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18世紀:バレエ・パントマイム・手話と優しいお顔の哲学者

芸能事務所トゥインクル・コーポレーション所属 パントマイムアーティストの織辺真智子です。

前の記事では、「タブローヴィヴァン」の歴史のお話から、18世紀に活躍した哲学者ディドロのご紹介をしてまいりました。今日は、ディドロが洞察した「身振りとパントマイムの重要性」について、バレエとの関連や、手話についての関連を深掘りしてご紹介していきたいと思います。

ディドロ 優しそうなお顔をしていますね


ディドロの時代、パントマイムは古代ローマの失われた芸術として再発見されつつありました。彼はこの古代の表現方法に新しい生命を吹き込もうとしたのです。

ディドロの洞察:言葉を超えた表現力

ディドロは、人間のコミュニケーションにおける非言語的要素の重要性にいち早く気づいた先駆者でした。彼は「言葉は思考を裏切ることがあるが、身振りは決して嘘をつかない」と主張しました。この洞察は、タブロー・ヴィヴァンの発展に大きな影響を与えることになります。

感情の直接的伝達

ディドロは、身振りやパントマイムが感情をより直接的に、そして普遍的に伝達できると考えました。例えば、悲しみを表現する際、「私は悲しい」と言うよりも、肩を落とし、顔を覆う動作の方がより強く観客の心に響くと彼は信じていたのです。この考えは、タブロー・ヴィヴァンにおいて特に重要でした。静止した瞬間において、俳優の身体の姿勢や表情が、千の言葉よりも雄弁に物語を語るのです。

ジャン=ジョルジュ・ノヴェールの影響

近代バレエの父と呼ばれるバレエマスターのジャン=ジョルジュ・ノヴェールは、ディドロと同時代に活躍し、「バレ・ダクシオン」(筋立てのあるバレエ)を提唱しました。1760年にノヴェールが『舞踊とバレエについての手紙』でこの概念を提唱したことで、バレエは新たな方向性を持つようになったのです。ノヴェールのアイデアは、ディドロのパントマイム理論と共鳴し、舞台芸術における身体表現の重要性を高めることになりました。

「バレ・ダクシオン」(ballet d'action)は、物語性を重視した舞台芸術の一形態です。このスタイルは、バレエがオペラから独立し、台詞のない身体表現によって物語を伝えることを目的としています。

バレ・ダクシオンは、踊りを通じて物語を展開することが核心です。従来のバレエでは、技術的な踊りや華やかな演出が重視されていましたが、バレ・ダクシオンでは演技と踊りが融合し、感情やストーリーが直接観客に伝わることが求められます。

ディドロは、身体の動きや身振り(マイム)が感情を表現するための重要な手段であると考えました。言葉に頼らず、身体を使って感情や状況を伝えることで、観客とのコミュニケーションが深まります。劇的タブローと関連して、特定の瞬間に俳優が静止し、絵画的な構図を作り出すことが重要視されます。この瞬間は、登場人物の感情が最も強く表現される場面であり、観客はその瞬間に引き込まれることになります。

バレ・ダクシオンでは、演技(マイム)と踊りが一体化しています。これにより、物語の流れが途切れることなく進行し、観客は一貫した体験を得ることができます。また、舞台美術や音楽とも密接に関連しており、それぞれの要素が相互に作用し合いながら物語を構築します。音楽は感情を高める役割を果たし、美術は視覚的な背景を提供します。『白鳥の湖』では第2幕のオデットと王子の愛のデュエット、『眠れる森の美女』ではオーロラ姫の登場シーンや王子との出会いなど、多くのバレ・ダクシオンが含まれてい流のです。

バレ・ダクシオンは後にロマンティック・バレエ(例:「ジゼル」や「ラ・シルフィード」)へと発展し、そのスタイルはさらに深化しました。ロマンティック・バレエでは幻想的な要素や感情表現が強調され、多くの作品でこのスタイルが採用されました。このスタイルは、その後のバレエやパフォーマンスアートに大きな影響を与え続けており、今日でも多くの作品でその精神が受け継がれています。また、提唱したノヴェールの誕生日4月29日は、ユネスコにより「国際ダンスデー」と定義され、毎年記念式典が行われています。


「劇的タブロー」における身振りの力

ディドロの提唱した「劇的タブロー」において、身振りとパントマイムは中心的な役割を果たしました。静止した瞬間に凝縮された感情を、言葉ではなく身体で表現することで、より強烈な印象を観客に与えることができたのです。

ディドロは、古代ギリシャの彫刻「ラオコーン・グループ」から大きなインスピレーションを得ました。この彫刻は、激しい苦痛と恐怖を静止した姿勢で表現しています。ディドロは、この彫刻のように、舞台上でも瞬間的に凍結された動きによって強烈な感情を表現できると考えたのです。

理論の実践

ディドロの理論は、実際、どのように実践されたのでしょうか。

画家ジャン=バティスト・グルーズの絵画は、ディドロの理論を視覚化したものと言えます。例えば、グルーズの「父の呪い」という絵画では、登場人物たちの ドラマティック な身振りと表情だけで、複雑な家族のドラマが表現されています。


父の呪い

ディドロは、このような絵画的表現を舞台上で再現することを提案しました。俳優たちは、グルーズの絵画の登場人物のように、言葉を発せずとも強烈な感情を身体で表現することが求められたのです。

