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心の声を言葉にしてくれる友だち

私の脳内には
「誰がなんと言おうとそれでいいじゃないか」と
「周りはどう思うかな?」が共存する。

だれでも大小の葛藤を、脳や心の中に
棲まわせながら日々を生きている。

ただ、それでも過去のトラウマやなかなか
重たい話題は、抱え気味になっていた。
吐き出せば解決するという可能性をどこかで
信じきれていなかったのかもしれない。

先日、友だちが救ってくれたことが2つほどあった。
2つ目の話は、結構あるあるだと思う。


1対1より怖い、複数対1

1つ目は、まさに過去のトラウマ。
複数の同僚の前でされた嫌がらせ。
した人はもう絶対覚えていないだろう。

重たい漬物石をひきずり下ろすように
何年も寝かせていたことを同僚兼、友だちに打ち明けた。

「私がその場にいたなら、嫌がらせをした同僚Aさんは
疑問や違和感を抱く発言をしているなと感じる。
一方で、あめとさけ。さんの性格や普段を知っている人は
ちゃんとわかっていたはず。
だからそれは、全然気にすることじゃないよ。
みている人、わかっている人はちゃんと他にもいるはずだよ」

なんて力強く、心強いんだろうと涙がでそうになった。
彼女は誰に対してもいつも公平で、芯がぶれていない。

Aさんを含め、その場にいた人たちと
面識のある彼女(友だち)だからこそ
第三者としての見解が、より自身の腑に落ちたのだと思う。

『自信を失うのはあなたじゃない、信頼を失うのは彼女の方なんだから』
と言ってもらえたように感じた(↑ 勝手な解釈)。

帰り道に咲いていた、売り物に負けない花

傾聴力と共感力の難しさ

2つ目は、何となく心でモヤっとしていた出来事。
傷つくことでもないが、心の隅に常駐していた。

先日、そのモヤをもたらしてくる友だちB氏と
共通の友だちC氏に会った際。

「最近、気になっているんだよね、B氏が
あめとさけ。氏に対し、無意識に繰り返す
話題の乗っ取り。あれ、どうにかならないかなぁ」

まさかC氏が、それについて言及してくれるとは
思ってもおらず心の中で
「おおぉおぉぉ(感動)」となった。

自分から言わずとも第三者から言われたことに
何だか救われた気がしたのだ。

勝手に心狭いなぁ私、とか
気にしすぎだぜ自分、とか
チマチマしていた己が一瞬で払拭された。

1つ目の件の直後だったこともあり
自然と自分の中の点と点が繋がって
「これでいいんだ!」
という自己を肯定する気持ちになった。
今の私には特に貴重で必要な体験。

経験値に比例して、気をつけるべきこと

無意識に人の話題を自分の話にすり替えていないか。
乗っかる前に、話題の提供者の気持ちやラリーを
スルーしていないか?というのは、
うつ病になって、より意識させられたことでもある。

なぜならば、自身の声を聞かなくなって
人の話が聞こえなくなった(聞きたくなくなった)
常に疑心暗鬼な闇期があったからだ。

傾聴力の難しさ、共感力の複雑さ。
伝え方や言葉選びの大切さ。
経験値が増えるほど、バリエーションや語彙力が増えるほど
気をつけるべきことなのだと、しみじみ思う。

ありがとう、宝物みたいなお友だちたち。

夜に映える、かわいらしい色

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