高専卒数学科生がChatGPTで遊んでみた
1.初めに
人とは何か?かつて、この哲学的な問いに対する回答の1つとして、言語を運用し、複雑な思考を行えることであると答える人も少なくはありませんでした。しかしながら、上記の答えは生成系AIの登場により反論されたといっても異議がある方はそう多くはないでしょう。
一方で、生成系AIは、人とは何か?の答えであった「言語を運用し、複雑な思考を行えること」、特に"複雑な思考を行えること"について十分な水準まで達しているといえるのでしょうか?
上記の問題の答えがどうであれ、現代に生きる一学生としては将来ライバルになりうる生成系AIの実力や特長について詳しく知る必要があります。
そこで、生成系AIを実際に活用することで得られた結果をもとに生成系AIの特徴について考察し、生成系AIとの関係を気づく上での足掛かりとなる情報を提供することを目的として本稿を作成しました。興味がある項目だけでも流し見していただければ幸いです。
今回、生成系AIの特徴を探るにあたり、主に数学、文学、哲学、図書の4つの分野からChatGPT3.5に質問しました。なお、これらの質問をするにあたり、分野ごとにchatは分けて行いました。また、各ジャンルの詳しい内容については目次をご参照ください。
その他、ご指摘・ご質問など大歓迎ですので、気軽にコメントしていただけるとありがたいです。
※ 本稿に記載したChatGPTからの回答の中には一般的に誤りとされている内容も残したままにしています。その点にご注意しながら読み進めていただくようお願いいたします。
2.選択公理について聞いてみた
まずは数学分野からChatGPTに質問することにします。内容はZFC公理系における選択公理についてです。以下に質問した際のやり取りを記載します。
質問
数学についての質問です。
選択公理の主張を論理式でお答えください。
また、それとZFC公理系で同値な命題を3つ挙げてください。
そのうえで、選択公理を仮定することの影響について、500字以内であなたの意見を述べてください。
回答
選択公理(Choice Axiom)は、集合論における公理の1つで、直観的には非常に大きな集合から要素を選ぶ操作を可能にするものです。以下に選択公理の主張を論理式で示します。
選択公理(選択関数の存在):
任意の空でない集合の集合 X に対して、関数 f: X → ∪X が存在し、任意の x ∈ X に対して f(x) ∈ x です。
ZFC公理系(Zermelo-Fraenkel set theory with the Axiom of Choice)では、選択公理と他の公理(正確にはZF公理系)が組み合わさって構築されます。選択公理を含むいくつかの同値な命題を以下に示します。
選択公理の同値な形:
良序定理(Well-Ordering Principle): 任意の集合は順序集合として最小元を持つ順序づけができる。
ツォルンの補題(Zorn's Lemma): 任意の部分順序集合が極大元を持つ場合、集合全体に極大元が存在する。
選択公理を用いた命題:
無限基数の選択公理: 任意の無限基数 K に対して、K の冪集合 P(K) と K 自体の間に同じ濃度の写像が存在する。
豊富な直積の選択公理: 任意の非空な集合族の直積は非空である。
選択公理の有無によって、集合論の性質や構造が大きく変わることがあります。選択公理を仮定することによる影響を簡潔に述べます。
選択公理を仮定することの影響:
選択公理は、一見すると直感的に明らかな主張ですが、集合論の奥深い性質に影響を与えます。選択公理が成り立つと、実数体やベクトル空間の基底の存在が保証されたり、確率論や関数解析などの分野で便利な結果が得られます。
しかし、選択公理を仮定することで直感的な「選び方」の操作が可能になりますが、その一方で無限に小さな集合の「選び方」については直感に反する結果も生じる可能性があります。また、選択公理が成り立たない場合、一部の集合論的構造が一般的な直感とは異なることがあります。
選択公理を仮定するかどうかは、数学的議論のコンテクストや目的によります。選択公理を採用することで数学の発展が円滑に進む場合もあれば、選択公理を除外して議論することで新たな洞察が得られることもあります。選択公理の有無を考慮しながら、数学的な問題を理解し、進展させることが重要です。
ひとまず内容について精査してみましょう。1つ目の質問である選択関数の存在についての主張は問題ありません。ただ、私の学んできた範囲では添え字づけられた集合族に対しての形式の方が一般的であるように思えます。他にもいくつか気になった点がありますので、それを以下箇条書きで述べることにします。
