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「あなたはきっと大丈夫」:『秒速5センチメートル』解説①

今回はタイトルの新海誠監督作品の解説です.リバイバル上映行ってきました.主人公,遠野貴樹たかきのことをもっと知ってほしい.



1.はじめに

公開からだいぶ経っているので今さら解説することなんて・・・と思われるかもしれません.なので,はじめにその辺りをフォローしておきます.これから述べることに当てはまる方にはぜひ読んでいただきたい.

まず,本作はどのような話だったか,とざっくり聞かれたらどう答えるでしょう.もし,「昔好きだった人忘れられない人を引きずる,あるいは克服するお話」かなと思った方がいれば,この記事はある意味そのような人のために書かれたものです.ある意味というのも,それとは別様の理解を促すことが本記事の目的だからです.

また,劇中の「One more time, One more chance」(作詞・作曲:山崎将義,歌:山崎まさよし)が流れるシーンが好きだ,あるいは嫌いだという方にもこの記事は有益です.本記事はこの曲を引用した意図について,1つの説明を与えます.好き嫌いはともかく,いったん採用の意図を探ってみるのもいいでしょう.

そして,以下の記述は『小説 秒速5センチメートル』を踏まえています.未読の方は,この解説で「そうだったのか」の連続だと思います(ネタバレ全開).ちなみに,解説自体は未読の方にもわかるよう説明を尽くしたつもりなので,読んでいない方もこのまま読み進めていただいて構いません.

そして小説をすでに読まれた方や,以前より作品を愛してやまない人たちにも耐えうる内容になってます(たぶん).むしろこれらの方を意識して書かれています.例えば,貴樹が気持ちを伝えられなかった後悔について,おそらく一般的な理解とは異なる位置付けになっています.本解説で新しい発見があらんことを願います.

最後に,解説は前後編となっており,本記事はその前編になります.

長くなりましたが前置きは以上になります.



2.約束した

(1)「あれほどまでに真剣で切実な思い」

本作は第2話を除き,遠野貴樹の独白が多くを占めます.したがって,この主人公の言動を追うことが物語の理解につながります.

お話の時系列に沿って解説したいところですが,ここではいきなり映画最終盤の台詞から始めることをお許しください.

具体的には,貴樹が会社を辞めることにした心情を吐露するシーンです.おそらく多くの人が「?」となったところです.

この数年間とにかく前に進みたくて,届かないものに手を触れたくて,それが具体的に何を指すかも,ほとんど脅迫的とも言えるその思いが,どこから湧いてくるのかもわからずに僕はただ働き続け,気づけば日々弾力を失っていく心がひたすらつらかった.そしてある朝,かつてあれほどまでに真剣で切実だった思いが,きれいに失われていることに僕は気づき,もう限界だと知った時,会社をやめた.

必死だけど疲弊して,といった様子が伝わりますが,この失われた「かつてあれほどまでに真剣で切実だった思い」とは何でしょうか.ともすると,物語のヒロイン,篠原明里あかりへの気持ちかな,と思われるかもしれません.

しかしよく考えてみると,昔の女性への思いが冷めたことが,どうして限界で,しかも会社を辞めることになるのか.素直につながりません.つながるとしたら貴樹はなかなか常軌を逸している気がします.

一般論として,理解困難な人物は物語の主人公になりにくいという知識を我々はなぜか持っているので,おそらくそういうことではないのだろうと予想できます.

では,だとすると,この「切実だった思い」とはいったい何なのか.本記事の前半はこれを明らかにすることに充てられます.


(2)かつての約束

ここでいったん映画と小説について少し説明します.小説では,第3話「秒速5センチメートル」が大幅に加筆され,情報量が映画の4倍ほどになっています(数字は印象).逆に言えば,映画の第3話は小説の1/4程度のボリュームになっており,これが分かりにくさの原因になっているともいえます.小説にはところどころ細かい変更がありますが,物語の内容自体は同じです.

