"デンタルIQ" : 歯のケアについて話し合うことで磨かれる力
文字数7300ほど
拙い読み上げではありますが、読み上げた音声版も用意してみております。
最近、コンテストタグがきっかけで、身近な友人何人かと歯のケアについて会話をする機会がありました。
その中でだんだんと自分の中で膨らんできた考えを以下に書いていきます。
あくまで、僕個人の経験を反芻した中で抱くようになった感想と、素人の思いつきを書いたものになります。
歯の事について、僕がまず思いつくことを言えば、僕は今までに合計2年間ぐらいの期間、寮で生活をしていたことがあります。寮では僕と同世代位の寮生が何人も生活していました。いくつかの寮で生活をしましたが、基本的に、どこもお風呂や洗面所は共同でした。
寮生活をしていると、お風呂や洗面所で、他の人の髪の洗い方や、歯磨きの仕方が自然に目に入ってきます。
僕は自分の髪の洗い方や、歯磨きの仕方を、特に何も意識せずに「いつの間にか形成されてきた自分のやり方、自分の流儀」で行なっていました。
しかし他の寮生の髪の洗い方や歯磨きの仕方を見ていると、時々驚くことがあり、強い印象を受けることがありました。
例えば、髪を洗うときに、ものすごく力強い豪快な手付きでの洗い方をする人がいて、「世の中にはこういう髪の洗い方があるのか」と、内心驚いたことがありました。
歯磨きの仕方も人によってやり方がそれぞれずいぶん異なるもののように感じられました。
ある人は貴帳面にものすごく細かく歯ブラシを小刻みに動かす歯磨きの仕方をしていました。それとは反対に、ある人は大きな刻みで歯ブラシを動かし、全体的にダイナミックな磨き方をしていました。歯のケアを各々の寮生たちが実にさまざまな流儀で各自行なっているように自分には感じられました。
自分の目には、ある寮生の歯のケアの仕方は虫歯を遠ざけるのに有効そうに感じましたが、また、他の寮生については、「この歯のケアの仕方を継続していくと虫歯を遠ざけることが難しいのではないか」という感想を内心抱くことがありました。
歯磨きの仕方について直接話し合ったことはないのですが、とにかく各々が、「歯磨きというのはこういうものだ」という自分独自の流儀を持って日々歯磨きを行っているように感じました。
僕はそうして色々な人の歯磨きの仕方を意図せず観察したことが心の中に強く印象として残っていて、そのことを最近になって改めて振り返った時に、ふと思ったのは、突き詰めて考えると、「自分の歯磨きの仕方は、親や兄弟・親戚などの家族、そして行きつけの歯医者さんから影響を受けて形成されたものだ」と感じる、ということでした。
例えば、僕の頭の中には、歯磨きに関して、ある考えが定着しています。それは
「歯ブラシを大きくスライドして磨くと、歯と歯の間の細かいところを磨けないから、小刻みなスライドで歯ブラシを動かすようにしたほうがいい」
というものです。
これは振り返ると、いつだったか親から言われて、その後、親から言われたことをすっかり忘れて、無意識に覚えて当たり前のこととして習慣として実行していることだった、ということに最近になって思い当たりました。
他にも、歯ブラシの交換頻度について、
「目に見えて歯ブラシの毛が変な方向に向いている状態になっていなくても、使用し始めてからこれぐらいの期間が経過したら歯ブラシは変えたほうがいい」
という「自分の中で当然のこととして無意識に従っていた考え」は、昔、ある親戚に何気なく言われた言葉が自分の頭の中に思った以上に残っていて、自分はそれに従っていたのだ、ということにも思い当たりました。
また、僕は歯のケアについて考えるときに、歯ブラシも大事だけども、フロスも相当に重要な大きなテーマだ、と考える傾向があるように感じています。
僕の頭の中には、「虫歯の八割くらい、つまり大雑把に言ってほとんどの虫歯は、歯と歯の間の汚れが取り除かれていないことによって発生する」という考えが強く居座っています。
それで僕はフロスを毎日寝る前に必ず行うことを大事に思って、長年習慣として実行しているのですが、その
「フロスを行うことが本当に大事だ、それは歯の間の汚れが主要な虫歯リスクになるから」
という考えは、よくよく考えてみると、昔よく通っていた歯医者さんで、ある時に渡された小さなプリントに書いてあったものだ、ということを最近僕は考えるようになっています。
