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【図解】『関係性の構造』で考える人類史 ~EP2「人間の自然状態」~

「立って歩く」⇒「共同保育」?

人類の最大の特徴は何だろう?
ーーー直立二足歩行。
何故?
ーーー手で道具が使えるようになったから。

各自いろいろと答えはあるだろうが、実は道具が出現したのは600万年の長い人類史のなかで比較的最近のことのようだ(といっても250万年前だが)。

では、直立二足歩行で何がもたらされたのか?
ひとつは「共同保育」である。

人類は食物が豊富にあった森林からサバンナに出たことで、大型獣による捕食リスクや採食が困難なことによる飢餓とつねに背中合わせだった。そこで集団規模を拡大し、同じ血縁関係にない他者とも積極的な協力関係を築かなければ、厳しい生存環境を乗り切ることができなかったのだろうと考えられている。そのうえで重要なファクターのひとつとなったのが、多くの人の手を借りて育児をしたことなのだ。

というのも、人類は直立したことで骨盤の産道がかなり狭まったせいで、胎児が大きくなるまえに出産しなければならなくなった。しかも人間の赤ちゃんは「頭脳」を身体の成長より優先して大きくするために、発育が他の霊長類よりも遅く、また栄養不足を避けるために身体が脂肪にたっぷりと覆われて生まれてくる。つまり、なかなか自立して歩けないうえに、重い

しかも、人類はただでさえ足が遅く力も弱いせいで、サバンナという身を隠す場所が少ない生活環境では大型獣などによる捕食リスクが非常に高かった。人類はハンターではなく、狩られる側だったのだ。それこそ赤ちゃんはまさに格好の餌食である。そこで人類は、十分な繁殖力を維持するため、森に残った類人猿たちに比べ、出産間隔が非常に縮んで多産になった。一度にたくさん産めない以上、間隔を短くしたのだ。

ただし、出産ができるためには、赤ちゃんを早く離乳させないといけない。授乳にかかわるプロラクチンというホルモンが多いと排卵が抑制されるからである。そのうえ、母親は重たい子供を何人も抱えながら、食物を求めて移動生活をしなければならない。世話のかかる赤ちゃんを母親以外の大人たちが共同で面倒を見る必要が出てくる

当然、母親を求めて赤ちゃんは大声を出して泣きだす。それはときに危険な捕食動物に対して居場所を知らせるサインとなってしまうこともあっただろう。他の大人たちは子供を抱きかかえてあやしながら、顔と目を合わせて泣き止ませようとハミングする。赤ちゃんはニッコリ笑ってそれにこたえる。

こうした声や表情を通した赤ちゃんとのやり取りが、人間の同調や共感能力を高めるのに一役買い、やがては大人どうしの感情やことばによるコミュニケーションを発達させた要因のひとつではないかと考えられている。「子守唄」から派生した歌やダンスは、集団内の同調や共感力を高め、協力行動を促進することにも大いに役立ったことだろう。

また人間の女性は他の動物に比べ、閉経後の生存期間が長い。それは、大人になるまでの成長期間が極端に長い人間の子供の育児をするうえで、年長の女性が若い母親を助ける役割を担う重要な存在だったからではないかとも言われている(おばあちゃん仮説)。

このように「共同保育」の必要性が、複数の家族から成る集団を築くうえで重要な要素になったのではないかと考えられているのだ。【1】

「共食」=「コミュニケーション能力」

道具(石器)も人類にとってたしかに重要な発明だったのだが、「火」を使って調理ができるようになったことも非常に画期的だった。

硬い肉や毒性や渋みのある植物でも、火を通せば楽に美味しく食べられるようになるし、消化を早めることができる。栄養価の高い肉食が増えて脳も大きく発達し、消化にかかるエネルギーを集団内のコミュニケーションに回す余裕ができた。

それなりの人数で集団をつくる場合には、複数の相手の性格や他のメンバーとの関係性、過去のやり取りを頭に入れておく必要がある。また、集団内で協力関係を築くには「協調性」も身に着けなければならない。

しかし、互いの思いを共有し、了解し合わないと協調性を高めることは困難だ。そのためには、表情やしぐさから互いの意図や心情を読み合わなければならない。脳が発達したことで、人類はこのような「互いの心を共有」し「認知的な推論」をおこなう表現力や思考力を高めていった

人類学者のロビン・ダンバーによれば、霊長類の大脳のサイズときれいに相関するのは、その種が集団として維持できる人数の規模である。その比率によれば、人間の脳の大きさに最適な人数は150人で、これは現存する狩猟採集民の平均的な集団規模と見事に一致するのだ。脳の発達と思考力の向上が、集団サイズを大きくすることを可能にし、また集団サイズの拡大が脳の進化やコミュニケーション力を相乗的に高めていったのだろう(社会脳仮説)。

さらに、直立二足歩行によって人類は食物をその場で食べるだけでなく、手に取って仲間や家族のために持ち帰ることができるようになった。通常、他の霊長類では基本的に食物は取った人が食べる権利をもっている(先行保有者優先の原則)。これは力が強く序列が上にいる者でさえ守っている原則だ。

しかし、人類はお腹をすかせて待っているであろう人たちをおもんぱかってテイクアウトできる「想像力」と「共感力」を持ち合わせていた。このことが前回取り上げた集団での「共食」を可能にしたのだ。限られた貴重な食物を毎回その場でイートイン、では皆が生きながらえることは難しい。

