【書評】シンギュラリティ・コンクェスト(著: 山口優):私たち人間の存在意義と技術的特異点

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シンギュラリティ(技術的特異点)という言葉を、皆さんはご存知でしょうか?

平たく言ってしまえば、それは「人間が人類より優れた知性を作り出した時爆発的に技術開発のスピードが加速する」という考えです。
なぜなら人類が生み出した人類を超える優れた知性はさらに優れた知性を作ることが可能なはずです。ならばさらにその最も優れた知性が、それ以上の知性を生み出し…という無限コンボによって、それまでの人類の知的活動を置き去りにするような超スピードの技術発展が始まる。

それは人の足で階段を一段ずつ登るように技術を発展させてきた人類史において、その階段の途中に突然ワープポイントが登場したようなものです。その変化は不可逆的であり、またその前後での連続性が保てないほどの革新となるでしょう。ゆえに技術的特異点(シンギュラリティ)というのです。
人類史上、おそらく最大の変化となるであろうこのシンギュラリティは、その影響の大きさゆえ、それに伴う問題もまた巨大なものとなります。


今回書評させて頂く山口優 著「シンギュラリティ・コンクェスト」は、まさにその「シンギュラリティの克服」という題名の通り、このシンギュラリティにまつわる様々な問題に真正面から挑んだ一冊です。
宇宙レベルの世界的危機を背景に、まさにシンギュラリティが到来しようとしている世界での人々の葛藤と闘い、そしてその結末を描いた、れっきとしたハードSF小説です。

結論からいえば、これはハードSFでありながら多くの人に勧められる珠玉の一冊であるといえるでしょう。
本書はシンギュラリティというやや遠大なテーマに挑みながらも王道で力強いストーリー展開と構図の設定、それを下支えするSF的なリアリティ。なによりシンギュラリティ問題の隠れた本質である「人」に明確に焦点を当てることで生まれた、ややもすればハードSFに最も不足しがちな「読者が共感できる」というストーリーとしての熱さを併せ持った、稀有なハードSF小説であるからです。


ここからは、多少のネタバレが含まれることをお許し頂きつつ、私なりに詳しくこの小説の魅力について、3章に分けて皆さんにお話していきたいと思います。よろしければお付き合い下さい。
(ネタバレは最小限となるよう心がけますが、もし真っ白な視点で本書を読みた方は、ぜひ読後にまたお目にかかれればと思います)



◆正面からシンギュラリティ問題へ取り組み、読者へ語りかける構図

本書の主題の中核であり、語る上で避けては通れないのが、シンギュラリティにまつわる問題です
具体的にそれはどういう問題なのか? やや回りくどいのを承知で、ここで改めて、本書でも度々引き合いに出されるシンギュラリティについての古典的な言及を引用しつつ説明しましょう。

超知的マシンを、いかなる賢い人もはるかに凌ぐ知的なマシンであるとする。そのようなマシンの設計も知的活動に他ならないので、超知的マシンはさらに知的なマシンを設計できるだろう。それによって間違いなく知能の爆発的発展があり、人類は置いていかれるだろう。従って、最初の超知的マシンが人類の最後の発明となる。         アーヴィング・J・グッド(1965)

グッドが指摘したこのようなポスト・シンギュラリティ時代における、主要な問題点は主に2つ

一つは超シンギュラリティ知性(グッドのいう超知的マシン)が、人間と共存することができるのか…より具体的には、人間を排除したり、無用なものと判断したりして、互いに争うことがないのかという問題です。
イメージしやすい例では、かの名作映画ターミネーターに登場し、自我を得た末に人類を滅ぼそうとしたAI「スカイネット」が挙げられるでしょう。

作中では超シンギュラリティ知性とは、いかな人類よりも高度な発想力と発明能力を持ち、また懸絶した演算能力=ネットワーク上の電子戦における戦闘力を持つことから、「一度それが人間に反乱を起こせば人類は滅びる」という具体的な危機感を、世界中の多くの人が感じるまでになっています。造物主が被創造物に滅ぼされる、いわゆる「フランケンシュタイン・コンプレックス」です。

一方で、作中世界にはそれでも超シンギュラリティ知性を生み出す動機があります。原因不明の宇宙背景放射の増大…いうなれば「宇宙の空が燃える」ことで地球ごと人類が滅亡するという巨大な危機が迫っており、超シンギュラリティ知性を生み出しその危機の解明と解決を委ねようというものです。

すなわち、宇宙災害による人類滅亡の危機と、その解決のため作り出した超シンギュラリティ知性が人類を滅ぼすかもしれない…という二律背反の中で揺れ動く世界観を通して、本作はこの問題を読者に叩きつけてきます