そういうわけで,小説は映画を,おそらく矛盾することなく補完してくれるものとして,この解説ではたびたび参照することになります.

先ほどの貴樹の独白に戻りますが,実は映画オリジナルのもので小説にはありません.もっとも,気になる「切実だった思い」の言い換えらしき表現は見つけられるので,そこを手掛かりに考えていきましょう.

そういうことを考えているうちに、あの頃の自分が抱えていたひりひりとした焦りのようなものを、彼はありありと思い出した。その気持ちはあまりにも今の自分に通底していて、結局自分は何も変わっていないのかと、いささか愕然とする。

142頁(以下ページ数は角川文庫版(2016年)).太字強調は引用者以下同じ

この台詞のシーンを説明すると,大人になった貴樹が仕事で知り合った水野理紗に交際を申し込む頃のものです(水野は,映画だと折り畳みではないケータイの,眼鏡の方).

台詞の「そういうことを考えているうちに」とは,高校の頃,明里との文通も途絶えた後,独り言のような文面のメールを打つ症状もなくなり,明里から一人立ちする準備が整ったのだ,などと思い出していることを指しています.これらも映画には無い情報です.

肝心の太字部分ですが,次のように言い換えられるでしょう.すなわち,明里のことが好きだった頃に抱えていた「焦り」が,大人(28歳)になった今も存在することに驚いた,と.

この「焦り」は,先ほどの映画の「この数年間とにかく前に進みたくて,届かないものに手を触れたくて,それが具体的に何を指すかも,ほとんど脅迫的とも言えるその思い」と内容的にリンクしています.

少なくともここまでで,映画の「切実だった思い」や小説の「焦り」といったものは,明里を好きだった頃に関係していることが分かります.

そこで,そのあたりに関係する描写はないかと探すと,次の言葉に当たります.

大人になるということが具体的にはどういうことなのか、僕にはまだよく分かりません。
でも、いつかずっと先にどこかで偶然に明里に会ったとしても、恥ずかしくないような人間になっていたいと僕は思います。
そのことを、僕は明里と約束したいです。

179-180頁

この文章は,実は明里へ渡せなかった手紙の一部です.岩舟駅に向かう途中で風に飛ばされてしまったあれ.小説だと手紙の最後のページだけですが明らかにされています.「いつかまた明里に会ったときに恥ずかしくない自分でいたい」.これこそが「かつてあれほどまでに真剣で切実だった思い」であり,「焦り」の出どころになります.

さて,この手紙の文面からは「焦り」は感じとれないので,いつからか「焦り」を感じるようになり,やがて「ほとんど脅迫的とも言える思い」となったと予想できます.これを一般に呪いといいますが,この経緯は後編でまた触れたいと思います(※追記:後編でも触れられませんでしたすみません).

とりあえず物語全体からみると,「気づけば日々弾力を失っていく心がひたすらつらかった」にみられるように,貴樹は「切実だった思い」を遠い原因として消耗してしまったようです.小説では次のように描かれます.

いつだって、自分の場所を見つけるために必死だった。自分はまだ、今でも、自分自身にさえなれていない気がする。何かに追いついていない気がする。〈ほんとうの自分〉とかそういうことではなく、まだ途上にすぎないと彼は思う。でも、どこへ向かっての?

154頁.太字は原文だと傍点

必死だけれど,明里にあったときに恥ずかしくない自分でいたい,という当初の目的を忘れてしまっています.この成れの果て感.

ちなみに,ここまでで大人の貴樹にとって明里はすっかり過去の人であることが感じ取れると思います.



3.求めた

(1)「あなたはきっと大丈夫」

さて,かつての「約束」に疲弊し切った貴樹ですが,小説では「約束」に追われる一方で,心の奥底で思っていた別のことが明らかにされます.

具体的には,精神の限界が訪れ,会社を辞めることが決まり,さらに交際していた水野理紗から別れのメールが届いた際の貴樹は次のように思います.

