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ぼくらは、エロい関係

友達としては本当に最高だけど、夫にしたい人ではないよね
セックスの似合わない人

 今日ボクが友人から投げつけられたパンチラインである。

 同じようなメンツ、同じようなジャンル(領域)、同じようなテーマを扱い、日々のやり取りを繰り返していると、どこかでマンネリを感じてしまう。

 ああ、なんか一つの蛙の中で思考を行ったり来たりしてるなぁ、と閉塞感すら見つけてしまう。となると、ゼリー状に凝り固まったものを新たなにかき混ぜ直すための何かきっかけが必要になる。

 そんなことを今朝ふと思ったボクは、高校来の友人にメッセージを送った。高2からだから、32-17で15年くらいの付き合いである。

 同じ沖縄の高校ではあるけど、今は東京と鳥取とそれぞれ住んでることも違うし、やってる仕事も違うわけでおそらく生活様式も大きく違うし、性格的にもわりと反発し合うようなタイプ。

 「大学同期」とか「職場が同じ」とか「業界が同じ」とか、そういう風に自分の中ではあまりカテゴライズできないやつで、一言でいえば「無所属」な人なのである。

 こういうやつには、何ら気にすることなく話題を選べて、しゃべりたいことをしゃべれる。すると気づいたのは、ボクのなかで唯一は、性とか愛とかについて真正面から話せる存在なのかもしれない、ということ。毎度毎度、そんな話をする流れになっていた。

 てな具合で、冒頭のパンチラインを飄々とぶつけてくる。そもそも悪口でもないし、べつにイヤな感じもしないし、事実としてそうなのかもしれないし、実際そうでなくても、そう形容してくれる人はそうそういないので、ありがたかったりもする。

 何でもかんでもすべての話を一人の人にできるとは思わないし、する必要もないとは思うんだけど、他の人にはできない話を一人抱え込むことなく話ができる人がいるのは(もしかしたらじつは受け流されてるかもだけど笑)良さでしかないし、むしろそういう”スカッと”ポイントがある暮らしじゃないと日々はやってられない。

自立とは、多くの依存先を確保している状態を指す

 たしか、そんな定義があったけど、やっぱり会話のはけ口の分散がそれなりにあると人は救われるということか。

 人間は、というよりも、ボクの場合は、気を抜くと、自分がいるコミュニティの価値観に脳(思考パターン)を持っていかれそうになる。そんなとき、ほんの少しでもコミュニティ外に飛びさせてくれるきっかけがあれば、いつでも正気に戻ることができる。」

 そのきっかけが今日のボクの場合、高校来の友人だったということである。にしても、「セックスが似合わない人」というレッテルをどうにか撤回させたいとは思うのだが...。

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