そしてもう一つの問題が、超シンギュラリティ知性の登場によって人類の存在する意味は失われてしまうのではないか?という危機感です。まさにグッドが「最初の超知的マシンが人類の最後の発明となる」と指摘したように。

「認めないわよ、あなたみたいな機械なんかを、人類の導き手にすることなんか!人類の未来を任せることなんか!」(日向美玖)
「純粋に嫌なんだよ。人間が人工物に負けてしまうというのが」(ヨハン・セイツ)
「全ての発展をロボットに委ねる?それは人であることを放棄したに等しい。ただの家畜だ」(ヤン・ゼメスキ)

このように作中でも様々な人々が、超シンギュラリティ知性に対する反感の言葉を口にしています。しかしこれは未知の異知性体に対する単なる感情的な反発にとどまるものではありません
3つ目のヤンの続くセリフ「ただ生かされているだけじゃ駄目なんだよ。それは、本質的に生きていないんだ」という言葉は、まさに人が存在する意味そのものを読者に問うていることに気付かされます。


このように「シンギュラリティ・コンクェスト」は、ストーリーの主軸としては勿論のこと、シンギュラリティにまつわる問題について、様々な登場人物のセリフや行動を通して、読者に対して「あなたはどう思いますか?」という問いかけを強く投げかけてきます。
ともすれば現代の常識から遠く離れ、読者は唖然とそれを見つめることも多いハードSF小説としてこれは異色ともいえます。が、それがこの小説の素晴らしさであると私は思います。

シンギュラリティにまつわる議論が時に「2045年問題」と言われるように、実のところ、これはもはや私たちにとって決して遠くはない未来の出来事なのですから。


筆者の山口優先生は、こうした問いかけの末、一つの結論を明確に描いて幕引きとしています。それは先生が「ナイーブに過ぎる一方で、強力な解だとも思う」と語る通り、惜しみない拍手を贈りたい見事な回答だったと、私は思います。
その答えが見たい方は、ぜひ本書を手に取ることをお勧めします。

構図により表現された明確な問いかけ、その葛藤の描写、そしてそれに対する回答までを、読者に寄り添いながら描ききったこと。
テーマこそが影の主役たるハードSFにおいて、これはまさに珠玉と呼ぶにふさわしいことではないでしょうか?


◆SFガジェットと神話的モチーフとが融合したシンプルで力強いストーリー展開

次に、シンギュラリティというテーマとは離れて、純粋に小説として素晴らしいと感動したのがこの点でした。
本書の章立てはこのようになっています。

第一章 稜威(シンギュラリティ)
第二章 誓い(コンペティション)
第三章 天岩戸(アンコントロール)
第四章 力比べ(バトル)
第五章 日子(メサイア)
終章  天壌無窮(シンギュラリティ・コンクェスト)

そして各章の冒頭には、日本神話からの引用がなされます。例えば第三章であれば、

第三章 天岩戸(アンコントロール)

故ここに天照大御神見畏みて、天の石屋戸を開きてさし籠りましき
(中略)
ここをもちて八百万の神、天の安の河原に神集ひ集ひて、高御産巣日神の子、思金神に思はしめて…(古事記)

これは日本神話でもひときわ有名な、主神にして太陽神である天照大御神(アマテラスオオミカミ)が須佐之男命への怒りから天岩戸へ閉じこもり、世界から光が消えてしまったエピソードです。その後、神々は思金神(オモイカネノカミ)と、世界に光を取り戻すため、天照大御神がどうすれば外に出てきてくれるものか…と頭を悩ませるのです。

(ちなみにお気づきの方もいるでしょうが、思金神は私の名前の由来ともなっている神様です)

実はこうした各章冒頭での引用は、小説にありがちな「それっぽい雰囲気を出すガジェット」とは一線を画す、非常に象徴的な意味合いを持っています。
というのも、第三章の話は、実はこの日本神話のストーリーをそっくりなぞっているからです。

この第三章は、本作の中心「人物」となる超シンギュラリティ知性、天夢(あむ)が反乱を起こし、閉じこもってしまうというエピソードです。
そして彼女、天夢の正式な名称こそAMATERASーー「シンギュラリティ時代の為の、多義的な情動による人工精神」(the Artificial Mind of Ambiguously Textured Emotion Responsible for the Age of Singularity)。
その上、彼女が閉じこもる場所は、内殻演算支援領域ーーInternal Workbench Territory: IWT(いわと)であり、彼女をどう説得するか人々は頭を悩ませる…というストーリーは、今まさに皆さんが目にした日本神話のエピソードそのものです。

単なる語呂合わせの遊び、と片付けるにはあまりに膨大な労力を費やして、本書ではそのSFガジェットを日本神話のモチーフに結びつけ、さらにストーリーの展開までが神話をなぞっているのです。
(ちなみにやったことのある方なら分かると思いますが、うまく英語の頭文字を拾ってこうした言葉を作るというのはとてつもなく大変な作業です)