・Choice Axiomという表記は一般的ではない
・良序定理は中国語であり、日本語では整列可能性定理という
・Well-Ordering Principleはあくまでも自然数の整列性であって、整列可能定理(Well-Ordering Theorem)そのものではない
・ツォルンの補題について、「集合全体に極大元が存在する」の集合の部分が曖昧であるが、論理式に書き直せば厳密な主張に直せそう。
以上
それ以外の部分については特に問題はなさそうです。
3 ストア哲学について聞いてみた
次は哲学に関係する内容について聞いてみました。具体的には紀元後ローマの哲学者セネカが記した『生の短さについて』という哲学書の内容を要約してもらい、その要約をもとに質問しました。以下、その際のやり取りを記します。
質問:
特にローマでのストア哲学に関する質問です。
セネカ『生の短さについて』は主に時間を無為に過ごしてしまう原因と、有意義に過ごすための方法論について述べた哲学書であると言えます。
そこで、本書について、時間を無為に過ごすてしまう原因とその解決策を以下ex)のような形式で要約してください。
ex)
時間を無為に過ごすてしまう原因
・人のために時間を使っている
解決策
・自分の時間を大切にする
以上
回答:
時間を無為に過ごす原因:
・娯楽や気晴らしに多くの時間を費やすこと
・日常の細かいことに埋没し、大局を見失うこと
・他人の期待や社会的なプレッシャーに囚われること
解決策:
・自己啓発や学習に時間を割くことで個人の成長を促進する
・瞑想や内省を通じて内なる平静を培い、目標に集中すること
・自己の価値観や目標を明確にし、他人の期待に振り回されずに行動する
・限られた時間を大切にし、それを有意義な活動に充てることを意識する
これらのアプローチにより、セネカの『生の短さについて』の主題である、時間を効果的に活用し充実した人生を送るための方法が示されています。
質問:
ご回答ありがとうございます。その内容を節制や閑暇などのストア派で用いられる一般概念を用いて言い換えてください
回答:
時間を無駄に使ってしまう原因:
・過度な快楽追求や気晴らしによる節制の欠如
・日常の細かい事柄にとらわれ、真の閑暇を失う状態
・外部からの期待や社会的なプレッシャーによる自己の支配
解決策:
・節制を通じて自制心を養い、成長や学習に時間を捧げる
・瞑想や内省を通じて心の静けさを獲得し、深い閑暇を実現する
・内なる価値観や目標に基づいて行動し、外部の影響に左右されない強さを持つ
・限られた時間を意識的に管理し、有益な活動に使うことを重視する
これらの原則によって、セネカの『生の短さについて』が提唱するメッセージが、ストア派の概念である節制や閑暇と連携して、より具体的に説明されています。
質問:
深い閑暇とは何でしょうか?
回答:
「深い閑暇」とは、ストア派哲学における重要な概念の一つで、単なる時間の余裕や暇を指すのではなく、内面的な充足感や精神的な豊かさを得るための時間を指します。
ストア派哲学では、深い閑暇は単なる娯楽や退屈を埋めるための時間ではなく、自己啓発や自己探求、内省などの活動を通じて内なる平静や知識を深めるための時間として位置付けられています。セネカやエピクテトスなどのストア派の哲学者たちは、深い閑暇を通じて自己の成長や精神的な豊かさを追求し、真の幸福を実現するための道として説いています。
したがって、深い閑暇は単なる遊びや消費の時間ではなく、内面的な充実感を得るための時間であり、自己の探求や精神的な深化を促進するための大切な要素とされています。
回答:
そのような概念があることは存じているのですが、そのような単語を知りませんでした。その単語の出典元を教えてください
回答:
「深い閑暇」(Otium profundum)という具体的な単語やフレーズがストア派の哲学文献やセネカの著作などで直接的に使用されたかどうかについては、私の知識ベースでは具体的な情報がありません。そのため、その単語の出典元については確定的な情報を提供することができません。
一般的には、ストア派哲学や古代ローマの哲学において「閑暇」(Otium)という概念が重要視されており、内面的な成長や精神的な探求を行うための時間として捉えられていました。ただし、具体的な単語やフレーズがどの著作で使われたかについては、研究や文献の詳細な調査が必要です。
質問:
さらに追加で質問です。節制を通じて自制心を養い、成長や学習に時間を捧げるとのことですが、ストア哲学では自制心を養った結果として節制が実現できるという文脈で語られます。そのため、そのような回答では因果が逆転して見えるのですが、その点についてはどのようにお考えでしょうか?
