ありふれた言葉でいい その一言で生きてゆける
5年前、会社を半年で退職した。
パワハラに遭ったのが原因だった。
ご飯が喉を通らなくなり、夜に寝付けなくなってしまって、精神的にも身体的にもギリギリだった。
その状況下でなんとか次の転職先を決めて、退職することができた。
しかし、半年で辞めるというのは自分の履歴書に傷が付く行為でもあった。
1社目を3年、2社目を半年で辞めたとなると、普通に長続きしない若者と見られる。
早期退職は、汚点として残る。
転職が決まってからいろんな大人にそんなことを言われて、その度にまあまあ悲しい気持ちになった。
しかし、一番ダメージを受けたのは、大学時代から仲の良かった友人に言われた一言だった。
会社で受けたパワハラのこと、半年で辞めることになったことを、居酒屋で包み隠さず話した。
とても仲が良かったので、労うような優しい言葉が返ってくるのを期待していたけれど、一通り話を聞き終えて開口一番言った言葉は、こうだった。
「あー、逃げちゃったんだね」
必死にどんなパワハラを受けたか、理不尽に目にあったかを伝えても、スタンスを崩さない友人を見て、自分は本当にダメなやつなんだなあと、肩を落とした。
その言葉は、その後もなぜか辛いことやうまくいかないことに直面するようなタイミングで思い出す、呪いの言葉になった。
だからダメなんだよお前は、どうせ逃げ出したんだからと、誰に言われるでもなく思う日もあった。
2,3ヶ月前、当時パワハラに遭っていたときの様子を知る友人2人と飲みに行く機会があった。
流れで、たまたま僕が受けたパワハラが、話題に上がった。
今となっては笑い話だ。
飯が食えずに痩せてしまって死神のような顔をしていた当時の僕を思い出して、ゲラゲラ笑いながら酒を飲んだ。
そこで僕は、少し自虐的になってこんなことを言った。
「まあ、逃げちゃったよね。今年また転職して、この歳で4社目だし。オレも我慢が足りてなかったわ」
逃げちゃったんだね、と言った友人の顔が頭に浮かんでいた。
すると2人は、声を揃えて言ってくれた。
「いや、逃げたんじゃないでしょ」
「うん、むしろよく耐えたじゃん」
あー、たった数ヶ月でも耐えたってことになるなかなあと内心思ったけど、更に続けてくれた。
「ポジションとかも上がってるんだし、どんどん良くなってるじゃん。別に何社目とかどうでもいいでしょ」
でもあの時のお前はすごく笑えたよ、とその後もお酒を飲み続けて、その日は久しぶりに二日酔いになった。
人によって捉え方は全然違うし、寄り添い方も違うもんだなあと思ったけど、純粋にすごく嬉しかった。
それはずっと欲しかった言葉だった。
僕はこれで生きていける、もう大丈夫だ、そんなふうに思えた。
この前、益田ミリさんの「すーちゃんの恋」という漫画を読み返した。
長く勤めたカフェを色々あって辞めて、幼稚園で給食を作る仕事に就いた主人公のすーちゃんが、新しい職場で出会ったベテランのみどり先生に、思わず本音を溢すシーンがある。
でもわたし前の職場では半分逃げ出したようなもんですから
そう言ったすーちゃんを、みどり先生はしっかりと肯定してあげた上でこう話す。
「逃げ出した」なんて言葉にしばられず
そのまま受けとめればいいの
「逃げた」じゃなくて「辞めた」
それだけのことよ
あらためて僕は実感した。
言葉というものは、幸か不幸か、人の認識だったり行動だったりに影響を与える、強い力がある。
だから、ふとした一言に傷付くこともあれば、逆に救われることもある。
人を生かすことも、殺すこともできる。
これから先も、生きている時間が長くなればなるほど、たくさんの言葉と出会うはずだ。
そこには喜びも悲しみも、いろんな感情が湧くものがあるとは思うけれど、できれば僕は生きる力になるようなパワーを持った言葉とたくさん出会いたい。
そうするためにも、まずは身の回りの大切な人たちの生きる力になるような、前向きな言葉を掛けられたら良いなと思う。
居酒屋で2人の友人が掛けてくれたように、みどり先生がすーちゃんに掛けたように。
まずはお返しするところから。
気を衒った言葉じゃなくて、ありふれた言葉でも良いから。
人から余計な重荷を降ろせるような、生きるための言葉を伝えられる人でありたい。
ありふれた言葉 / きのこ帝国