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エッセイ『晴れすぎた空の下で』

 夏休み前の7/4に書いたエッセイです。スクールカウンセラーの何気ない1日の始まりを書きました。


『晴れすぎた空の下で』

 私の前には夏が立ちはだかっている、そんな朝だった。蝉もまだ地中で眠っているというのに、気温は三十度を優に超え、今が梅雨の最中であることなどお構いなしに、陽射しは暴力的に降り注ぐ。梅雨は人間が勝手に定めたもの、自然は人の手の届くところにないという事実が、ただあった。

 スクールカウンセラーの朝は遅い。朝の打ち合わせなどは疾っくの疾うに終わった職員室に、一時間目の授業にせかせかと向かう先生達とすれ違いながら、気怠げな挨拶の声とともに、漸く現れる。子ども達は学校にいる大人を一纏めに「先生」と呼ぶが、実際は様々な職種の大人が、各々の役割をこなすことで学校という小さな社会が運営されている。

 その中でもスクールカウンセラーの担う役割は決して大きくはない。学校で何か揉め事があれば、それは教員の領分となる。家で何か大きな揉め事があればそれは児童相談所の領分となる。教員のように家庭訪問をする権利はなく、医者のように診断を下す権利も持ち合わせていない。「学校の相談室に来室できる」という条件を突破できる人とだけ、初めて相談を行うことができる。その上、一度の相談、たった五十分のやり取りで、何かが大きく変わることはまずない。そんな役割。

 そもそもこの暑さの中来室できる人は、少なくとも最悪の状態ではないだろう。今日は暑すぎてプールの授業が中止になったそうだ。台風で学校を閉めるなら、猛暑も十二分に閉める理由になるのでは、というような話を廊下の生徒たちが話していた。至極真っ当な意見のように思われる。大人になっても休校の連絡を待ち焦がれる少年の心が、自分の中にまだある。生徒たちのぼやきを憐れみながら、冷房をがんがんにした相談室の隅にあるデスクで仕事道具を整える。廊下の彼方から、いつも相談にくる保護者の鞄についた鈴の音がチリチリと聞こえてきた。少年の心に蓋をして、一つ咳払いをして喉を起こす。相談室の扉が力なくノックされた。今日も一日が始まる。


とてもありがとうございます◎◎