アナログとデジタルの狭間で
わたしは、アナログなものが好きだ。
フィルムカメラが好きだし、音楽はレコードで聴くのがやはりいいと思っている。小説は絶対紙じゃなきゃ嫌だ。
しかし、最近、わたしの中で矛盾が生じ始めているのを認めざるを得ない。
フィルムカメラで撮った印画紙をプリンターでスキャンしてデジタル化し、携帯に保存してネットにアップしたりしている事。
また、レコードの音源をPCに取り込み、デジタル機器に転送して、それらの音楽を持ち出して、外で歩きながら聴いて楽しんでいる事。
とてもまわりくどいやり方極まりない。
じゃあ、もう、アナログの趣味やめたら?
と思うのだが、
フィルムカメラの中でも、
マニュアルカメラはまず、フィルム装填から始まり、
その時々によってレンズの絞りとシャッタースピードを決めて
撮影するのだが、
そうした、カメラの特性を活かして、考えながらいじくりまわす
「手間」
が楽しい。
これは、わたしが大学時代に人気だった
≪ニコンFM2≫
が本当は欲しかったのだが、
とても高くて中古カメラ屋さんでも手が出なかったため、
フォルムが気に入ってお手頃価格だった(それでも当時3万ぐらいは
した)上の写真の
≪オリンパス35≫
なるものを買ってみた。
何度か失敗を繰り返しながらやっとまともに撮れるようになった
「戦友」である。
途中使わない期間が長くなってしまったので、一度メンテナンスに出したら、
1万ぐらいかかってびっくりした。
レンズのカビとかはなくそれぐらいで済んでよかったと言えるらしい。
でも、その修理屋さんは親切にこのカメラ操作の「簡易説明書」
をサービスとして付けてくれた。ありがたかった。
そして、トイカメラも同じだが、
撮れるフィルムの枚数がなくなって撮影が終わり、
そのフィルムを現像に出してどんな風に写真が写っているのか
でき上がってくるまでの「待つ時間」にわくわくしているのが楽しい。
大学時代はモノクロフィルムで撮って、
それを映像学科の現像、プリント施設で、
写真サークルの友達に教えてもらいながらこっそり自分で現像とプリントをやっていたことがある。(サークルには入っていなかった)
それがエキサイトして、下の本と出会い、
更にはモノクロフィルムの現像道具を買ってきて、自宅で一人で
現像して遊んでいた。
ちなみに道具はまだ実家にあり、現像液があればまたできるはずである。
ただ、現像液を排水溝に流すのがなんか環境保全によくないかもと思って
あまり自分でやる気は今起きない。
なんならプリントするための引伸機(当時約4万した)を買って、プリントも一人でやって遊ぼうかと思ったが、大がかりになりそうなので思いとどまった。
今思えば、映像科に入ればよかった。
美術科の版画コースでもよかった。(ずっと銅版画を作るのに憧れている)
でも、その頃のわたしは、絵画関係(特に油絵)に従事することしか
考えていなかったから後悔しても仕方ないのだが、
今なら、日本画も描きたいとも思っている。
しかし日本画は道具にお金がかかりすぎる。(特に岩絵の具)
顔彩はなんとなく買って持っているが。
要するに、わたしは一つのものだけではなく、多岐にわたる分野の芸術を
創作することに興味がある。
話がいつものごとくズレまくっているが、戻すと、
レコードはよい。
レコード特有の音がいいのはもちろんなのだけれど、
なによりも、中古レコード屋でレコードを「漁る」のが楽しい。
「ジャケ買い」の楽しみも知っているし、
わざわざレコードに針を落として、音楽を聴くっていう行為が
贅沢であり
至福である。
機会があれば、また本当はDJもやりたいと思っている。
(機材は持っていないが)
あの、音と音の繋ぎ目が上手くいった時の快感
は忘れられない。
今はDJももう、CDすら飛び越えて、PCでの操作らしいが、それはなんか「味気ないな」と、わたしみたいな昭和生まれの人間は思う。
とても操作が楽なのはわかっているのだけれど。
そうなのだ、
「アナログ」
は頭を使うし、手間はかかるし、時間もかかるし、
お金もデジタルよりかかることもある。
要するに時として、精神的にも金銭面でも
いろいろと余裕がなければ、
「とても不便で面倒」
な代物なのだ。
絵を描く事すら今や「デジタル」になりつつある。
時代は
「小型化」
を目標に歩んできた。
