目黒駅のホームから見た満天の空
中学3年生の春頃、家から自転車で通える距離にあった、全国展開している学習塾に通いはじめた。
その学習塾では、夏休みが明けて二学期が始まってしばらくすると、同じレベルの志望校を目指す生徒をさまざまな地域の校舎から集めて、特訓クラスが開催された。
特訓クラスが開かれる校舎は目黒で、隔週日曜日に僕は地元を離れて電車で通うことになった。
目黒での授業は、昼過ぎからだった。
顔馴染みのいない教室で僕は人見知りをして、いつも窓際で後ろの方の席を選んで座った。
授業内容はほとんど演習形式で、思っていたよりも簡単な内容だった。地元の校舎で解く問題の方が難しくて、「これ来なくても良かったかも」と思ったけれど、夏休みに自分の部屋で散々サボっていたことを思い返して、できるだけ集中するように頑張った。
授業は夜まで詰め込まめれていたので、とにかくお腹が空いた。
休憩時間になると、母親が握ってくれたおにぎりを休憩時間に頬張った。同じ校舎から同級生の女の子が1人来ていて、よくお菓子をお裾分けしてくれた。
お腹を満たして、次の授業がはじまるまで手持ち無沙汰になると、僕は窓の外をぼーっとみていた。
駅前の少し狭い通りを、人が行き交っている。塾の教室はビルの2階か3階に入っていたから、少しだけ上から見下ろすような感じだった。
受験勉強をしていたときは、受験勉強をしていない人たちのことが、心の底から羨ましかった。自由にテレビを見たり、友だちと遊びに行ったりできるなんて幸せ過ぎるし、何より勉強しなくて良いことが最高だと思った。
だから窓の外を歩く人たちに対して、幼い子どもにも大人にもみんなに対して、すごく嫉妬していた。
授業が終わると、一目散に教室を出た。
駅近の教室だったから、目黒駅には2,3分で着く。
山手線に乗って家に帰る前に、よくアトレに寄り道をした。
目的は、2階にあるHMVだ。
この店舗は、10年前に閉店してしまったらしいが、当時は顕在だった。
CDはまだ元気な時代で、ミリオンセラーという言葉も生きていた。CDをMDやiPodに取り込んで聴くのが当たり前で、サブスクなんて言葉も存在しなかった。
僕はいつも、真っ先に邦楽ロックのコーナーに向かった。
近所のレンタル屋には置いていないようなバンドのラインナップを眺めて、最終的にRADWIMPSの名前を探して、買いもしないのにいくつかシングルやアルバムを手に取って眺めた。
ラッドはその年、「無人島に持って行き忘れた一枚」をリリースし、その後は立て続けにふたりごとや有心論のようなヒット曲をリリースして、すごく勢いがあった。
ただ、まだお茶の間までは届いていなくて、中学生くらいだとクラスにいる音楽好きだけが盛り上がっているような感じだったと記憶している。
携帯に「バンプオブチキン」と打つと「BUMP OF CHICKEN」がサジェストされたけど、「ラッドウィンプス」と打っても「RADWIMPS」は出てこなかった。
僕も盛り上がっていたうちの1人で、友だちからCDを借りてiPodやMDに入れて聴いてはいたけれど、自分でもCDを手元に置きたくて仕方がなくなっているくらいラッドにハマっていた。
でも買う術はないので、いつも一通り眺めたら観念してCDを棚に戻し、駅に向かった。
駅の改札を抜けてエスカレーターを降りる。
ひっきりなしに電車が入っては出て行く山手線だけれど、ホームに着いたときにちょうど電車が出てしまうようなことはよくあって、少しだけ余白の時間が生まれることもある。
電車を待っていると、夜空が見える。
星もない、あったとしても1つか2つ発見できるかできないか。
そんな空だけれど、無性にRADの曲を聴きたくなって、iPodを取り出して再生する。
「満天の空に君の声が 響いても良いような綺麗な夜」
安くて音質の悪いイヤフォンから流れる歌い出しに、星の見えない夜空を見上げながらエモーショナルな気分になる。
こんな気持ちになれる音楽って、すごく良いなあ、なんて思うことが、この頃は多かった。自分の人生で、最も心の底から音楽に感動し、嬉しくなったり悲しくなったりしてした時期だ。
しばらくすると、電車がホームに入ってきてしまって、Aメロはすっかり聴こえなくなってしまう。
それでも頭の中ではトレモロが鳴り続けていて、目黒駅には満天の空が広がっていた。
トレモロ / RADWIMPS
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