その歯医者さんは、通った時に時々プリントをくれて、ときには8ページ位のホチキス留めの小さな冊子をくれることもありました。僕はそれを熱心に読んだわけでは無いのですが、渡されると僕は自分の勉強机の上に何気なく置いたりしていて、その冊子は無意識の内に時々僕の視界に入ってきました。(歯科医なだけに…)
その内容の一部は思った以上に僕の頭の中に刻まれているように今感じています。
例えば「歯ぎしりをしてしまう人は、こういうことに気をつけましょう」という対処法が書かれていました。僕は歯ぎしりで悩んだ事はほとんどなく、今までずっと歯ぎしりとは無縁の生活をしてきましたが、その冊子に歯ぎしりの対処法が書いてあったので僕はそれを不思議と覚えていて、今も時折思い出すのです。
フロスに関しては、もう一つ僕の心に残っているエピソードがあります。
僕の、ある親戚は英語圏の国の滞在歴があり、何年間か海外で生活をしていたようでした。その親戚は、ある時にその国の歯医者さんから、ある言葉を聞かされ、強い印象を受けたそうです。
それは、「フロス or デス」 という言葉です。(最後の 平仮名の "です"はダジャレのつもりです。)
その親戚は「この国の歯医者さんは、そんなにフロスを死活問題として重く考えているのか」と驚き、ある時に僕にその話をしたものでした。
この、「フロス or デス」 という言葉は、広く普及している言葉なのかどうか、英語圏の人に詳しく確認したことはないのですが、とにかく僕の心にはこの言葉が刻まれ、「フロスは本当に重要だ」という考えを、僕の中により強く形成していったように感じています。
僕はここまで話してきたことからどんなことを言いたいかというと、親や兄弟、親戚などの家族親族、そして行きつけの歯医者さん、そうしたごく身近な人と交わした「歯のケアに関するちょっとした会話」、耳にしたちょっとした意見、もらったプリントの内容、歯医者さんの中に貼ってあったポスターや掲示物など、そうしたものが若いころの自分に刷り込みのように強く刻みつけられていて、僕は気づかない間に「若い頃に収集した無意識的に見聞した歯に関する意見、歯のケアに関する考え」に沿って、自分の歯のケアを何十年もしてきたように感じている、ということです。
思えば僕の親や兄弟などの家族は、割と歯のケアに対する関心が強かったように感じています。
もし親や兄弟が、歯のケアに対して全く関心を持っていないと、育つ子供は歯のケアに対してほとんど関心を持たないまま大人になっていく可能性が高いのではないかということを僕は今思っています。
それに対して、親や兄弟が歯のケアに対して強い関心を持っていると、家族の会話の中でも自然と歯のケアに関して、ふとしたタイミングで話し合いや声かけがなされるのではないかと思っています。
それは例えば
・フロスはちゃんとしているかな
・歯磨き粉のつける量はどうしているのかな
・歯磨きをする時間をもうちょっと長くするといいんじゃないかな
・フロスを1日に何回もしすぎるとかえって歯の一部を傷めてしまわないかな、その点大丈夫なのかな
・君のフロスはちょっと糸が緩んでユルユルになっている気がするかな、それだと、ちゃんと歯の間がきれいになるのかな
といった具合に話されるのではないかと思っています。
そうした歯のケアへの関心の強い家族だと、歯医者さんに子供を行かせようという気持ちも強く、子供を歯医者さんに連れて行く時に、ついでに歯医者さんに「子供の歯のケアはどういう風にしたらいいか」とか色々と質問をしたりして、歯のケアについて、「知識が知識を呼び、関心が関心を呼んで、知識と関心をより磨いていく」 というサイクルに入っているのではないかと僕は思います。
僕はこうした日常の中に、歯のケアに関する会話や話し合いが、何気なく盛り込まれていることによって磨かれていく「歯のケアについての考えが磨かれていく度合い」のことを、僕の勝手な造語ですが、
「デンタルIQ 」という言葉で表現したいと思っています。
デンタルIQは、例えば、親や兄弟・親戚などの家族や身近な友人などと何気なく歯のケアについて話し合う習慣を持つことによって磨かれ強くなっていきます。
歯のケアについて日頃から何気なく話し合うことを僕は「デンタルトーク」という言葉で表現したいと思っています。デンタルIQはデンタルトークによって磨かれていきます。
