奴隷感覚のワンネス、スピリチャルの限界を超えれるか?
今日は人類の希望を語ってみる。
最近、出版されたBEST BEING。
その本の一節には、シンプルだけど美しい「ワンネスを超えるワンネス」の
表現があり、感動しすぎて言葉化せずにはいられなかったので、
書き込みしてみる。
まずは、ここのパートから。
108P 参照 ↓
「そこで認識技術ではワンネスをひとつの箱(フレーム)に収め、「この箱は
どこから来て、どこへ行くのか」という質問に置き換えることで、E段階の質問への足掛かりにしました」
(※E段階とは、悟りの段階なので詳しくは著書を参考)
一体何が感動したのか?この下記の4つの視点で整理してみたい。
1.定義することのパワー
2.スピ系の勘違い
3.受動的なワンネス
4.教育体系化に至らない
1.定義することのパワー
定義と聞くと、しちめんどくさい、ややこしい、難しいこと言うな、と思われやすい。
けど、定義をすることで曖昧模糊から、限定、制限されることで、イメージが明確化でき、その結果、エネルギーも一極集中され、それにともない体の感覚としてもスッキリする。
さきほどのBEST BEING 一節の内容の話しに戻るが、
「自分だけ」じゃなく、「自分がみている現象世界」を定義する。
言い換えると、「自分がみている現象世界」を四角の枠で囲むことで、
「その枠の外はなんだろう?」という自動的に質問が生まれる。
このように対称性を使って、中があるから、外があるね、という外を新たに
イメージさせる論理展開が美しいと感じた。
加えて、110P に書かれている内容とも繋がるが、
「自分がみている現象世界」を、スマートフォンの電源が入った状態、とオーバーラップさせて分かりやすく説明している。
このワンネスを超えたワンネスの悟りのイメージを伝えるには、
スマホ、PC画面を例えに説明するのが今のところ世界で一番分かりやすいと思う。
さらに、
スマートフォンの電源が切れた真っ暗な状態を「自分がみている現象世界の外」
すなわち、ワンネスの境界線の外を定義して、ワンネスを超越した世界に案内することになる。
2.スピ系の勘違い
先ほど述べた、このシンプルな悟りのイメージは、今まで、自分が見ている
現象世界が全体像でもあり「ワンネスだった」という大きな勘違いにも気付ける。
スピ系の99.9%が実は、部分のワンネスを「1つの世界」と捉えていたという
勘違い、ショックが、入る瞬間だと思った。
(※少なくても自分はショックが入った)
なぜならば、ワンネスという言葉を発した瞬間に「ワンネスじゃない」という外の世界をも作り出し、
「ワンネスじゃないじゃん」とツッコミが入り、全体から切り離された部分のワンネスを必然的に作り上げてしまうことになる。
感覚レベルだともちろん、それは当てはまらないとは思うが、それは主観的な悟りであり共有不可能になってしまうし、
悟った人、悟ってない人、と違うんだ、という分離を生み出し、
「悟った聖者がすごい!」私は凡人だ、という差を作り、「差」とれない状況を
生み出してしまう。
3.受動的なワンネス
自分ごときだが、約1ヶ月インドに悟りの修行に行き、瞑想しまくりワンネスの
体験、感覚を得たけど、
それがエネルギーを貰うという特徴でもあるが、受動的であり、自分で
コントロールできない、ハプニングのような形で「上から降ってくるような」
待ちの感覚依存であった。
そんな、まるで奴隷感覚のような限界を感じており、ずっと
「受け身100%、クリエイティブ0%の悟りの状態」に悩んでいた。
感覚の悟りって受け身、誰かにコントロールされている感があり、これが悟り?みたいな。がっかり、残念な絶望的な毎日をダラダラと過ごしていた。
そんな悶々とした日々を過ごし、人間が本当に自由に活き活きと、生きる道は
残されてないのかも?と、諦めかけ、ふてくさて、腐りかけてた人生だった。
4.教育体系化に至らない
今までの一時的な感覚のワンネスでは定義ができないことから、人に共有できないという弱点があり、もちろん「鬱、自殺、戦争」をクリアする教育体系にまで至らなかった。
しかし、このBEST BEINGの本には、最初に伝えた「ワンネスすら枠を作る」という単純でシンプルな定義のイメージにより、人類の飛躍的なバージョンUPを作り出している。
そうした「定義」をすることで、伝える教育が可能になり、真理という今まで感覚や、不立文字と言われた世界を「人類で初めて真理を伝えることができる」というノーベル賞を2500個もらっても足りないぐらいの人類の貢献度はデカい。
悟りを「定義」をすることが、人類にとって、真理を伝える「すべ」があるということが、どれほどの希望なのか?
それは、どれだけ大袈裟に言おうとも、筆舌に尽くしがたい人類にとっての大きなギフトになり、時代のプレートチェンジが100%起きる技術にもなる、と思った。
【まとめ】
今までのワンネスは、気持ちいいという感覚のエネルギーにも依存し、
「自分の意思感覚」のイメージを発動することができなかった。
大きな宇宙のエネルギーというもの、それをも結局は誰かに従う奴隷と一緒で、
受動的な生き方になってしまう。
その「奴隷感覚」に悩まされ、希望がまったくない絶望だった。
そこから、認識技術という伝えれる真理に出会い、真の主体性を発揮できる人生が始まった。
本を読みながら、改めて認識技術に出会った頃の歓喜、感動を思い出し、
言葉化したく、こうして文章をしたためてみた。
この本の内容が究極すぎるので「分からない傾向にある」というデメリットも
あると思うが、
ワンネス、スピリチャルだけのイメージ、感覚だけだと「限界」「たいして幸せになれる感覚がない」って人が、
もしいるならば、
ぜひ本を手に取り、読み、内容を熟読玩味し、その悟りのイメージを日常生活にも応用、活用し、
「真に主体性で生きることが、こんなに楽ちん♪なのか?」ということを実感レベルで、体感してみてください。
では、今日は、人類の希望を語ってみました。
ありがとうございました。
PS:ここで謝らなければいけないお詫びがあります。今までの文章で
ワンネスを超えるワンネスという定義の話しをしましたが、
実は、その先のイメージもあります。
中途半端な表現で、すみませんでした。
詳しくは、本を読んで、ワンネスを超えるワンネスの「その先」の
イメージまで、ぜひ、出会ってみてください。