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「ももこの話」を読んだ感想|子どもの頃の記憶
さくらももこさんのエッセイを読みたくなるときって、頑張りすぎてしまっているときや仕事が行き詰まっているときが多いような気がする。
読むといつも、和んで笑って癒されて、読んでよかった〜という気持ちになる。
出版されてから月日が経っても、色褪せることなく今も読まれ続けているエッセイ。私もやっと読めたという喜びも大きい。
あとがきを読んで、「あのころ」「まる子だった」「ももこの話」の3作品で、ひとつのシリーズだと知った。
どれも表紙がとっても可愛くて、そこも癒しポイント。
「ももこの話」は、さくらももこさんが小学生だった頃のお話が中心で、家族とのやりとりが微笑ましく、ちびまる子ちゃんのアニメを思い出した。
このエッセイでは、父ヒロシがよく登場する。呼び捨てにして申し訳ないが、ヒロシ、面白くていいお父さんだなぁとしみじみ思った。
最後のお話では、親友のたまちゃんとの友情にも、うるっときた。
私には「幼馴染で仲良しでずっと親友」という友達がいないので、共感というより、憧れや羨ましい気持ちがある。
美しい友情に触れて、感動した。
思いがけないなりゆきの繰り返しの中でいろんな事を学んでゆくのが生きる意味かなとも思う。
まるちゃんは、あれが欲しい、これが好き、将来はこうなりたい、これは嫌だ、とか自分のこだわりや思いがはっきりとしていて、それをちゃんと表現できるのがすごいと思った。
いろんなことが起きるけど、家族や友達に恵まれて、愛されていたんだなぁと、伝わってきた。
ふくよかな香り、ねっとりとした甘み、ほっこりした歯ごたえ、どんなにがんばっても自宅で焼いたイモはかなわない。イモを喉に詰まらせるにしても、どうせだったらやきいも屋で買ったイモを喉に詰まらせたい。
どっちにしても詰まらせたくないけど、どうせだったらという気持ちもわからなくもない。
「いしやきいも」というお話を読んで、子供の頃の記憶が思い出された。
私が小学生だったある日の夜、やきいも屋の屋台が家の近くを通った。
屋台はゆっくりだけど移動して行ってしまうので、買いに行くかどうか迷っていると間に合わない。
この日、なぜか母が買いに行こう!とすぐに決断し、財布だけ持って母と二人で急いで外に出た。
お腹の大きい母が、早歩きになっていて大丈夫かなと心配になった。
弟が生まれる前日だったので、よく覚えている。
焼き芋を食べたから翌日に生まれたんだ、と母は言っていたが、それは気のせいなんじゃないかと子供ながらに思った記憶がある。
でも、母がそう言うなら、きっとそうなのだろう。
タイムスリップしたかの様に、私はその情景の中にいた。
家族という、大きな愛の中に、ちゃんと私はいた。
過去の記憶は、きっかけがないとなかなか表面に上がってこない。
寝ている時に見る夢と、過去の出来事って似ているなぁと最近思うようになった。
本当にあったことなのか、夢で見たことを過去の出来事と思い込んでいるのか、はたまた妄想なのか、わからなくなる時がある。
それはそれでいいのだけれど、過去は存在しないというのはこういうことなのかなと思ったりした。
時が経つにつれて、過去の出来事に対する解釈はどんどん変化していく。
結局最後には、愛されていた記憶にかえっていくのかなと、本を読みながらそんなことを感じた。
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