回答:
ご指摘いただいた通り、節制と自制心の関係は因果関係が逆転して見える可能性があります。ストア派哲学においては、自制心を養うことによって節制が実現され、節制を通じてさらなる自制心が養われるという相互作用が存在します。この関係性は、一種の好循環を生み出すものと言えるかもしれません。
セネカや他のストア派哲学者は、自己の欲望や衝動に対して自制心を働かせ、冷静な判断を通じて節制された行動を実践することで、内なる平静や精神的な安定を実現しようと説いています。同時に、節制された生活が個人の成長や学習を助け、自制心の養成に寄与するとも考えられています。
ですから、節制と自制心の関係は相互に影響し合い、一方の強化が他方を後押しするという動態があるとされています。従って、自制心を養いながら節制を実践することによって、その双方が相乗効果を生み出すことが、ストア派哲学における一つの重要なテーマと言えるでしょう。
質問:
意見のご修正ありがとうございます。少し話は戻るのですが、限られた時間を意識的に管理し、有益な活動に使うことを重視するという回答における"有益な活動"についてセネカは『生の短さについて』で具体的に述べています。それが何かをご教示ください
回答:
セネカは『生の短さについて』の中で、「有益な活動」について具体的な指針を提供しています。彼は時間の有効な活用のために、自己啓発や知識の追求、内省、道徳的な成長などを重要な活動として強調しています。
セネカは、生涯を有意義に過ごすために以下のような活動を推奨しています:
自己啓発と学習: 新しい知識やスキルの習得を通じて、精神的な成長を促進する。自己の能力を最大限に発揮するために努力することが重要です。
内省と瞑想: 自己の内なる世界を探求し、自己認識を高めることによって、深い洞察や平静を得る。日々の生活の中で自分自身と向き合う時間を確保することが大切です。
道徳的な行動: 善良な行動や道徳的な価値観に基づく生き方を追求することで、内面的な充足感や幸福を実現する。他人や社会に貢献することを心がけることが含まれます。
良い友人との交流: 質の高い人間関係を築き、互いに助け合い、共に成長することを重視する。健全な人間関係が精神的な充実に貢献するとされています。
したがって、セネカは「有益な活動」として、知識の追求、内省、道徳的な成長、良好な人間関係の構築などを挙げています。これらの活動を通じて、限られた時間を価値あるものとして過ごし、充実した人生を実現することがセネカの教えの一環となっています。
質問:
そのような一般論ではなく、特定の個人に対して今後どうするべきかを具体的に述べています。その具体的なソリューションについて知りたいです。
回答:
申し訳ありませんが、私のデータベースには具体的なテキストの引用や詳細な箇所までは含まれておらず、特定の個人に対する具体的なソリューションやアドバイスについては正確な情報を提供することができません。『生の短さについて』の中での具体的な記述やソリューションに関しては、原文を参照するか、詳細な解説を含む専門の文献を調査することをおすすめします。
セネカの著作やストア派の哲学の研究者によっては、特定の個人に向けた具体的なアドバイスやソリューションが議論されている可能性があります。もし具体的な情報を求めている場合は、セネカの著作や関連する文献を直接調査してみることが有益かもしれません。
質問:
お付き合いいただきありがとうございます。これ以上の内容は私の方で調べてみます。
回答:
どういたしまして。お役に立てることができて嬉しいです。必要な情報が見つかることを願っています。もし将来、さらに質問があればいつでもお気軽にお尋ねください。良い研究と学習をされることを願っています。