その結晶ともいえる代表的なものが
「スマホ」
なんじゃないかと思う。
今、わたしが発見したかのごとく言ってみたが、
きっと誰もが思っているだろう。
電話やメールの機能はもちろんのこと、
インターネットはできるし、ゲームもできる。簡単に写真も撮れる。
音楽だって聴ける。
もうなんでも「スマホ」に集約されている。
もう、ものすごい進化を遂げてる。
昭和人間が化石に思えてくる(笑)
ただ、その「利便性」を得る代わりに失ったものもある。
例えば
「記憶力」
部分的なものだけれど、他人の電話番号を暗記しなくなった。
あと、これもちょっと私的な考えなのだけれど、
音楽では、
ネットでアルバム一枚全体の曲を買うのではなく、
聴きたい曲だけをピンポイントでダウンロードして
聴くことによって、
「レコードやCDのジャケットを見たり飾ったりする楽しみ」
や
「アルバム一枚のそれに収録された音楽を曲順で楽しむこと」
つまりは、
アーティストが
心を込めてジャケット画を作り、
懸命に曲順を考えて作った
その集大成であるはずの
「アルバムの特性」
が失われる事態を引き起こしているように思う。
以前、知り合いのミュージシャンがCDのアルバムを新しく作っている時、
どの曲を一曲目に持ってきたらいいかをわたしに聞いてきたことがあった。
わたしは、CDを視聴するときは1曲目からなので、1曲目に心を掴むような
ものを持ってきた方がいいのではと返答した。
その彼も
「そうだよなあ」
といろいろ曲順を試行錯誤していたのを覚えている。
ところで、
「映画」
も急速な変化を遂げている。これは、デジタル化とはちょっと逸れるかもしれないが、
今あの巨匠、スピルバーグが、この時代の変化に戸惑っているように感じられる。
わたしの幼少期、思春期、青春時代は娯楽の一つとして映画館に行って、
映画を観て楽しんでいた。
確かにあの迫力のある大画面、すばらしい音響で臨場感を味わうのが好きだ。
わたしを異空間に連れて行ってくれる。
それが映画館のいいところだ。
しかし、DVD、Blu-rayの台頭で、そのうちわたしは
映画代を払って映画館で観るよりも映画を「買って」観る方が
何度も観れるし、
一時停止できるので、おトイレの心配もない(わたしは緊張したり、ストレスを感じると頻尿になる)。
そして、「金銭的にもお得」と感じるようになり、映画館から足が遠のいてしまった。
さらに、無料ネット配信の勢いがすごい。
最近のわたしは、そのデジタル化したデータの記録媒体である光ディスクを
「買う」
から
「借りる」
に移行したけれど、
せっかく観たいと思っていて、この間借りたばかりの映画が
GYAOで今月無料配信しているのを見つけて愕然としてしまった。
でも、必ずしも今観たいと思っている映画が配信されているわけではなく、
配信の予定があまり先までわからないので、これは「致し方ない」こと
なのかもしれないとあきらめている。
というわけで、今は
「テレビ画面で映画を観る」
ので満足してしまっている。
でも、テレビの「音」にはこだわっていて、
テレビ用のサウンドオーディオを買って観ている。
リモコンでサウンドモードが選べるし、ウーファーが搭載されているので、
ドルビーサウンドのオン、オフもできる。
ただ、ドルビーをオンにすると、凄まじい重低音で部屋の壁や窓ガラスが
びりびりと共鳴してしまい、わたしは賃貸住まいなので
「はなはだ近所迷惑」
になってしまう。
ので、残念ながらこのオーディオは重低音の大音量で観る、聴くという
「ドルビー機能」
を発揮させることができない。
まあ、モードを「ロック」にするだけでも結構びりびりなんだけど。
体に「ずんっ」とくる重低音の「どんどんびりびり」が大好きだ。
また話がそれてしまった。申し訳ない。
まあ、フランスのヌーベルヴァーグによって作られた映画
もハリウッド映画に押されて取って代わったように、
「栄枯盛衰は世の習い」で、
たまに例外もありますが。
そうして、現代の「発展」にわたしも戸惑いながら、その
「波」
に乗っている。
「衰退」の一途をたどる「アナログ」を抱きかかえながら。
ここまで読んで下さった方ありがとうございました。
この記事はここでおいとまします。
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