イギリスの俳優デイヴィッド・ガリックは、ディドロの理論を実践した代表的な俳優です。彼のハムレット演技は、特に有名でした。「生きるべきか、死ぬべきか」の独白を、ガリックは静止状態で演じました。その表情と微妙な身体の動きだけで、ハムレットの内面の葛藤を表現したのです。

生きるべきか、死ぬべきか

身振り言語の探求:神父による手話学校の誕生

18世紀は、身振り言語の科学的研究も始まった時代でした。
フランスの司祭アベ・ド・レペ(Abbé de l'Épée)は、世界初の手話学校を設立しました。この学校では、聴覚障害者が手話を用いて教育を受けることができる環境を整えました。彼は、ろう者が言語を学ぶためには、視覚的な手法が必要であると考え、手話による教育方法を確立しました。
レペは、古代ローマ時代の失われた芸術としてのパントマイムや手話に関心を持ち、それを再発見しようとしました。彼は、古代の表現方法に新しい生命を吹き込むことを目指しており、その中で手話が重要な役割を果たすと考えました。
手話が聴覚障害者にとっての第一言語であることを認識し、その普及に努めました。彼は手話を用いることで、ろう者が感情や思考を表現しやすくなると信じていました。この考え方は、後のろう教育においても重要な基盤となりました。

18世紀フランスでは、啓蒙思想が広まりつつあり、人々は教育や人権について新しい視点を持つようになっていました。この社会的背景も、ド・レペがろう者教育に取り組む動機となりました。彼は「自由」「平等」「博愛」という革命の精神に基づき、すべての子どもたちに平等な教育機会を提供しようとしました。聴覚障害者教育を個別指導から集団教育へと発展させ、多くの子どもたちが一緒に学ぶ環境を作りました。これにより、彼は現代的な公教育制度の先駆けとなり、障害を持つ子どもたちへの教育機会を広げました。彼の業績は、フランス革命後の新政府によって高く評価されました。

彼の研究は、非言語的コミュニケーションの可能性を示し、ディドロのような思想家たちに影響を与えました。

ディドロは、レペの研究を踏まえ、異なる文化や言語の壁を越えて理解される普遍的な身振り言語の存在を探求しました。彼は、身振りと言葉が相互に補完し合うことで、より豊かなコミュニケーションが実現できると考えました。

ディドロの著作『聾唖者書簡』においては、言語が身体という感覚を媒体とする段階から分節音言語へと進化する過程が描かれています。この著作は、彼の言語観や身体言語に対する理解を深めるための重要な資料です。

彼は、身振りやパントマイムは、聴覚障害者にとって非常に効果的なコミュニケーション手段であり、感情や状況を直接的に伝える力があるとし、非言語的コミュニケーションの可能性に注目しました。この観点から、身体言語は聴覚障害者にとって特に重要なコミュニケーション手段であり、彼らが感情や思考を表現するための基本的な方法であると認識していました。

そして、初期のコミュニケーション手段としての身体言語は感覚を通じて伝達されることを強調しました。彼は、身体の動きや身振りが感情や意図を伝えるための基本的な手段であることに対して、分節音言語は知性を媒介とし、より明確な指示機能を持つ言語として位置づけられています。言語が進化する過程で、ディドロは徐々に品詞が完成し、言語が明確な指示機能を獲得していく様子を描写しています。
ただし、この明晰性がコミュニケーションの質を高め、言語が明晰性を獲得し、より具体的な指示機能を持つようになる一方で、身体的な表現力が失われる可能性も示唆しています。そして、分節音言語の限界を超える「ヒエログリフ」という概念を提唱しました。ヒエログリフは、視覚的な象徴として機能し、言語の指示対象そのものを感覚的に伝える力を持っています。これにより、言語は単なる記号としてではなく、より豊かなコミュニケーション手段となる可能性があると主張しました。

ディドロは演劇においても非言語的コミュニケーションの重要性を強調しました。彼は身体表現を演劇作品に導入することで、観客とのインタラクションを深め、一方的なメッセージ伝達から双方向的なコミュニケーションへと変化させることを目指しました。このアプローチは、観客自身が物語の生成に参加する相互的な存在としての役割を果たすことを意図していました。

また、身体言語が持つ詩的な側面にも注目しました。彼によれば、身体による表現は感情や状況を豊かに伝える手段であり、その表現力は言葉以上のものを提供することができると考えました。このようにして、ディドロは非言語的コミュニケーションが持つ可能性を広く探求しました。

静寂の中に潜む雄弁

ディドロの非言語的コミュニケーションに関する考察は、彼の演劇理論や身体表現への理解に深く根付いています。彼は身体と言語の関係性を探求し、非言語的手段が持つ豊かな表現力とその重要性を強調しました。この考え方は、その後の演劇やパフォーマンスアートにも大きな影響を与え続けています。ディドロによる非言語的コミュニケーションへの洞察は、人間のコミュニケーション理解に新たな視点を提供しています。
20世紀初頭、エティエンヌ・ドゥクルーによって創始された現代マイムは、ディドロの理論の直接的な継承者と言えるでしょう。その話はまた違う記事で紹介していきたいと思っています。

ディドロの洞察は、今日の舞台芸術やパフォーマンスアートにも脈々と受け継がれています。次に舞台を観る機会があれば、俳優の言葉だけでなく、その身振りや表情にも注目してみてください。そこには、18世紀の革命家たちが発見した「無言の雄弁」が、今も生き続けているのを感じることができるでしょう。


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