崎陽軒の読み方を知ったのは、新木場から帰った18の夜
TwitterあらためXの治安が悪い。
僕がはじめてTwitterに手を出したのは高校を卒業した2010年で、その頃はとてもほのぼのしているSNSだった。
たとえば、朝起きた時に「OCEANLANEの曲みたいな空だ」と呟いたら、会ったこともない人から「私もです!」とリプライが来たり、できたばかりのサッカーチームの公式アカウントをフォローしたらすぐにリフォローしてもらったり、それらが治安の良いエピソードなのかはわからないけれど、とても楽しい世界だった。
今は少し呟くと当たり屋みたいな人に噛みつかれたり、みたくもないツイートが目に入ったり、なんか嫌な世界になってしまった。
それはそれとして、そんなTwitterを始めたての頃の話だ。
大学生になって、僕はライブの派遣スタッフのバイトをはじめた。
そのバイトの現場で何度か会って顔見知りになった新山くんと、相互フォローになった。
新山くんは、地方から大学進学とともに上京して親戚の家に住んでおり、同い年の子だった。
僕と新山くんが、登録制の派遣バイトにもかかわらず、ライブ現場でよく会ったのは似たような仕事を選んでいたからだった。
ライブスタッフの仕事はいくつか種類があった。
ライブ会場の設営や撤去のバイトは時給が良いのだけれど、ライブ開演前や閉演後の早朝・深夜に働くことが多く、ガテン系の仕事なので現場監督に怒鳴り散らされる。心身ともにマジで疲れるのだ。
代々木体育館や味の素スタジアムみたいな大型コンサート会場で怒鳴られまくった経験を何度か経て、この仕事は無理だと悟った。
向いてない。
他にも物販などいくつかの仕事を経て、僕が最も楽で美味しいと感じた仕事は、「場内警備」という仕事だった。
ライブ会場内で、お客さんに異変がないかを注意する、困ってるお客さんを助けてあげる、そんな感じの仕事だ。
当日、集合した時に必ず「君たちはプロのスタッフとして雇われている。だからステージを絶対に見てはいけない。お客さんのことだけを注意して見るように」と口酸っぱく言われた。
僕は、ステージを超見ていた。
お客さんより、視界の良い場所で凝視していた。
周りのバイトに「お前、、」みたいな目で見られても、ライブに釘付けだった。
同じことをしていたのが、新山くんだった。
新山くんと会う現場は、今は無くなってしまった新木場スタジオコーストでのライブが多くて、お互いを認識してからは話をするようになった。
設営や撤去のバイトはマジで無理、場内警備でお金をもらいながらライブを見るのが正解だよね、と答え合わせをしたときはお互いめちゃくちゃ笑った。
とある日、その日もまた新木場スタジオコーストでのライブの現場。
いつも通り僕と新山くんは客席でライブを堪能したあと、休憩時間が被ったので一緒にお弁当とお茶をもらった。
ライブの感想を言い合いながらお弁当を食べ始めると、新山くんが目を輝かせながら「このシウマイ、マジうまい」と言った。
自分でも食べてみるとめちゃくちゃ美味くて、「本当にこのバイト、色んな意味でおいしいね」と僕が言うと、新山くんはゲラゲラと笑った。
家に帰って親に、「サキヨウケンっていう弁当が支給されてクソ美味かった」と話すと、呆れた顔で「それキヨウケンって読むんだよ」と言われた。
新山くんと違って上京組でもなく、東京で生まれ育って横浜にはたくさん行ったことがあるくせに、崎陽軒の読み方を知ったのは、新木場から帰った18の夜だった。
Everlasting Scence / OCEANLANE