その一言だけが、切実に欲しかった。僕が求めているのはたった一つの言葉だけなのに、なぜ、誰もそれを言ってくれないのだろう。そういう願いがずいぶんと身勝手なものであることも分かっていたが、それを望まずにはいられなかった。久しぶりに目にした雪が、心のずっと深いところにあった扉を開いてしまったかのようだった。
そして一度それに気づいてしまうと、今までずっと、自分はそれを求めていたのだということが彼にははっきりと分かるのだった。
ずっと昔のあの日、あの子が言ってくれた言葉。
貴樹くん、あなたはきっと大丈夫だよ、と

161頁

この言葉は,13歳のとき,別れ際に明里が慎重に,言葉を選びながら,絞り出すように伝えてくれたものでした.


(2)「One more time, One more chance」の意図

ここまで追ってくれば,劇中で引用されたこの曲(クレジットでは「主題歌」に位置付けられています)について,映画を見ている時とは異なる印象になってくるのではないでしょうか.

曲では,忘れられない人を街で探してしまう様が歌われます.しかし,この映画において歌にある会いたい「君」とは実際の明里ではなく,たとえであることに気がつくのではないでしょうか.つまり,貴樹がずっと欲しかった言葉を明里に喩えているのです.その言葉は明里がくれたものですから,彼女に喩えることができるのです.

「あなたはきっと大丈夫」を求めて彷徨う貴樹.これがこの曲を引用した意図ではないかと思います(そしてしばしば指摘されているところですが,この曲は本作のために書き下ろされたものではありません.念のため).

ちなみに,映画を見る限りは,あの曲が流れている間の映像は,どう見ても貴樹が明里に会いたい様子が描かれているようにしか見えず,したがって,そこからかつて好きだったあの子が忘れられない未練たらたらの男という理解に至るのも,自然かと思います.

これについては,監督のせいにしていいと思います.例えば,歌詞の「…言えなかった「好き」という言葉も」の箇所で,貴樹への想いを言葉にできなかった澄田花苗すみた かなえが(第2話の主人公),彼が乗る飛行機を見送るカットを挿入しています.このように歌詞と絵がリンクする構成にすることで,歌詞の通りに映像を理解していいのだと,いわば監督自らが促してしまった側面があります(とはいっても,実は先ほどの理解を踏まえれば,概ね歌詞の通りに理解できるのですが).

なお,貴樹は,欲しかったあの言葉を唯一かけてくれた明里に切実にもう1度会いたかった,という理解を否定するつもりはありません.この場合,明里への未練を断ち切れずにいる描写ではなくなっているわけですから.

ここで加えて説明しておきたいことがあります.それは曲の間,花苗が明里と思しき幻を見たことについてです.誰もが不思議に思われたことでしょう.彼女は明里を知らないはずですから,おかしいのです.

この花苗の謎は先ほどの理解の延長で説明できます.

すなわち,彼女が幻視した理由は,彼女も「きっと大丈夫」を求めていた人だから,と理解できるのです.花苗は貴樹とのこと,進路のことなど自分のこれからについて不安を抱えていましたよね.



4.後悔した

(1)水野理紗との別れ

話を戻します.貴樹に限界が訪れて仕事を辞めることにした直前のシーンで,当時交際していた水野理紗から別れを告げるメールが届きました.

あなたのことは今でも好きです.でも,私たちはきっと1000回もメールして,たぶん心は1センチくらいしか近づけませんでした

小説ではこのメールに変更が加えられています.「あなたのことは今でも好きです」は同じですが,後段が差し替えられています.一部を紹介します.

〈貴樹くんもいつも言ってくれているように、あなたはきっと私のことを好きでいてくれているのだろうとは思います。でも私たちが人を好きになるやりかたは、お互いにちょっとだけ違うのかもしれません。そのちょっとの違いが、私にはだんだん、すこし、辛いのです〉

172頁

こちらの文面からは,なんとなく2人がすれ違っていったことが読み取れます.貴樹はそのことに気づかない,いや気づかないふりをしていました.このことを次に説明します.