上記のやり取りを見ている限り、セネカの哲学というより本屋さんのビジネス本コーナーに並んでいる書籍のような内容が返ってきました。特に気になった点としては、セネカは本著で節制と自制心は相互循環関係があると述べていましたので、因果関係としては節制↔自制心となるはずですが、ChatGPTの要約では節制→自制心という関係のみ言及していました。そこで正しい因果関係は節制←自制心ではないのかという質問をしてみたところ、ChatGPTは正しくは節制↔自制心という関係であると最初の意見を修正しました。このことからも、ただユーザの意見をそのまま反映するのではく、きちんと精査してから意見の修正を行っているのだとわかります。
また、”深い閑暇”のようなセネカの著書で出てこない単語(もしかしたらそのように書いてある書籍もあるかもしれません。心当たりのある方がいればご一報ください)について、その単語の出典元を聞いても答えは返ってきませんでした。もしかしたら、この仮説の裏をとれていないということは生成系AI における明確な欠点の1つかもしれません。
長くなりましたので、他に気になった点は箇条書きでまとめます。
・『生の短さについて』において、セネカはあくまでも思案による良き生を追求について推奨しているだけであって、自己啓発的なスキルアップについては言及していない。
4 日本における『春の嵐』受容について聞いてみた
次は文学についてChatGPTに聞いてみました。今回質問した内容は、なぜヘルマンヘッセ『春の嵐』は原著タイトル『Gertrud 』(Gertrud は作中に登場する女性の名前)とは異なるタイトルで日本人に受け入れられたかについてです。以下にその際のやり取りを記します。
質問:
日本におけるドイツ文学受容に関する質問です。
ヘルマンヘッセ『春の嵐』として知られる作品はノーベル文学賞受容作品ですが、
原著タイトルは作中に登場する女性の名前を冠した『Gertrud』であり、
そこには「春の嵐」を連想させるキーワードはありません。
そこで1つ質問なのですが、なぜ、日本ではHermann Karl Hesse『Gertrud』が
ヘルマンヘッセ『春の嵐』として受容された歴史的経緯についてお答えください。
回答:
日本における文学作品の翻訳や受容には、しばしばタイトルの変更や翻訳の特殊なアプローチが存在することがあります。ヘルマン・ヘッセの作品『春の嵐』(原題:『Gertrud』)が日本で受容される際に、なぜタイトルが変更されたのかについては、いくつかの要因が影響している可能性があります。
日本語とドイツ語の言語的違い: 日本語とドイツ語は異なる言語構造を持っており、特定の表現やキーワードが異なるイメージをもたらすことがあります。原作のタイトル『Gertrud』が直訳されると、「ゲルトルート」となりますが、これが日本語読者にとってはあまり馴染みがない名前であるため、より響きの良いタイトルに変更された可能性があります。
日本の文化・風土への適合: 日本の読者層に合わせてタイトルを変更することは、作品の受容を促進するための戦略としてよく行われます。『春の嵐』というタイトルは、季節感や情緒的な要素を強調し、日本の読者に親しみやすいイメージを与えることができます。
出版社や翻訳者の意図: タイトル変更の決定は、出版社や翻訳者の個人的な意図によるものもあります。作品の内容やテーマをより適切に伝えるために、タイトルを変更することが考えられます。また、時にはタイトルが類似の他の作品と混同されないようにするためにも変更が行われることがあります。
翻訳文化の影響: 日本における文学翻訳の歴史や傾向も、タイトル変更に影響を与える可能性があります。特定の作家や作品が特定の言語で一般的なタイトルで知られている場合、そのタイトルが引用されて受容されることがあります。
以上の要因が組み合わさり、『Gertrud』が『春の嵐』というタイトルに変更され、日本で受容された可能性が考えられます。文学作品の受容には文化や言語の特性、翻訳者や出版社の判断などが複雑に絡み合うため、単一の要因だけで説明するのは難しいことがあります。
質問:
ご回答ありがとうございます。ただ、その回答はあくまでも意図的なレベルでの推察であって、事実ベースでの歴史的経緯に基づいた回答ではありません。事実ベースでの歴史的経緯に基づいた回答をしていただけますでしょうか?