そして第三章に限らず、こうした神話の構図へのなぞらえは、多かれ少なかれ全章に渡ってなされています


この結びつきが、しかしただの言葉遊びにとどまらず、二重三重の意味を持っているのが本書の凄い所です。
たとえば天夢、AMATERASは、超シンギュラリティ知性…いわば人工の神として生み出され、期待された存在であること。その彼女が天岩戸を出ることにより、世界に光がもたらされ、希望が生まれるということ。
神話という象徴と連携することで、本書は天夢に与えられた使命や、ストーリーの展開がどんな変化をもたらすかを一言を語ることもなく、しかし深く読者の心に刻みつけていきます

神話というのは、基本的にすごくシンプルなお話です。そしてそれになぞらえた本書のストーリー展開は、改めて各章ごとに見てみると驚くほどに王道でシンプルです。
それは小説としては、ともすれば稚拙ととられかねません。しかしシンギュラリティ問題というテーマの骨太さ、そしてそれを幾重の隠喩で包み、深みを与える神話的モチーフとSFの融合によってそうした拙劣さをまるで感じさせません。
むしろ、そのシンプルさ読み解きやすさストーリー展開のメリハリを生み出し、ハードSF特有の読みづらさを全く感じさせない美点として機能しているのではないかと思うのです。


神話的モチーフSF要素ストーリー三位一体による暗示的な表現のもたらす深みと、シンプルで王道ながら読み飽きず、読みやすいストーリー

神話の知識がなくとも読み解くのはたやすく、ただ知っていれば深みが増していく。また各章冒頭に神話とともに挿入されるいかにもハードSF的な、「宇宙災害(AUVR現象)」の論文じみた解説も、極論読み飛ばしても何も問題はありません。けれど理解できれば面白みはさらに増します

ゆえにこれはあまり小説を読まない人から、ハードSF好きまで、万人に勧められる一冊になりうると私は思うのです。
小説好きとして唸らずにはいられない。まさに「お見事」の一言でした。


◆シンギュラリティ問題の本質である「人」に焦点を当てた描写

シンギュラリティ問題の本質とはなにか?
一見すればそれはAIや人工知性といった技術的な問題に帰するように思えます。
しかし違うのです。シンギュラリティとは「人工物」が「人類」の知性を上回ることで生じます。つまりそれは相対的な問題であり、シンギュラリティ問題の本質はむしろ人間にあるのです。

ゆえにシンギュラリティ問題に正面から取り組んだ本書が、技術や科学、哲学的な側面の強いものではなく、「人」に焦点を当てた小説となったのはある意味で必然と言えるでしょう。

実は、既に紹介した本作のキー「パーソン」、超シンギュラリティ知性「天夢 (AMATERS)」は、驚くべきことに少女の姿を持ったアンドロイドとして登場します。
彼女は人を超えた知性でありながら、人と同じ「クオリア」、感覚や感情といった要素を与えられ、超越的な演算力と思考力を持ちながらも人と心を通わせうる異知性として描かれます。
彼女は本作のもう一人の主人公である幼少期のトラウマを抱えた女性軍人のセラカ・リヴアや、彼女の生みの親である技術者、榑杉 虔といった様々な人々と彼女の情緒的な交流関係性の変化が前半のストーリーの軸となります。

少女型アンドロイドが人々との関わりの中で感情を獲得していく…というと、まるでやや使い古された感のあるライトノベルのストーリーのようにも聞こえます。裏を返せば私たちにとって馴染みのある「飲み込みやすい」設定であるとも言えるでしょう。
ですが、AMATERASという名の下に彼女が背負った「神」ともいえる使命超シンギュラリティ知性としての葛藤、そして「フランケンシュタイン・コンプレックス」という重い枷と偏見…。それが本作の主題たる「シンギュラリティの克服」と合わさった時、一見同じ構図の古典的な人工知性の成長物語とはまるで違う新たな地平が、そこには見えてきます。
「人」であることを望まれた「超知性」たる彼女が何を考えどう変わり、何を決断していくか。それこそが本書の核と言ってもいいでしょう。


その彼女と周囲の人々の葛藤を引き立て、やはり読者に「考えさせる」のが、彼女とは異なる超シンギュラリティ知性メサイアとの対立の構図です。
MESSIAH(メサイア):「独立かつ全パラメータ的絵ルミティアンノードによる極大進化自立系統群」(Maximally Evolutional and Spontaneous System of Independent and All-parameterized Hermitian-nodes)。

