家族と精神障害17 疎遠だった姉と連絡を取るようになったきっかけ
私は大学以来、姉とは疎遠になっていたんですが母の一言がきっかけで月に2、3回くらいはLINEをするようになりました。
まず、疎遠になった経緯です。
①大学進学で実家を離れたことをきっかけに疎遠になる
私は大学進学をきっかけに地元を離れて、一人暮らしをしました。
実家を離れてからは、実家の家族のことを考える時間も減り、大学生活に馴染むことで頭がいっぱいでした。
友人と過ごす時間も増えて、母に連絡する機会も減っていました。
心の奥底ではどこかで「姉のことは今後どうなるんだろうか」と漠然な不安があったように思います。
長期休みなどで実家に帰ると、自分の部屋で一日寝ている姉をよく見ました。
基本的に昼夜逆転で、引きっぱなしの布団。
私が帰っても大抵は寝ていることが多く、しばらくすると体を重そうに起きてくる姉とポツポツ会話をしたりしていました。
大抵は体調が悪そうで、いらいらしているようなことも多かったように思います。
ただ、漫画や映画など共通の趣味について話しているときの姉とは昔と変わらない空気で関係は悪くなかったように思います。
親に関する愚痴などを聞きながら「確かにそういうとこあるよね〜」なんて話もしていました。
ただ、指先の震えや頻繁な瞬き、滑舌の悪さなどの副作用を見ていて、病院に通って薬をもらうようになってから発症前と比べてすっかり病人らしくなってしまったなとも思っていました。
姉の変化に戸惑いもあって、病名も知らず、何となく心理的に距離を感じるようになっていました。
一日中寝ている姉を見て、母に「あのままで大丈夫なのか、働いた方が良いんじゃないか」などと言って、母に「生きていてくれればいい」と返され絶句したのを覚えています。
今思うと病状的に働ける状態ではなかったと思うし、1人で頑張っている母を更に追い詰めるようなことを言ってしまっていたなと思います。
この頃は、母が全面的に姉の世話をしていて、今と違って留守番ができる状態ではなかったのでパートもできず、家で基本つきっきり。
通院も同行しつつ、病気や治療のこともかなり調べていたようです。
②就職後ぐらいから、母に助言をするようになる
大学を卒業して、地元に帰らずそのまま就職しました。
就職してしばらくして実家のことがだんだん気になってきました。
この頃は「姉はずっとあのままなのか、将来はどうなるのか」と言う不安があって、心の奥底にずっと重い石があるようでした。
この辺から、母に姉の様子を尋ねたり、「もっとこうした方がいいんじゃないか」「こういう病院や仕事がある」など度々母に助言をするようになりました。
助言というと良いことのようですが、今の私はこういう関わり方はするべきじゃなかったと思っています。
結局、1人で姉の対応している母に私は更にプレッシャーをかけるようなことばかりしていたのです。
この頃は姉の買い物依存がどんどんひどくなっていた頃で、私は母に「姉にクレジットカードを渡してはいけない」とか「何で分配した遺産を本人に渡したのか(一瞬で使い切った)」とか状況を改善したいと思えば思うほど、母の対応を責めるような感じになっていました。
母は「ずっと欲しい欲しいと一日中隣で言われ続けてもう限界なの」などと言っていて、だんだん私が状況を聞いても「大丈夫だから」「良くなってるから」と言って、姉がいくら使ったのかなどを話してくれないようになっていきました。
こういうのを積み重ねていったある日、母から言われたことがあります。
「周りが勧めても、上手くいくことはほとんどない。本人が自分でやるって言ったことしか上手くいかない。私もずっと同じことをして気づいたの。」
「これからは、本人に直接言って」
③1、2年前くらいから姉と直接やり取りするようになる
母に言われて、「えっ」と思ったものの、何で自分は直接姉に言わなかったのか考えてみました。
一番大きい理由は普段一緒にいないので、今どういう病状か分からないのに連絡するのが怖いと思っていました。
私の頭には躁鬱で泣きながら延々と怒ったり、相手を責め立てる姉のイメージが強くあって、そういう感情を自分に向けられることを考えると直接やり取りするのが億劫になってしまうところがあったのです。
まぁでも、「これ以上母に負担をかけるのも気が引けるので、本人と直接やり取りした方がいいか。」と思いました。
本人にあれをさせてみたら良いんじゃないかと色々調べていた頃の私は良かれと思ってやっていたのですが、今振り返ると大体逆効果のことばかりだったなと思います。
母が失敗から学んだところに、私が同じ失敗をして学ぶことになるという。
この辺は家族で認識を揃えるのが結構時間がかかりましたし、苦労しました。
そして、ほぼやり取りがないところから、「最近どう?」などたまに姉に連絡するようになりました。
希死念慮をぶちまけられたり、怒りを一方的にぶつけられたりしたらどうしようと内心ビビっていたのですが、趣味のことなどをやり取りしていると姉は本当に楽しそうで、ここ数年、姉の病気の部分しか見ていなかったことに気づきました。
たまに酷く傷ついた時にLINEが来たりしますが、私にできることは聞くぐらいで変にアドバイスしても良いことがないのも分かってるので、「そうかそうか」と聞くことで姉も「聞いてくれてありがとう」と言ってくれるのでこれで良いのかなと思っています。
病状が分からないという不安が当初はありましたが、普段からやり取りがあれば何となく波が分かってきて、母と姉のことを対等な感じで話せるようになりました。
また、やり取りがない頃は「何かあった時は連絡して」と言っていてもほぼ連絡が来ることはなかったのですが、普段から連絡を取っているとちゃんと連絡が来るようになりました。
姉と直接やりとりするようになって気づいたことは、私は病気ばかり見ていて姉のことを全然見ていなかったということです。
母にはぽんぽんもっとこうした方が良いと言えていたのに、姉を前にすると言葉を選んでしまって全然言えませんでした。
気軽にもっとこうしろなんてとても言えなかったのです。
そんなことを今言ったら、本人はどんな顔をするだろうかと初めてちゃんと考えました。
むしろ、「無理しなくていい」「体調は大丈夫なのか」「一緒に考えよう」など言おうとしていたことと逆のことばかり、口から出ました。
何だか母にとても悪いことをしていたような気になりました。
それからは母に対しても本人に対してもイライラすることが少なくなり、むしろもっと労ることができるようになりました。
本人の頑張りも普段からやり取りがあると素直に認められるようになった気がします。
母が「良くなっている」と言っているのも、前は「本当に?そう信じたいのでは?」と思っていたのですが、やり取りの中で数年前と比べて明らかに変化しているのが分かるようになってきました。
単純に病状とかだけじゃなくて、本人が「病気と付き合いながら生きていく」のが上手くなっている感じがします。
本人と直接向き合ったことがきっかけで、家族内の人間関係も良くなり、実家に対する自分の不安やストレスが和らいだ気がします。
自分ばっかりみたいに思っていたのに、実際はそんなことなくて皆それぞれ頑張ってるのだとやっと気づくことができました。
そして、何だか少し安心した気持ちになれました。
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