![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/157403095/rectangle_large_type_2_4e947374c9d99a26fdb8a428694f2129.png?width=1200)
映画の感想文「かくしごと」
※ネタばれあります。まだご覧になっていない方はお気をつけくださいmm
フランス行きの飛行機の中で観て泣きました。
フランス在住の杏さんが主演というご縁も感じて(杏さん大好き!)。
母である杏さんが凝縮された映画
実生活でも3人のお母さんである杏さん。
母性がテーマであるこの映画。濃密な母性を感じる映画でした。
※画像は公式サイトからお借りしました。
狂気を貫く愛
絵本作家の主人公千紗子は、認知症を患う父の世話をするため、実家へ。
幼馴染の久江と再会し飲んだ後、飲酒運転の久江が車で少年をひいてしまいます。
少年にけがはなかったものの、虐待と疑われる状態で記憶喪失。
実子を亡くしている千紗子は、少年を守りたいと嘘を重ねていきます。
![](https://assets.st-note.com/img/1728529956-8LjRuEKZkCHsV1xrbModtY32.png)
どう考えても長続きしないと、誰もが感じる生活。
でも、千紗子は揺るがず拓未と名付けた少年を守り愛していきます。
いつばれるんだろう ハラハラ
でも、そんな「狂気」としか思えない千紗子の行動の中に、「清らかさ」も同時に感じてしまいます。
その清らかさは、杏さん自身が持っている健やかさから現れているのかな。
ただただ危うい狂気を含んだ生活ではなく、千紗子ならなんとかやり通すのかもしれないと思わせる健やかさ。
単純ではない、層の厚い感情に触れながらストーリーを見守ります。
認知症の描き方がリアル 父の「ごめんね」
一方で、千紗子のお父さんは認知症が徐々に進んでいきます。
千紗子が分からなかったり、拓未のことも分からないまま同居したり。
続けていた仏像彫りもできなくなっていきます。
![](https://assets.st-note.com/img/1728530039-8Cvh3YMRlmrST2ZK46VGuwqN.png)
ああ、リアルだ・・
と思ったのは、お父さんが粗相をするシーン。
千紗子に始末をしてもらいながら、お父さんは「ごめんね」と謝ります。
誰か分からないけど、ごめんなさいと。
私も千紗子と同じ経験があるので、ああ、「ごめんね」と言うのだなあと胸がつまりました。
最初、拒絶感。親子なんだからという義務感。そして、いろんなことを思い出し・・・大事な時間なんだという受け入れる気持ち。
私の場合はこんな気持ちの流れがありました。
簡単に書いてしまってますが、長い時間を経ての流れです。
次はどんな気持ちになるんだろう。まだまだ変わるかもしれません。
お父さんと拓未と千紗子と、3人で粘土で像を作るシーンがあります。
こんな風にみんながやれることをやって、楽しく過ごせたら一番いいんだろうなと感じました。
今度、やってみたい。
子どもはわかっている
隠していた生活が明るみに出て、千沙子は罪に問われます。
全てを背負って法廷に立つ千紗子。
法廷で、拓未は自分の真実を迷うことなく話していきます。
ああ・・・
拓未( ;∀;)
先日観た「落下の解剖学」といい、子どもは多くを語らなくても、心の中にすでに多くを持っているんですね。
大人は、子どもを守らなくてはいけない、導くべき存在と思ってしまいます。
もちろん、食事や寝る場所や学校など、大人が保障しなくてはいけないことはあるけれども、子どもは自分で考えて行動している。
足りなく見える行動も、考えた結果なのだなあ。
大人も同じ。
他人には理解しづらい行動も、それまでの経験や考えが織り交ざった結果の行動。
分かったように自分の考えで人を判断するのは悲しいことだなと、改めて思いました。←わたしはやってしまいがち・・・
「その嘘は、罪か、愛か」
千紗子の嘘は、愛だったと思います。
罪とはいえ、千沙子のように行動しなければ、拓未は救われなかった。
千紗子も拓未も救われるのではないかと思えるラストシーンでよかった。
原作も読んでみます。
いいなと思ったら応援しよう!
![オリーブツリー](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/61797209/profile_329bfe0f3f1e91a4a351897ce5781422.png?width=600&crop=1:1,smart)