しかも人類の「共食」の特徴は、たんに獲物や食物を取った人がそうでない人に「分け与える」のではないことだ。これでは「贈与/返報」による「交換型の関係」にしかならない。そうではなく、いったん「皆のもの」にして「分かち合う」ことが重要だった。

これは、自分がいつも上手く食物を見つけられるとは限らないことを考えれば、当然といえば当然かもしれない。自分が上手くいかなかったときに食べる物がまったくないよりは、最初から「皆のもの」にして分かち合えるようにしておく方が「食いっぱぐれ」がなくなるからだ。食物を取ることが上手な人とそうでない人との格差も生じないため、長期的な集団生活をするうえでも互いの関係がこじれにくい。

しかし本来、自己保存だけを考えるならば、食べ物はこっそりと独り占めした方がいいはずである。類人猿でも、せいぜい親子など特定の他者にしか食物贈与がおきないのが普通だ。しかしながら、人類だけが自分と同じ血縁関係にない他者とも気前よく食べ物を分かち合い、さらにそれを良いことだと感じることができるようになった。

 嫌われない「良心」

仲間に対する気前良さや優しさ、協調性の高さは今でも他人の評判が高い人の特徴である。逆に言えば、横暴でずる賢く、自分勝手な人と見なされれば、噂話や悪い評判を立てられ、いじめや社会的制裁を受けやすい。こうした特徴は、狩猟採集生活の長かった人類が、協働して取った食物を集団内で公平に分かち合うために獲得されたと考えられている。

協調性がない者や、力づくで獲物を独占したり、自分だけズルをして分け前にあずかろうとする者には、悪い評判や厳しい非難の目が向けられることにもなった。人間が「顔を赤らめる」のも、周囲の人に見られたくないような行いをしてしまったときに、自分が恥じ入っていることを他人に示すためなのかもしれない。

他人の顔色を窺い、相手の気持ちを忖度して機嫌を損なわないように振る舞う――これは何も昨今の日本人に限った行動習慣などではなく、集団内で協調性を高める必要から自然選択された産物でもあったのだ。集団を離れたり、集団から放擲されてはとても一人では生きていけない生存環境だったのだろう。そのためにいまだに人間は、他人の目や集団内での自分の評判をどうしても気にしてしまう生き物なのだ(最初の回でとりあげた日本人の「マスク問題」を思い出した方もいるのではないだろうか)。

もちろん、いくら協調性を高めたところで、ボスのようにふるまい、すきあらば他人の目を盗むズルはいつの時代にも存在する。ある種の「社会的制裁(集団からの疎外)」や「監視と規制(他人の目や評判)」が効いているからこそ、動物が本来持つ利己的な側面を抑止することができるのだ。

こうして人類は、集団や仲間から離されることを恐れる一方で、集団に対して「帰属意識」を持つようにもなった。そしてまた、集団のなかで「協調性」を保つためのある種の「道徳(モラル)」が規範としての意味をもち、さらに人類はそれを「良心」として内面化していく。

自分がされて嫌なことは相手にせず、嬉しいことを相手にする。自分に対する公平さを求める分、もらった相手にもお返しをする(互酬性)。そして、集団や仲間に貢献して感謝されることを喜び、相手が喜ぶことをみずから進んで行うようになっていく(向社会性)。

過酷な生存環境を集団で生き抜くためのさまざまなシナジー効果が発揮され、人類は「力の優劣」に基づいた「序列型の関係」を巧妙に避けながら、血縁関係にない他者と「共食/共同保育」による「共同型の関係」を築くことが可能になった

もちろん、小規模とはいえ複数の家族を結合させた集団である以上、まとめ役の立場をになう人間はいたはずである。ただしその場合でも、現代の遊動民の首長がそうであるように、皆に対して気前よく振る舞い、皆の話をよく聞き、トラブルを上手く調停できる人物が選ばれていたと思われる。

副葬品に明確な差がつけられていないことからも窺えるように、狩猟採集をして暮らしていた人類の祖先も優劣によって序列をつけ、格差を生み出す集団ではなかったようだ。何ごとかを決める場合でも、現代の遊動民がそうであるように、集団の協調性を保つため、基本的には皆が納得するまで話し合う「全員一致の談合」が何より重視されただろう。

こうして、集団に対して帰属意識をもち、互いに分かち合うことを尊重し、自ら進んで仲間に貢献する「共同型の関係性」を身につけた人類は、およそ1万年前に定住がはじまるまでの長い期間を、このような小集団(バンド)を形成して生きながらえてきた。

やがて人類は高度な認知能力や思考能力を得て、さまざまな「価値観」や「物語」を生み出し、皆で共有し、世代を超えて語り継いでいく。それらは、よりいっそう集団内の結束や身内意識を促し、それぞれの集団に特異な「掟」や「言語」「アイデンティティー」を形成していくことになるのだ。

原始共同体の内部規範

【1】
複数家族の集合として共同体をつくったことで、人類において「食」と「性」をめぐる個体間の競合問題は、他の生物と異なる解決が図られた。

前回見た通り、生物にとって重要なのは「自己保存」である以上、「食物」は単独で密やかに取り、「繁殖行為」は他のライバルに誇示する方が生存上優位にたてる。

ところが、人類は集団内部での「公平性」を担保することで個体間の協力関係を維持していたため、「食」は共同でオープンに取り、逆に「性」は単婚で密やかに行うものになったと考えられる。

(つづく)


主な参考・関連書籍



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