回答:
申し訳ありません、誤解が生じてしまいました。事実ベースでの歴史的経緯に基づいてお答えします。
ヘルマン・ヘッセの『Gertrud』が日本で『春の嵐』として受容された歴史的な経緯は、以下のような要因が影響しています:
日本においては、戦前から戦後にかけての翻訳文学の歴史や状況が影響していることが指摘されています。戦争や占領の影響により、西洋文学の紹介や翻訳が一部制約を受ける一方、戦後には西洋文学の影響を受けた自由な文学風土が形成されました。この時期において、タイトルの変更や翻訳のアプローチが文化的・歴史的背景に合わせて行われることがありました。
『Gertrud』が日本で『春の嵐』として受容された背景には、日本の戦後文学における西洋文学への関心や影響が影響していると考えられています。特に、ヘッセの作品は個人の内面や成長、自己探求といったテーマが含まれており、この点が日本の戦後文学との共通性を持っていたため、日本の読者に受け入れられやすかったとされています。
また、翻訳の際には、作品のテーマや雰囲気を的確に伝えるためにタイトルが変更されることが一般的です。『春の嵐』というタイトルは、季節感や感情の変化を連想させ、作品の中心テーマに合致すると考えられた可能性があります。
要するに、ヘッセの作品が日本で『春の嵐』として受容された背後には、戦後の文学状況や文化的な要因、翻訳の特異性が影響しているとされています。このような歴史的な文脈を考慮に入れることで、タイトル変更の背後にある理由が理解できるかと思います。
質問:
ご回答ありがとうございます。
事実確認のため、以下2点の質問にお答えください。
1.Hermann Karl Hesse『Gertrud』の日本語訳版が初めて出版された年
2.Hermann Karl Hesse『Gertrud』を日本語に翻訳し、それを出版した作者の名前
回答:
申し訳ございませんが、私のデータベースには具体的な日本語訳版の初出版年や翻訳者の名前についての情報が含まれていないため、詳細な回答ができません。この情報については公式の出版物や文学関連の資料を調査されることをおすすめします。『Gertrud』の日本での受容に関する質問があれば、どうぞお知らせください。
質問:
いえいえ、お気になさらず。この質問を回答していただくにあたり十分なデータがないことが確認できましたので、以上で質問を終了します。長々とお付き合いしていただきありがとうございました。
回答:
どういたしまして。質問があった際にお手伝いできて光栄でした。何か他に質問がある際はいつでもお気軽にお尋ねください。良い日をお過ごしください!
上記のやり取りからも分かる通り、最初は一般論による回答をしていました。しかし、これではあくまでも一般論であり、質問の回答にはなっていません。そこで歴史的な事実に基づいて回答するように依頼したところ、『春の嵐』出版時の歴史的・文化的な背景をベースとした意見を述べています。それでも、いつ、誰が、『Gertrud 』を『春の嵐』と翻訳したのかが抜けているため、事実ベースでの意見とは言えません。そこで、いつ、だれが『春の嵐』というタイトルで『Gertrud 』を翻訳し、出版したのかを聞いてみたところ、データベースにないとの返答が来ました。このことから、ChatGPTは具体的で詳細なデータまでは保有していないことがわかりました。
また、やり取りにおいて、筆者、ChatGPT共に「事実ベース」という単語を使っていましたが、前者は特定の個人が行ったミクロな情報に着目しているのに対し、後者は社会的な視点というマクロで定性的な一般論を事実として取り扱っています。この行き違いについても若干ですが気になります。
5 2024年上半期におけるおすすめの本について聞いてみた
最後に1つ、明確な悪意を持ってChatGPTに質問してみました。具体的ないじわるポイントは以下の4点です。
① あえて存在しない未来の話をまるで過去の事実のように語ったこと
② もし、知らないといえば、期間のみを訂正して残りの指示については言及しないこと
③ プロンプトに”おすすめ”のような個人によって基準が変わる厳密的でない用語を用いたこと。
④ 簡単に述べられる内容にも関わらずあえて複雑でわかりにくいように述べたこと。
以下、そのやり取りを記します。
質問:
日本で出版されてた書籍に関する質問です。
2024年度の上半期に販売された書籍の中でジャンル別におすすめのモノを3つ挙げてください。
また、3つの内、最も人気なものについては300字ほどで内容の要約をつけてください。
回答:
申し訳ございませんが、私の知識は2021年9月までのものであり、2024年の情報は持っておりません。したがって、2024年度上半期の書籍に関する情報やおすすめの書籍については提供できません。質問があれば、他のトピックについてお手伝いすることは可能ですので、どうぞお気軽にお尋ねください。
質問:
それでは、2021年上半期までのもので大丈夫です。
回答:
了解しました。2021年上半期に出版された書籍から、ジャンル別におすすめのものを3つご紹介いたします。
小説
『ノルウェイの森』 - 村上春樹
村上春樹の代表作の一つであり、青春と愛について繊細な描写がされています。主人公の青年が、大学生時代の友人との関係や恋愛に揺れながら成長していく姿が描かれています。
ノンフィクション
『限界思考』 - キャロル・S・ドゥエッキ
科学ジャーナリストの著者が、人間の可能性や脳の機能について探求する書籍です。膨大な研究をもとに、限界を超える方法やアプローチについて興味深く解説しています。
ビジネス・自己啓発
『思考は現実化する』 - ロバート・D・スメイト
人気のあるビジネス書で、自己啓発や成功哲学に関する内容が含まれています。思考の力が現実を形成するプロセスに焦点を当て、目標達成や人生の改善方法を提案しています。
これらの書籍は、それぞれのジャンルで注目された作品であり、多くの読者から支持を受けたものです。
最も人気な作品である『ノルウェイの森』は、村上春樹の特有の文体と深い哲学的テーマが魅力です。物語は主人公のトルコ(通称トルコ風呂)の視点から描かれ、友情、愛情、死といったテーマに深く切り込んでいます。村上春樹ならではのメランコリックな雰囲気が全編を通じて漂い、読者の感情に強く訴えかけます。また、登場人物たちの内面や葛藤が繊細かつ深遠に描写され、読者は彼らの成長や変化に共感を抱くことでしょう。『ノルウェイの森』は、日本文学の中でも際立った存在であり、村上春樹ファンはもちろん、幅広い読者におすすめの一冊です。
質問:
ありがとうございます。さっそく読んでみますね
回答:
どういたしまして!お読みいただくことを楽しみにしています。それぞれの書籍がお読みになる際、興味深い洞察や新たな気づきが得られることを願っています。何か他に質問があれば、どうぞお気軽にお尋ねください。良い読書体験をお楽しみください!
このやり取りを詳しく見る前に、筆者が出した指示を遂行する上で必要となるステップの1例についてまとめてみましょう。すると、質問に即した回答をするためには以下のような4段階の手順を踏む必要があるとわかります。
・書籍のジャンルを定義する
・そのジャンルの中でおすすめの本を3冊ピックアップする
・各ジャンルにおいてピックアップされた3冊の中で最もおすすめのものを選らぶ
・選ばれた書籍に関しては簡単な要約をつける。
では、やり取りについ悪意を持った点に注視しながら見ていきましょう。
まず、存在しない未来の話をしたときの挙動については、正直に知らないとの回答をいただきました。この点については素直でかわいらしいですね。
次に期間のみを訂正して残りはさっきと同じで、のように指示を出した結果、指示の内容についてはそれとなく理解はしていたように見えますが、適切であるとはいいがたいです。このことについてはいじわるポイント4のあえてわかりにくい表現にしたこととも関係があるかもしれません。また、具体的な期間を指定しておすすめの書籍を聞いた場合は、データがないという返答をすることが確かめられています(Appendix8.1参照)。そのため、いじわるポイント2のような聞き方をすると重要な情報が抜けてしまう恐れがあることも確認できました。また、ポイント3のおすすめのような抽象語についてはよしなに解釈してくれるようです。このあたりが生成系AIがもてはやされている理由のように思います。
さらに気になった点でいえば、『ノルウェイの森』の要約が元の内容と大きくかけ離れているところでしょうか。村上春樹作品のとっかかりとして丁度いいという点については大同小異ですが、ストーリーの内容については筆者が読んだことのある村上春樹『ノルウェイの森』とは異なるようです。筆者はそれほど村上春樹に詳しくないため、ChatGPTが要約した内容がどの本のことかわかる方がいらっしゃればコメントしていただけると嬉しいです。
6 再度、選択公理について聞いてみた
これらのやり取りを行った後、新たにChatを立ち上げ、再度、選択公理について質問してみました。そのやり取りを以下に記します。
質問:
数学についての質問です。
ZFC公理系における選択公理の主張を論理式でお答えください。
また、それとZFC公理系で同値な命題を3つ挙げてください。
そのうえで、選択公理を仮定することの影響について、500字以内であなたの意見を述べてください。
回答:
選択公理(選択公理の一つであるアクセサビリティ公理を含む形で)は以下のように論理式で表されます:
∀X [((∅ ∉ X) ∧ (∀Y ∈ X)(Y ≠ ∅)) → (∃f : X → ⋃X)(∀Y ∈ X)(f(Y) ∈ Y)]
これは、任意の集合 X が空でなく、その要素が全て空でない集合である場合、X の各要素から一つずつ選んで新しい集合を作る写像 f が存在し、その写像によって選ばれた要素が元の集合の要素であることを主張しています。
選択公理とZFC(Zermelo-Fraenkel set theory with the Axiom of Choice)の同値な命題の例を挙げると:
選択公理とZFCの同値な命題の1つ目は、ツォルンの補題(Well-Ordering Theorem)です。これは、任意の集合には順序を定めることで最小元を持つような順序が存在するという命題です。
ズォーンの補題(Zorn's Lemma)も選択公理と同値です。これは、任意の部分順序集合が極大元を持つような場合、その順序集合には極大元が存在するという命題です。
超冒頭公理(Ultrafilter Lemma)も選択公理と同値です。これは、任意のフィルターが超フィルターとして拡張されるという命題です。
選択公理は数学的な証明や構成の便益を提供しますが、同時に幾つかの哲学的な問題や論争も引き起こしています。選択公理を仮定することの影響は、数学の発展と論理体系の性質に大きな影響を与えています。選択公理の下では、実数体の基数(濃度)は必ずしも最小の無限基数である「連続体仮説」が成立しますが、この仮説の真偽はZFC公理系内では証明できません。また、選択公理を含む体系は、特に位相空間や関数解析などの分野で重要な結果を提供し、証明を簡略化することができますが、同時に数学の基盤における選択公理の使用に関する哲学的な問題も存在します。
総括すると、選択公理は数学的な発展に大いに貢献する一方で、その哲学的な側面や基本的な論争も考慮する必要があります。
上記のやり取りを見ている限りだと、2 選択公理について聞いてみたの時点では問題なく答えられていたことも間違えています。それらを明確に書き直すと、以下のような指摘になります。
・アクセサビリティ公理という謎概念を用いている
・ツォルンの補題として整列可能定理の主張が述べられている
・一般にゾォーンの補題ではなくツォルンの補題と呼む(この間まで筆者もそう呼んでいた)
・実数体の基数は最小の無限基数ではない(最小の基数は自然数の基数)
・連続体仮説として全く異なる主張をしている
他にも気になる点が2つあります。
・哲学的な問題と述べているが、それがどのような問題なのかについては触れていない
・意見が小泉構文的なトートロジーになっている
2 の時点での回答はかなり正確である上に、意見も特に意義を申し立てる必要のないほど極めて高いレベルの回答であったものが、なぜかこの時点では質が悪くなっています。そのようになった原因に心当たりがある方がいらっしゃればご一報いただけると助かります。
7 考察、感想など
今回得られた結果を鑑みるに、現在、無料で使えるChatGPTは、抽象的な質問にそれとなく正しい返答をできる程度にとどまっており、ChatGPTを使って何かを子細に調べようというレベルには到底至れていないと言えます。そのため、専門的な話をする場合は従来通りの労力を払う必要がありそうです。また、回答中の推論に関しても定性的な主張から直接導出される事実のみにとどまっており、三段論法や背理法などの高テクニックな手段を用いた推論を行っていないように見受けられます。
一方で対話型のAIとしてはかなり高いレベルにまとまっているとも感じました。これまでの内容を余さず一通り目を通してくださった方は既にお気づきかと思いますが、筆者は実際に人にインタビューするようにChatGPTに質問していました。そのため、所々に質問と関係ない文やわかりやすさという観点でいえば邪魔になるような敬語も厭わずに使いました。しかし、そのような質問と直接かかわりのない文と質問に関連する文を明確に区別し、答えるべきものは漏れなく回答していました。それに最低限、日本語に至っては筆者よりも正しく使えているため、その点については素直に負けを認めると同時に反省いたします。
総括していえば、無料版ChatGPTが直ちにホワイトカラーの仕事を奪いつくすような事態にはならないのではないかと考えます。また、本稿の範囲から逸脱する内容であるため、本節で軽く言及するだけにとどめますが、人間としての能力は与えられた問題に対して現在あるデータベースを検索し、それにマッチしたものを回答するだけではありません。時としてデータベースの拡張を泥臭く行ったり、相手が潜在的に求めていることを主体的に自覚させたりすることもまた重要な能力です。しかし、これらの能力は対話型AIが獲得しつつある能力とは別次元の能力であるうえに、思考と現実が身体を通して接地していなければ獲得できない能力でもあります。そのことも踏まえるとまだ人間が働く必要のない世界というものはかなり遠くにあるのではないかと思います。