メサイア(救世主)。もはやこの名前だけで、「彼」が何を望まれ生みだされたのかはお分かりでしょう。天夢感情を持つ超シンギュラリティ知性なら、メサイアは感情を持たない超シンギュラリティ知性、まさに究極の機械的AIとして生み出された存在です。
超シンギュラリティ知性が人間性を持たないということが何を意味するのか? 一章でも触れた「人の存在する意義」とは何か?
AMATERASたる天夢の存在意義を反対から照らし出す日子(ひるこ)たるMESSIAHという構造は、それを読者に強く問いかけます。


そして物語の中で、彼女は対比されるだけでなく、ストーリーの中で様々な形で直接に戦います
実際、本作はこれ以外にも紙面を「戦闘シーン」の描写に少なからず割いていて、これもハードSFの中ではやはり異色と思えます。これもいわばライトノベル的な、同じく馴染みある描写といえましょう。
しかし戦闘とは、つまり対立構造の具現化であり、実は強いメッセージ性を持つものです。また特に人と「人」の関係性にフォーカスした本作は、事実戦いの中での意思や言葉のやり取り抜きには語れないものがあります。ゆえにこれは「ライトノベル的な描写」と皮相的に見るのではなく、対立と和解という人間関係の変化を「戦闘」という分かりやすい形に仮託したのではないか、と考えたいです。
またそれが一つ、本書の「読みやすさ」に繋がっているのかもしれません。


総括しましょう。
シンギュラリティ問題とは、本質的には人間の問題であり、ゆえにその問題に挑むために天夢という超シンギュラリティ知性の両面性を持つキャラクターを導入したのは、本作を決定づける素晴らしい発想だったと思います。
そして人型アンドロイドや戦闘を通したコミュニケーションという、一見してライトノベル的な「お馴染み」の描写は、しかし「人」に焦点を当てた本作においてこそより深い意味を持ち、同時に作品としての読みやすさにも繋がっています
これだけハードなテーマを描きながら、この作品が驚くほどすっと胸に入ってくるのは、そうした馴染みやすく感情移入のし易い要素が丁寧に用意されているからこそなのだろう、と思います。


◆まとめ

私にとってハードSFとは、ある意味で学術書的なものであり、娯楽として読むというよりは「読み解く」面白さに溢れたジャンルだと考えていました。しかし本書「シンギュラリティ・コンクェスト」には、そうした私の既成概念を崩壊させるに十分以上のインパクトがある、実に素晴らしい作品でした。

一つは「シンギュラリティ問題」という重厚なテーマにいともたやすく読者を呼び込み、問いかけ、考えさせる見事な構図の描写。様々な人物の口から語られる言葉や対立の構図。そこに問題の難しさ、奥深さをありありと映し出し、その上で最後にはそこに筆者なりの明確な答えを叩きつけたことは、見事という他ありません。

一つは神話のモチーフとSFガジェットを融合させ、神話をなぞったシンプルで起伏ある王道のストーリーと、本来それと相反する奥深さを両立させたこと。それが本作を単なるSFにとどまらない、より深みのある、間口の広い物語となさしめていること。

そして一つは、シンギュラリティ問題が本質的に人の問題であることを一貫して示し、それにまつわる「人」の情動を通して、問題を鮮やかに描写してみせたこと。
ともすれば「ありきたり」のライトノベル的な描写によって、本丸となる「人の存在する意義」や「シンギュラリティの克服とは」という重厚なテーマに対する葛藤とその答えを、読者の胸にすっと入ってくる、馴染みやすく感情移入できる形で描写しきったこと。


すなわち「シンギュラリティの克服」という表題が語る重厚で難解なテーマを、しかし幅広い読者が理解し、感情移入し、共感できる形で描写し、読み飽きることのない力強い一本のストーリーとして完成させたこと。
この小説の素晴らしい点はそこにこそあると思います。

私はハードSF愛好家で、グレッグ・イーガンを愛読しています。けれど、ふと思い立って彼の著書を読み返そうとは中々思えません。それは余りに難解で、超現実的だからです。
しかし「シンギュラリティ・コンクェスト」は、この先、おそらく何度も何度も読み返す一冊になるでしょう。それは本書の鮮やかな描写が、重厚なテーマすらすっと清水がしみるように心に、けれども決して飽きさせない味わいをもって届けてくれるからです。


ハードSFは難解であることに本質的な意味はない。
ハードSFの効用関数とは、それが描写し提示するテーマの軽重にこそある。
私の既成概念を壊してくれたこの一冊に、感謝を。


…だからこそ、私はこの小説が増刷されず、新書として流通していないことを心の底から残念に思います。私がハードSFというジャンルを人にすすめるとしたら、まず最初に手に取るのは、まさにこの「シンギュラリティ・コンクェスト」なのですから。

願わくば、この一冊がまた新書として多くの人の目に触れんことを。
そして私のこのレビューが、ささやかながらその一助とならんことを、心から願っています。

長くなりましたが、これをもって今回の書評の締めとさせていただきます。



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