言えば、このシリーズの本は、箱から出した本の本体が、一体何の本なのか遠目で見分けがつきづらい。
平家物語なのか源氏物語なのか伊勢物語なのか今昔物語なのか本居宣長の著作集なのか、どれがどれだかわかりづらい。
毎回箱に戻して管理するならわかりやすいが、簡易に扱いたいがために箱から出して保管する自分には不便が生じる。
表表紙や裏表紙にタイトルがなく、背表紙の金文字は読み取りづらいため、本の識別性に難点がある。
そのうち、自作でブックカバーなどをつけて自分で識別しやすいように修正を加えたい気がしている。
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けん玉の 飛行機という技を最近練習している。
参考WEBサイト
A きれいな成功
B 本体の剣が 玉の穴に 半分や1/3くらい入るが、うまく全ては入らず結局出ていく
B2 持っている玉と自分の指・手の間に本体の剣がささる
C 成功しないが、本体の剣は、確かに真下を向いていて、「脈あり」な感じがする
C2 本体の剣は真下を向いていないが、玉の穴のあたりにはうまく落とせて、玉や手の上に本体がのっかって静止する、「脈あり」感はあまりない
D 本体がぶれてしまい、剣の向きは斜めや横になり、玉も全然本体を追いきれない、「脈なし」
Aに近いほど良く、Dに近いほど出来が悪い。
前は、Dばかりだったが、C以上が増えてきている感じがある。
何回か練習した後だと、同じ動画を見ても吸収できる要素が違ってくる。
最初、飛行機の実践動画を見た時は気づかなかったが、何回か練習してから改めて実践動画を見ると、
本体を引き上げる動作に特徴を見出すことができた。
本体のスイングの軌道が、最初思っているのと違うことに気付いた。
最初自分は、本体を時計の 9時から3時くらい、(細かく言うと、8:30から2:30くらい) スイングさせるのかと思ったが、
練習後に動画を見ると、
8:00〜4:00 くらいや、7:30〜4:30くらいと、最初思ったよりも、小さい角度でスイングさせるべきだと考えるようになった。
(動画だともっとコンパクトかもしれない。)
思ったよりもコンパクトなスイングで行う方が、成功イメージに近づきやすいように感じている。
練習によって自分の中に具体的な課題が生まれて、課題がある状態で動画を見ると、ヒントを見つけ出すことがある。
課題がない「フラット」な状態だと、動画を見ても、どれも平板に感受されて、ヒントにならない。
実践によって課題を自分の中に生み出す、ということが大事だと最近感じている。
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けん玉練習ノート
技の飛行機 を1分間 練習、
13回チャレンジして、成功0回。
2分間練習、26回チャレンジして成功1回。
2025年、上旬記録。
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けん玉の練習をしていて思うが、今、何が難しいと感じているか、
何が自分には不可能に感じるか、困難に感じるか、
その上でどうなっていきたいか、
ということを、身近な人に話したり、技の様子を見せたり、文章にして記事として投稿することで、不思議と一歩先のレベルに歩みを進めることがあるように感じている。
飛行機ができる気がしない、と友人に話し、その技の現状のレベルを披露しておくと、不思議と少し経つと成功イメージを前より持てるようになっていた。
練習をオープンなものにして、外気を取り入れること、
それが上達の一つの促進要因になるかもしれない、と最近感じている。
それを考えると、フランス語も、読み上げを身近な友人に聞いてもらったりし、また、フランス語の学習を進めてどうなっていきたいか、ということについて漠然とでも話すことで、何か前進の機会を自ら呼び込めるかもしれない。
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ブログに投稿しようと思って書き留めたメモがあれこれ投稿しないまま残っている。
そうした記事に改めて点検をして、投稿していけたらと思っている。
そもそもなぜ自分は文章を書いて投稿するのか。
一つには、ブログを書き始めたきっかけの一つには、自分の興味の全貌を人に説明しようとすると大変に感じ、その手間を省きたい気持ちがあった。
自分のブログのリンクを相手に送付すれば、
この人はけん玉に興味がある、芭蕉に興味がある、小林秀雄に興味がある、徒然草に興味がある、フランス語に興味がある、語学に興味がある、音楽に興味がある、
この人はこういうことがしたいと密かに思っているのか、
など、自分が都度口頭で説明する内容を補完する形で、ブログの記事の蓄積によって、相手にこちらの興味の方向が伝わることを期待する気持ちがあった。
それは、面識のない人に向けたものというより、面識のある人に向けた効用を期待するものである。
それ以外に、投稿すると思って文章を書くと、一人の密かなノートと違うものになることを感じ、その効用を有難く感じている面もある。
どれだけ自分の記事が読まれているか、とは別に、「見知らぬ人に読まれ得る」という状態に記事を置くことは、自分の心に張りをもたらすものがあるように感じている。
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本を読んで得る知識や感情の経験には2種類あると思う。
ハード面のものと、ソフト面のものである。
(ソフト麺みたいだが)
あらすじはハードの方である。
平家物語や源氏物語を読もうとすると、ハードの方が自分の中に入っていないと、読んでいて人名で混乱したり、話が曖昧漠然としかわからなくて、混乱して読書から離脱したくなることがある。
ハード面が頭によく入っていると、途中から読み始めても、地図がわかっているという具合で、混乱せずに比較的心地よく読書できることがある。
映画アラビアのロレンスは優れた映画だと思いつつ、その後、ロレンス本人の書いた 知恵の七柱 を読むと、両者はずいぶん違うもののように自分には感じられる。
同姓同名の別人のように最近では感じるのだが、
(例えば、隊列から遭難したカシム救出のくだりが映画では感動的な場面となっているが、知恵の七柱では興醒めしているロレンスの内心が記録されている。前者は映画的なカタルシス・感動があるが、後者に感動する人は少ないように感じる。そして、後者の方にはロレンスの心の内側からのものの見方・感じられ方が現れていて、映画的なドラマ性とは別のベクトルで興味深いものがある、と自分は今、素人考えに感じている。)
それでも、映画アラビアのロレンスを見ると、
・ファイサル(フェイサル?映画と知恵の七柱 旧版とで表記に揺れがある)、アリ、アブダなどの人物とロレンスの大まかな関係性
・カシム救出などのイベントがあったこと
などがよく頭に入る。
・カシム救出という出来事自体はハード(枠組み)
・カシム救出に際してのロレンスの心情、救出成功シーン(つまりロレンスとカシムの合流のシーン)の描き方、その雰囲気や色合いは ソフト(情緒的な内容)
という具合に分類できる。
映画アラビアのロレンスは、ロレンスという稀有な性質を持った人間を探求する素材としては、ハードの面(枠組み)において助けられるものが多く、
ソフトの面(情緒的な内容)においては、ロレンス本人の著作 知恵の七柱など から栄養を取るのが良いように感じている。
文学作品の映像化は、自分はたいてい、ハード面の理解の素材として優れてはいるが、ソフト面においては原作から摂取するのが一番いいと勝手に考えている。
絵画などは特にわかりやすいが、「本当に」すぐれた芸術作品は、固有の独特な姿を持っていて、他の形へと翻案・変換が不可能に近い、と自分は勝手に思っている。
あれこれ書いたが基本的に素人が我流で思い当たったことにすぎないことを一言ことわっておきたい。
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