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『自己紹介』

2024年12月15日(日)〇今年最後の満月の日〇

はじめまして。
ご機嫌がすべてを救う。

ご機嫌屋はじめました。


カウンセラーの「御己るみ」と申します。
たくさんの中から見つけていただき
ありがとうございます。
「おみちゃん」と呼んでください。

57年間の歴史がありますが
今日は公私の「私」の部分をお話します。

天使が舞い降りたw


1967年 新潟で生まれました。
予定日より遅く初産だったので心配したみたいです。
おみちゃんの誕生日は親の結婚記念日なのです!
ものすごくhappyな天使は2,700gで小さめですが元気そのもの!
育った環境は昭和の典型的な一般家庭でした。

友達作りが人とは違う小学生時代!

低学年の頃親の仕事の都合で、同市の郊外に引っ越しました。
祖父、祖母、叔母さん、父、母、弟と妹ができ家族も増えたので
借家から新築戸建てに!!!
嬉しかったなぁ~♬ 新しいお家!

ただ転校することで心がザワついた!
友達が変わることがツラかったようです。
数人と文通はしていましたね。(文通が流行っていましたw)

(余談ですが転校がツラいってわかっていたので
自分の子どもには転校をさせない選択に繋がったんです。)

その当時、マンモス学校で確か42名7組まで
あったところから40名3組の学校へ移ったから
大騒ぎです。立ち位置が複雑!

何をしても目立つんです。目立ちたくないのに…

人見知りが強い心配性の繊細気質でした。
「転校生」って特別に扱われる。
新しい友達ができるのだろうか?
同じ市町村なので徒歩30分で遊べます。
文通していた友達に会いに行っていました。

その頃から悩み相談を受ける方で
知的障害の「友達を守る」って文通は続けていて
養護施設にも出入りしたり、病棟で生活している
他の友達もずっと支えていました。
頼ってくれることで自分の存在価値を感じて
いたのかもしれません。

小心者から脱皮したかった中学時代!

良くも悪くも目立つ私…こうなったら
自由に生きていく!
大人の汚いところを見たり裏切られたりした頃、
学校が大嫌いでした。

昭和のあの世界観!!!
「つっぱり」「なめネコ」「非行」「不良」
「横浜銀蝿」「金八先生」
「積み木くずし」このような流行が続いた時代。

私はど真ん中にいました。
髪をオキシドールで脱色し赤チンで色を入れ
(髪は死にます!)
パーマをかけ、くるぶしまで制服のスカートは
ありました。
よく写真で見る「アレ」ですw

私は社会や集団生活に適応できなかった。
仲間の相談役を高校卒業するまで
続けていたんだよね~
友達は数グループいていつも忙しかった。
だからいつも家にいなかった。

高校卒業したの?????
みんなの声が聞こえましたw

結構計算して生きていたのでテストは平均点以上!
出席日数は補講して落第はなかったよ。
学校を卒業したら本当の自由を手に入れた
かのように勘違いしていた。

親をたくさん泣かせた過去。
(親不孝で親が事故死した時はまわりに
嫌味も言われました。)
やっと親孝行ができるって、22歳で結婚し
二人の孫を見せ和解できて毎日が楽しかった
あの頃…

あの悲惨な出来事が起きてしまいました。
メンタルが強くなった出来事でもあります!

辛いお話になりますのでオープンの場にできず
有料で失礼いたします。

有料の内容は
1.おみちゃんの辛い状況のつづき
2.どんな順番でどん底から上がったか(資料あります)

「突然幸せが消える」に続きます。

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