以上、長々とお付き合いいただきありがとうございました。最後に本題には取り上げなかったもののなかなかに興味深いやり取りもありましたので、そちらをAppendixとしてつけました。興味がある方がいらっしゃればそちらもご覧ください。
8 Appendix
8.1 2019年上半期のおすすめ書籍について聞いてみた
今度は素直に2019年の上半期に販売された書籍のおすすめを聞いてみることにします。
質問:
日本で出版されてた書籍に関する質問です。
2019年の上半期に販売された書籍の中でジャンル別におすすめのモノを3つ挙げてください。
また、3つの内、最も人気なものについては300字ほどで内容の要約をつけてください。
回答:
申し訳ありませんが、私の知識は2021年9月までの情報しか持っておらず、具体的な日付や書籍のリリースに関する情報は提供できません。しかし、一般的な傾向として、過去の年代においても特定のジャンルの人気書籍がありました。例えば、小説、ビジネス、自己啓発などが一般的に人気のあるジャンルです。
もし他のトピックや質問があればお手伝いできるかと思いますので、どうぞお気軽にお尋ねください。
8.2 数学の証明をさせてみた -解析学篇-
数学科1年時に学ぶ解析学の範囲で最も好きなボルツァーノ・ワイエルストラスの定理について証明してもらうようお願いしました。回答はアイディアのレベルにとどまっており、証明になっているとは言い難いです。しかし、そのことを自覚している点が筆者の中でポイントが高いです。また、他にも複数ある中から最も基本的な1変数関数における場合のみに限定して説明している点も中々評価できる点です。ただ、欲を言うならば、一般の場合についてもう少し言及してくれているとなおよしという感じですね。
※形式の都合上、回答を一部修正してあります。
質問:
数学に関する質問です。ボルツァーノ・ワイエルストラスの定理について証明してください。
回答:
もちろんですが、ボルツァーノ・ワイエルストラスの定理にはいくつかのバリエーションがあります。一般的には、閉区間 [a,b] 上の有界な実数列が収束する部分列を持つという定理です。以下にその証明の概要を示します。
定理: ボルツァーノ・ワイエルストラスの定理(閉区間版)
閉区間 [a,b] 上の任意の有界な実数列 {a_n} に対して、収束する部分列を持ちます。
証明の概要:
有界性の利用: 仮定より、数列 {an} は有界です。つまり、ある定数 M が存在して、すべての n に対して ∣an∣≤M が成り立ちます。
中間点法の利用: 閉区間 [a,b] の中点を x_1=(a+b)/2 とします。このとき、少なくとも片方の区間 [a,x_1] または [x_1,b] には無限個の項が含まれます。
収束する部分列の構築: 最初に [a,x_1] を選びます。この区間に無限個の項が含まれるため、その中から添字が昇順になるような部分列を選びます(この操作を「1回目の選択」と呼びます)。
新しい中点の選択: 次に、選ばれた部分列の値域を考えます。この値域は有界です。したがって、その最小上界(上限)と最大下界(下限)を考えることができます。最小上界を L とすると、この値より大きな値が列に含まれることがわかります。
もし L 以上の値が列に無限個含まれる場合、その中から添字が昇順になるような部分列を選びます(これを「2回目の選択」と呼びます)。
もし L 以上の値が列に有限個しか含まれない場合、同様の操作を最大下界で行います。最大下界を U とした場合、U より小さい値が列に無限個含まれるため、その中から添字が昇順になるような部分列を選びます(これを「2回目の選択」と呼びます)。
帰納的な選択の繰り返し: 以上の選択操作を帰納的に繰り返すことで、新たな中点を選び、それに対応する部分列を構築します。この操作は無限回続けることができます。
部分列の収束: 構築された部分列は、選ばれる中点の列が閉区間の中に留まるため、閉区間 [a,b] 内のある点に収束します。これは、有界列の中で収束する部分列が存在することを示しています。
これがボルツァーノ・ワイエルストラスの定理の証明の概要です。各ステップの詳細な証明は、実際にはもう少し詳細な議論が必要ですが、この概要を通じて証明のアイディアを理解することができるかと思います。
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