また、歯医者さんの発信する、歯のケアに関する情報や意見、アドバイス、これらを僕は「デンタルメッセージ」と呼びたいのですが、それをたくさん受け取り、咀嚼して自分の身にどうやって活かしていくかを考えることでもデンタルIQは、磨かれていきます。
デンタルIQはデンタルトークとデンタルメッセージの積み重ねによって磨かれていきます。
僕は、日本の多くの家庭や学校や職場で、今、日本人の多くの方が「何気なく天気の話をするような気軽さをもって」、歯のケアについての雑談、デンタルトークをもっと盛んに行うようになっていったら、日本全体のデンタルIQが底上げされるのではないかということを期待しています。
僕は、小中高大の学校生活を通して、友人と多くの会話や雑談をしてきましたが、その中で歯磨きの習慣や歯のケアについて話し合ったことはたった一回きりでした。一回きりだったので、その時のことを僕は妙によく覚えているのです。
そのことから僕は、日本において歯のケアについて友人同士で何気なく話し合うこと(友人同士のデンタルトーク)は、まだまだ普及の余地がある、と思っています。
日頃から近しい人と歯のケアについて、「お天気の話と同じような気楽さで話し合う習慣」が根付いて、歯のケアに対する関心が育っていくと、歯について考える時間、歯考時間(しこうじかん)が増えていきます。
歯考時間が増えて、歯の垢である歯垢(しこう)を取り除く工夫を積み重ねていくことで、歯について考える力、歯考力(しこうりょく)が磨かれていきます。
歯考力が高まれば、より高い精度で歯垢を除去できるようになっていきます。
歯のケアについての考察と探求、これを「歯考錯誤」と呼ぶとして、多くの人がそれを積み重ね、歯考力が強くなっていくと、一人一人の歯のケアについての興味と関心・考えが成熟していって、そうした人々の中から歯のケアについて特に深い観察の経験と洞察力を持つ、"歯を想う人"、歯想家(しそうか)が生まれてくるのではないか、と僕は期待しています。
歯のケアについて深い洞察力を得るに至った人のことを、歯想家と呼び、また、デンタリストとも僕は呼びたいと思っています。
歯想家やデンタリストは、自分の歯のケアについて成熟した考えを持ち、自然と周囲の人々を「より高いデンタルIQ」へと導く役割を果たします。
発信力を持った歯想家やデンタリストが何人も出現し、歯科医師会と協力して、歯のケアに対する話題をより身近で馴染みの深いものにしていく気運を高めていけたら良いのではないか、と僕は勝手に思っています。
話は変わりますが、記憶に頼って書くので正確な表現ではないので恐縮ですが、「日本の知の巨人」と言われる吉本隆明は、どの本で書いていたか忘れましたが、どこかでこういう意味のことをたしか言っていました。
「昔は歯間ブラシやフロスなんて誰もやる人間はいなかった。そんな歯のケアの仕方は自分の若い頃の日本にはなかった。昔、フロスみたいなことを自分の歯のケアとしてやっている人間がいたら、ずいぶん奇妙なことをする人間だ、というふうに見られていたに違いないと自分は思っている。」
そういう意味のことを書いているのを読んだ記憶があります。
これは時代が進むにつれて、歯のケアについての考え方や方法がどんどんアップデートされていることを意味しています。
世の中の歯のケアに対する考え方は着実にアップデートされている、
しかし、世の中のすべての人の、歯のケアに対する考え方はそれに足並みを揃えてアップデートされているのでしょうか。僕はそのことを疑問に思います。例えば、40年前に偶然耳にした考えと方法でもって、それ以来の40年間ずっと歯のケアを行っている、というような人は世の中に、もしかすると割といるんじゃないか、ということを思っています。
僕も子供の頃に偶然、家庭の中で聞き集めた意見や考え方をもとに、何年も歯のケアをやってきたように感じています。
何か体系だった、学校の教科書のようなもので歯のケアの仕方を学んだとか、運転免許の講習のような具合に、統一されたガイドブックによって歯のケアの仕方を学んだとか、そういう性質を持ったものではないように感じています。僕の歯のケアについての考え方の大部分は、ずいぶん「偶発的なものに左右されて形成されてきた」ように感じています。
割合多くの人の、歯のケアの考え方や方法は、「家庭の中の歯のケアへの意欲の高低、歯医者さんとの偶発的な接触の蓄積など、わりと偶発的なものに左右されて形成されている」という性質を持っているのではないか、と僕は今、推測をしています。
