化粧は濃くなかったが、
母は蕎麦屋を営む両親の下に生まれました。
が、若いころに「蕎麦屋の娘で一生終わりたくない」と考えて、
茶道を習いました。
先生が「週に2回来なさい」というので従ったらしいです。
後日、母は「月謝も2倍だったけど、覚えるのも2倍早かったわよ」と、
ボクに言ったけど、ゆえに22歳でお弟子さんを持つ身になりました。
もともと、おばあさんも綺麗な人でしたから、母も綺麗でした。
髪も「びんつけ油」で固めていて、いい香りでしたし、
背は平均的でしたが、無駄な贅肉もなく均整の取れたスタイルでした。
母の生きかたに共感して、お弟子さんになった人もいたし、
お弟子さんを仕切る「一番弟子」がいて、
「お歳暮が重ならない」ようにもしてくれました。
その人が人事をやってくれて、おかげで母は自由に教えられたようです。
ボクにも優しく、でも「しつけ」についてはこだわってくれました。
父に対しては、不満も言っていたけど、それでも母の考えの基本は、
「ケセラセラ」であり、ボクにも受け継がれています。
3年前に老人ホームで、息を引き取ったけど、
ボクがまともだったら、思いこすことはなかったはずです。
ある日の夜、台所にバスタオルをかけていたけど全裸で倒れていました。
その日を境に、認知症の症状を発症し、家族は老人ホームへと入れました。
その前の元気なときに聞いたのですが、その頃の母の化粧は、
ファンデーションしか、塗ってなかったらしいのです。
歯は「総入れ歯」だったけど、髪も綺麗で和の精神も持ち合わせている。
そんな母が認知症になるなんて、運命のいたずらなのでしょうか?
老人ホームで、髪は真っ白になり記憶も定かでなくなり、
変わっていく母に、ボクができることはありませんでした。
でも母に学んだことは、ボクの記憶には残っています。
・・・「ケセラセラ」で考え、人に優しく生きていけたら、
母も「それでいいよ」と言ってくれる、と信じています。