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36.断片集、つぶやき集16、aikoさんのロージー、8月の地震と災害への日頃の備え、勝海舟 氷川清話

36.断片集、つぶやき集16、aikoさんのロージー、8月の地震と災害への日頃の備え、勝海舟 氷川清話

文字数2300




動画で何かを学ぶとイメージを手早く得られることがある。
そのイメージは動的なゆらぎのあるもので、それらの印象を文字にしたり図表にしたりして固定されたものに書き留める時に、イメージは静的なものになる。

動的な学習と静的な学習の両方が必要に思う。





aikoさんの「恋をしたのは」を最近繰り返し聴いている。
「聲の形」の映画を偶然テレビで見かけて、エンディングで流れるのを聴いて知った曲だった。
何年も前にこの曲を知った。時々どういうわけか無性に聴きたくなり、聴き出すとしばらく何度も繰り返して聴くようになっている。

https://youtu.be/sAzNLC1Lu7Q?si=G_ai1uNEdqOB9G1m

aikoさんのロージーを昔偶然ラジオで耳にして、強い印象を受けた。
恋を歌う曲だと思うが、その時の自分はその歌を聴いて、「なにか一つのものや人に対して、強い恋慕の情を持ち続ける姿勢や精神態度」を感じ、心を強く動かされるのを感じた。

それから10年間くらい、熱心にアルバムを聴いていた。だんだん他のことに気をとられるようになってアンテナを張れなくなったが、今でも思い入れは強く残っている。


https://youtu.be/-DD0YvilXIw?si=aP49Y38wOb5SG0E_


本居宣長は30年以上、自身の没入の対象となる国学、古学に自身のエネルギーを継続して注いだようだが、そうした振る舞いは「一つの対象に対して、恋慕の情を持ち続け、その発露に従事し続けた」と表現しても良いのではないか、と自分は勝手に思っている。

自分がaikoさんのロージーに触発されて育てた心は、今、宣長の人生の歩みの趣に自分が勝手に感じているシンパシーと、似通ったもの、共通した性質を持ったものだと思っている。


ロージーに惹きつけられ、自分はしばらくaikoさんの楽曲を探し求めるようになった。






中途半端に書いて、投稿しないままになっている文章がいくつかある。
そうしたものを何か手をつけて、投稿するまでこぎつけたいが、うまく気が乗るかどうかなど、自分でどうにもならないタイミングなどの問題もあるので、もどかしい気持ちを抱きながら状況を静観している。


静観で連想したが、勝海舟の黙々静観(もくもくせいかん) という文章をたしか書いている。
その連想で勝海舟の口頭筆記の自伝、氷川清話(ひかわせいわ) を思い出している。
氷川清話の中には面白く、意味のある話がところどころにあると感じている。

景気が良いように見えながら、実は困窮しているある飲食店の女将が、勝海舟に話した話は面白い。
困窮している時、いかにも困窮しているように振る舞うと客がどんどん自然と離れる。
困窮していないように痩せ我慢して振る舞っていると、不思議とツキがまわってきて、困窮から脱却できる機会がどういうわけか巡ってくる、

商売をしている内に、自分はそういう呼吸が世の中にあると感じるようになっている、と女将は勝海舟に語る。

話を聞いた海舟は、女将の話ぶりや人柄を面白く思い、気に入って、女将に必要なだけのお金を貸す。

女将はそれで助けられ、後日、海舟にお金を返しに行くが、海舟は、「価値のある話の授業料」として、お金を受け取らない。
女将は海舟に感謝の言葉を伝える。

いまと物価が違うので、自分のいい加減で勝手な解釈で、例えとしてその女将の海舟に伝えた言葉の趣を書けば、

「あの時の10万円は、困窮していない時の500万ほどの価値がありました。」

というような方向性の話を女将はした。
(勝手な解釈で書いているので、数字は出鱈目であるので、その点をご容赦いただきたい。)


相撲の力士に例えれば、調子のいい時の1勝はなんでもないものにもしかしたら感じられるかもしれないが、

勝ち星から見放され、11連敗している状況に置かれた力士にとっては、ついにつかんだ連敗脱出の1勝は、のどから手が出るほど欲しいものであり、調子のいい時の10勝分くらいの価値があるように感じられるかもしれない、などと空想している。





今年 2024年の8月の宮崎県の地震と、その後の一週間に及ぶ南海トラフ地震の警戒期間は、自分にとって全く予期せぬもので、何か肝を冷やすような感じを与えた。
そして、自分以外の多くの人が自分と似た感じを抱いたと思っている。

甲子園の試合は予定通り開催されたが、自分は中継を見ながら、日本全国から集まって、警戒が呼びかけられる状況で試合を行っている選手の心境はどのようなものだろうか、と思っていた。

何事もなく8月の警戒期間は終わって、ほっと安心を覚えたが、8月の最初の地震とその後の警戒期間の出現はその前日やそれ以前は全く予期していなかったもので、考えてみれば、今後もそうした予期せぬ問題がいつ唐突に出現するかわからない、と今考えている。


8月のことは、喉元過ぎれば、という具合に、時折思い出す程度に自分の中でなってしまっているが、意識的に教訓として思い出しておきたいと思う。

そして、ぼんやり思い出すだけでなく、そのことについてこうして何か書き留めておくことで、自分にそのことを思い起こさせてくれるきっかけを増やしておきたいと思う。
地震などの災害はいつくるかわからないが、それに対する準備は、それほど万全でないように感じている。

そのうち、災害の日頃の対策について、備えをどのようにしていくか考えをまとめる過程を、実況中継的に書き留めていくなどしてみたいと、思い付き的に思っている。




このまでです。

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