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七五三の辛い思い出を癒しました。
「自分を大切にする。」「自分を癒す。」
心理カウンセラーになって随分やってきましたが、
久しぶりにまだ癒されてない事があったので、
シェアしますね^^
ーーー
講座のスタッフしてくれてるかっちゃんと、
まーちゃんと
川崎大師というお寺に行ったんだ。
その仲見世のお店であるものに
釘付けになった
それは。。。
「千歳飴」!!
長ーい袋に入ってるやつ!!
あー!!!私がずっと憧れだったやつやん!!
って思わず、立ち止まってしまった。
千歳飴といえば、七五三のお詣りで
子供達がもらうやつ。
私は小さい頃から、この長い袋が
気になって仕方なかった。
昔CMでもやってたんだよね。
不二家のペコちゃん千歳飴。
今でも歌、歌えるもん。笑
私の七五三の思い出はちょっと変なの。
長くなるけど、今日は話そうかな。
私が5歳くらいの時だと思うんだけど、
家で、
おじいちゃんが貢いでいた女の人の息子の
七五三のお祝いをしてやらにゃあ
という話を、おばあちゃんとお母さんの前で
してたんだよね。
あ、
いきなり、情報多過ぎて
訳わからなくなったかな?^^;
うちの実家、変な家で、
おじいちゃんもおばあちゃんも
お父さんも浮気してたんだけど、
お父さんは完全犯罪で
バレないように仮面夫婦をしてて、
おじいちゃんは真逆で
女の人のこと全部家で話して、
いつもそのことで
おじいちゃんとおばあちゃんと
お母ちゃんは大声で怒鳴り合ってたの。
おじいちゃん、
京都三条大橋の水商売ばかり入ってる
ビルの管理人をしていて、
(当時の)相手はそこのスナックのママ
だったのね。
(歴代、常に女がいた)
私は時々、そのビルに連れて行かれて
そのママとも何度か会ったことが
あるんだけど、
その人、
子供に笑って話しかけるとか
一切しない人で、
子供嫌いオーラが全開で出てる感じで、
化粧も濃くて、とにかくキツイ感じの
おばさん。
子供心にすごく怖かった。
彼女はおじいちゃんには
すごい苦労話をするらしくて、
おじいちゃんはいつもその
スナックのママが可哀想だと言って、
働いたお金、
全く家には入れず
そのママに貢いでいたらしい。
給料全部「やましな」に持っていくから
許せないっていつも
お母ちゃんが怒ってた。
そのママは、京都駅の隣の
「山科(やましな)駅」に住んでたから、
家では「やましな」って呼ばれてたんだけど、
いつも、うちは「やましな」の話題で
怒鳴り声が絶えなかった。
さっき、祖父の浮気相手って書いたけど、
母と祖母の話では、
浮気相手というよりは
ただ金づるとして利用されてる
だけだと言ってた。
確かに、すごく年も違ってたし、
私が会った時も
今から思い返せば、
恋人同士って感じではなかったな。
で、話は戻って、
「やましなの息子が七五三だから
お祝いしてやらにゃあ」
なんて上機嫌でおじいちゃんが
言うもんだから、
また家は修羅場と化して、
お母ちゃんが
「うちにも七五三の子いるんやで!
わかってるのーー!!??」って
すごい剣幕で怒鳴ったんだよね。
そしたら、おじいちゃんが
その言葉に
「・・・」
って押し黙っちゃって、
それで急に、
おじいちゃんと私が七五三に
行くことになったんだ。
それから数日後、
七五三だからって、特に綺麗な服を
着せてもらうこともなく、
「さぁ、行くでー」って言われて
神社に連れられて、
着いた場所に
「やましな」がいた。
うわっ!嫌だー!
と思った。
(子供心にホラーみたいな恐怖心)
目を背けたくなったけど、
ふと違和感に気づいた。
「やましな」の隣には
男の子がいたんだ。
私よりは少し幼い感じの子。
子供嫌いと思ってたおばさんが
子供がいるのがなんか似合わなくって、
びっくりしたけど、
そうだった。
「やましな」の
息子の七五三の話してたもんね。
そこでやっと繋がった。
おじいちゃんにはちょっと裏切られた
気持ちがした。
私のためのお祝いじゃないのかよ、って。
「やましな」の息子は紺色の短パンの
スーツを着てて、私よりよほど上品な身なり。
緊張してるのか、それとも私と同じように
子供らしくできなかったのか、
とても大人しくしてた。
当時の私は、喋りかけに行くほどの
社交性も器の大きさも
持ち合わせてなくて、
むしろ、この変な緊張感を乗り越えるのが
かなりのストレスで、
自分だけでいっぱいいっぱいだった。
そんな
奇妙な4人での七五三。
「やましな」はずっと怖い顔してるし、
おじいちゃんも私と二人の時の
おじいちゃんと違って、
「やましな」にばかり喋ってるし、
子供心に私、邪魔なのかなぁって。
「やましな」も私がいるのが
面白くないんだろうなぁって
思ったんだよね。
5歳にして空気読んじゃう私だった。
ほんと、何がお祝いなんだと
言いたくなるような
地獄のような時間だった。
お詣りして、確か食事をしたような
気がするけど、
めでたい雰囲気も
笑顔も全くなく過ごした。
そんな気持ち悪い七五三。
千歳飴とか千歳飴以外の何かとか
特に何も持って帰ることもなく。
で、私の中で、千歳飴って
どこで、いつもらえるの〜?
って謎になった。
そうして、千歳飴は
「私がもらえなかったもの」
になったんだろうね。
千歳飴が
大切にしてらもらう
愛情の象徴のようなものに
私の目には映ってたのかもしれない。
私もみんなみたいに
心からお祝いされて
大切にされたかった。
お母ちゃんはこの時の話を
何度もおじいちゃんを打ち負かした
武勇伝みたいに話してたけど、
私は自分の七五三を
誰かのついでとか、
相手をギャフンと言わせる道具とか、
そんな風に
適当に扱われたくなかったって
ずっと思ってたのかもしれない。
5歳の私が悲しく思ってたんだと思う。
だから、いつまでたっても、
千歳飴が忘れられなかったのかも
しれないね。
そんで、話は戻って、現代。
川崎大師の仲見世で、千歳飴に釘付けになり、
心の中の小さな私が
「あー!!千歳飴やーーん!!
欲しいーーー!!!」って
騒ぎ出したんだけど、
「だって、もう大人だし」
「千歳飴買うのも変だよね、、、」
なんて気持ちを納めようとしたら、
スタッフのまーちゃんとかっちゃんが
「そんなのちもさん、買わなきゃー!!」
「買ったげるー!!」
って言ってくれて、(涙)
念願の
千歳飴を手に入れることができた!!
ありがとう♡
小さな私が喜んでる気がした。
気持ちの成仏だね。
大人になっても、こうやって、
小さい頃できなかった望みを
叶えてあげるのがいいね。
そりゃあ、あの時もらえたら
一番良かったのかもしれないけれど、
今、叶えてあげることで
少しは癒されるからね。
長くなったけど、
今日はそんなお話でした。
あなたもそんな機会があったら、
無視せずに、自分の魂を喜ばす
チャンスだと思って
ぜひ望みを叶えてあげてくださいね。
あ、千歳飴って、袋は長いけど
中身は案外短いんだね。
知らなかった。笑