もしそうした状況が多少でもあるとすると、僕は、
歯科医師会などが決定し推奨する「統一的で、模範的な、歯のケアの仕方の指針」が示されていて、独自の方法を採用する人もいるにせよ、「歯科医師会推奨の模範的な歯のケアの仕方の指針」を人々が知識として知っている、という状況を作れたらいいな、と思っています。
最近、自治体などで、災害時にどういう風に行動したらいいか、災害時は避難場所としてどこに向かえばいいのか、日頃からどのようなものを家庭において備蓄しておくと良いか、ということについて、「自治体単位で統一された見解」が作られているようで、自治体の役所や出張所に行けば、自治体単位で統一されたハザードマップや避難時の行動マニュアルやガイドを簡単にもらうことができます。
こうしたことが、歯のケアにおいても、似たようなことが実現できたら良いのではないか、と僕は思っています。
こういうものを、僕は、デンタルガイドとか、デンタルマニュアル、という言葉で表現したいと思っています。
例えば、近所の歯医者さんに、診療を受ける以外でもカウンターに立ち寄って、「デンタルガイドやデンタルマニュアルが欲しいので一部いただけないでしょうか」、と言えば、それを受け取ることができたらいいなと思っています。
その時点での「歯科医師会の推奨する、歯のケアのやり方の指針が、ごく簡潔に示され」ていて、それによって「誰でも簡単に、模範的な歯のケアのやり方のガイドにアクセスできる」状況が実現されたらいいなと僕は思っています。
僕の友人の一人は工場で何年間か勤務したことがあり、その時の経験について僕に話して聞かせてくれたことがありました。その工場では、安全手帳というようなものが全員に支給されていて、その中に目立つように、工場内の「安全五箇条」という、誰もが暗記して、守るべき五つのルールが記載されていたそうです。
一日の作業の初めには、それを皆で読み上げる習慣があったそうです。
僕は、日本歯科医師会で、何か統一した歯のケアの「五箇条」や「十箇条」くらいの「大事にしたいルール」、「とにかくこれだけは、歯のケアについてみなさんに意識してほしい」という歯科業界でなにか統一された見解をまとめて作成して、それを歯医者さんのカウンターで誰でも簡単にもらえるようにしたり、ポスターなどの形式で歯医者さんの壁や、地方自治体の街中の掲示板などに掲示できたらよい影響があるのではないか、と勝手に思っています。
以上、僕の述べたことは、業界の実態を深く調べたりしないで、あくまで個人的な経験を反芻した上での勝手な感想や思いつきを述べたものでした。
僕の感想と考えたことのポイントをまとめると以下のようになります。
・若い頃の、家族との歯のケアについての会話や、歯医者さんから受け取った知識が、後々のその人の歯のケアについての指針を決定している度合いは大きいのではないかと僕は思っています。
・「天気の話をするような感じ」で、世の中でもっと歯のケアについての会話がもっと交わされるようになったら、「デンタルIQ」が高まっていくと思います。
・歯のケアについての考え方は、各人や各家庭においてバラバラで、統一されていないように思えます。アップデートされずに、古い考え方で長い間歯のケアをしている人もいるかもしれません。歯科医師会の推奨する歯のケアの指針を、ごく簡素なものでも定期的に発信して、ハザードマップのように「誰でも簡単に、最新の指針に」それにアクセスできる環境を整えたら良いのではないかと思います。
最後に一言付け加えたいのは、僕はこのコンテストタグがきっかけで、身近な友人数人と歯の事について話してみようと言う気持ちになり、それによって昔のことを思い返し、自分の歯のケアについての考えが新たに磨かれたように感じている、ということです。
それは僕にとって有意義な経験でした。そのことについて、このコンテストタグを企画した歯科医師会に感謝の念を表明したく思っています。
歯のケアについてのこうしたコンテストタグの企画と実施は、僕以外にも多くの人の歯のケアに対する考えを大小さまざまな形で磨くきっかけになったのではないかと僕は思っています。今後も時折こうしたコンテストを実施することは意味のあることなのではないか、と個人的に考えております。
以上、長々と書きました。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。