(2)後悔

貴樹と水野理紗の関係は,おそらく理紗の方が一方的に消耗してしまい,破局を迎えた可能性があります.これについて,映画だと劇中歌が流れていた最終盤,夜の新宿,貴樹と高層ビルが映されるシーンを思い出していただきたい.

小説だと,あそこで貴樹は15年ぶりに,すなわち駅舎で待つ明里に会えたとき以来の涙を流します.嗚咽と共に(174頁).これによりあの駅で明里の手に落ちた涙は貴樹のものだったことがわかります.

よく見ると直前で貴樹は肩を震わせています

話を戻して夜の新宿ですが,小説だと涙とともに貴樹の心情が描かれます.

——俺はなんて愚かで身勝手なのだろう
と彼は思う。
この十年、いろいろな人のことをほとんどなんの意味もなく傷つけ、それは仕方のないことなんだと自身を欺き、自分自身も際限なく損ない続けてきた。
なぜもっと、真剣に人を思いやることができなかったのだろう。なぜもっと、違う言葉を届けることができなかったのだろう。——彼が歩を進めるほどに、自分でもほとんど忘れていたような様々な後悔が心の表面に浮き上がってきた。
それを止めることができなかった。
「すこし辛いんです」という水野の言葉。すこし。そんなわけはないのだ。「悪かったな」という彼の言葉、「もったいないじゃない」と言ったあの声、「私たちはもうダメなのかな」という塾の女の子、「優しくしないで」という澄田の声と、「ありがとう」という最後の言葉。「ごめんね」と呟く電話越しのあの声。それから。
「あなたはきっと大丈夫」、という明里の言葉

173頁

全文を太字強調したいところですが,あのときあの人の気持ちを思いやることができなかった,そしてそのことに気づきながらもこれまで避けてきた貴樹の後悔が語られます.小説を読んで最も驚いた箇所の1つがここです.映画のどこを探してもこんな描写ないじゃない.監督!

いくつかの後悔とともに,映画には登場しない人たちも見られます.ここでいったん小説未読の方に向けて補足します.

まず「もったいないじゃない」と言った方は,大学の売店でバイトをしていて知り合った貴樹にとって初めての彼女です.そして「塾の女の子」とは,同じく大学時代に個人経営の学習塾でアシスタントとしてアルバイトをしていた際に,短い間交際していた方です.また,「「ありがとう」という最後の言葉」とは花苗のもので,映画とは異なり,小説だと貴樹は彼女にだけ飛行機の時間を伝えており,出発の日に彼女が気持ちを伝えました.そのときの言葉です.

そして「「悪かった」という彼の言葉」の「彼」とは,会社で貴樹と衝突していた前チームリーダーです.これには少し驚きました.おっさん,あんたもか.

さらに細かいですが,映画では澄田花苗の「優しくしないで」は聞き取れないように演出されているのですが(売店の方.ロケット発射直前の方は心の声),貴樹にはちゃんと聞こえていた,ということが分かります.

ちなみに「ごめんね」という電話越しの声は,明里のものです.小学生の頃,栃木への引っ越しを伝えたときのものになります(貴樹の後悔という点では,劇中で唯一ここだけ,しかも懐かしむ感じでですが,触れられました).

わざわざ外からかけている点

さて一人ひとり検討したいところですが,それは読者の皆さんに委ねるとして,ここでは1人に絞りたいと思います.

すなわち,注目は「あなたはきっと大丈夫」がこの後悔リストに含まれていることです.リストはいずれも,貴樹が相手の気持ちに気づけなかった,思いやる言葉をかけてあげられなかったものたちです.そこに彼がずっと欲しかった一言,明里のそれが含まれていることは気になります.

それではあのときどうすればよかったと貴樹は思ったのか.言い換えれば,あの別れ際に明里はどのような言葉を貴樹にかけてほしかったのか.


今回はこの辺りで続きは後編に.
ここまでお読みいただきありがとうございました.


後編を読む


画像:©Makoto Shinkai / CoMix Wave Films

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