見出し画像

自分の考えに自信がなくなった日

2014年4月16日。それは私にとって運命の日だった。
某出版社から採用の可否の通知を受け取る日だった。
2000~3000人受けたと言われる受験生の中から最終面接に進めたのは12人。
最終面接でさらに絞られるという。
最終面接に受かれば、私の就職活動は晴れて終わりとなる。
ただその日、私の携帯電話は鳴ることがなかった。

最終面接に進む前の面接は絶望的だった。

「きみさ、うちが最近出した村上春樹の〇〇って読んだの?」
「いや・・・すみません。実は読んでいなくて」
「も〜〜〜だめでしょ〜〜。なんで読まなかったんだよ」
「もちろん知っていますよ!でも部活で忙しくしているのもあって」
「部活?」
「はい。実は・・・」

その出版社が出した村上春樹の新作を読んでいるか尋ねられた時、”終わった”と思った。
私は出版社に就職しようと思っているのに部活ばかりやっていて、主に読んでいたのは雑誌や漫画。小説の編集もやりたいとかなんとかエントリーシートに書いているのに、小説に関する知識が非常に浅かったのだ。
面接では、就職活動の面倒をみてくれていた大学の教授に「雑誌記者になりたいということで押せ!」と言われたことを貫き、冷や汗びっしょりで終えた。

この面接と同じ日にあったグループワークでは「日本の現代名作10選」を選んでくださいと課題を出された。まどみちおさんが亡くなったばかりだったので、話題性だけでまどみちお作品を入れた方が良いと言い張り、グループワークで一緒だった同級生に白い目で見られていた。滑ったなと思っていた。

なんとかグループワークも面接も愛嬌で乗り切ったものの、確実に落ちたなと思った。帰りにその村上春樹の新作を買おうか迷ったが辞めた。
だって落ちたのだから。


だけど、予想に反して「最終面接に来てください」と連絡があった。
一瞬何がなんだかわからなかったが、すぐに嬉しさが込み上げ、胸が躍った。
もしかしたら夢だった出版社に就職できるかもしれないと。
でも、実はずっともやもやと自分の中で割り切れない思いが溜まっていた。

それは出版社でやりたいことを聞かれたときに、「雑誌記者になりたい」としか言っていなかったことだ。
私は同時並行で新聞社の記者職の面接も受けていたが、そちらの職業は全く偽らざる思いだった。LGBTなど性的少数者の取材や震災、人権問題など、どういうことがやりたいか明確に言えていた。

ただ、雑誌記者となると、もちろん取材をすることはあるが、芸能人の不倫とか新聞社がニュースにしているものを少し角度を変えたエンタメ記事が大半だ。また、記者と言っても自分で書くことよりも編集者的な立場としてライターを使う立場になることが多い。「それって自分で書けないし、面白いことだけど社会的に意味のある記事なのか」とずっと悩んでいた。でも、就活ではそれらがやりたいと言っていた。

私はある賭けをすることにした。
それは、出版社の最終面接で「雑誌記者になりたい」ということに加え、新聞社の面接でも言っていた「LGBTなど性的少数者の取材がしたい」ということを伝えることだった。当時は考えがあったとか、戦略的にこういう風に伝えようとかは無策だった。「とにかく本当にやりたいことを伝えなくてはいけない」と馬鹿正直な部分が頭を出してしまった。

最終面接当日。
部屋に入ると、コの字型の机に役員が12人座っていた。
面食らった。緊張度合いがかなり増した。
席に座ると目の前に社長が座っている。
そして面接が始まると社長が口を開く。
「うちの会社で何がやりたいの?」

そこで雑誌記者になりたいこと、そしてLGBTなど性的少数者の取材をしたいことを告げた。
これまでの面接でもそれとなく伝えてはいたが、かなり詳しく伝えたのはこれが初めてだった。
社長ら役員は特に顔色変えず聞き、時折手元にある履歴書なのかメモなのかに目を落としていた。
私から見て左側にいた役員が聞いてきた。

「〇〇って有名人がアメリカの有名なゲイタウンにマンションを買ったという記事があったでしょ。読んだ?」
「読みました」
「あれ、絶対に出さないでくれって泣きついてきたらどうする?」

下品でくだらない最低な質問だと思った。
明らかに顔が引き攣っていたかと思うが、真剣にその場で考えていた。

「うーん・・・何度も何度も当人に交渉はすると思います。事実であれば。ただ当人の意思や意向もあることでしょうから、難しいですね」
「でも上司は載せろといったら?」
「とにかく交渉をし続けます」

役員は「ふーん」といいながらふと笑った。
そして社長が続ける。
「石垣島に住んでいたってことだけど三線とか弾けるの?」

私はここで確実にこの出版社の扉が閉じたことを感じた。
「三線とか弾けるの?」の意味はいまだにわからないし、それに返答した自分が明らかに空転していることも答えながらわかった。
その後、何をいったか、質問されたかも覚えていない。

落ちたという実感を持ちながら帰っているときに考えた。
「ゲイタウンにマンションを買ったことを載せないでと言われたらどうする?」という質問にどう答えればよかったのか。
多分、「面白くて事実なら載せます」と言えばよかったのだと思う。
その雑誌を読んでいて、その精神は随所に見られる。そしてその姿勢をすごい、面白いと思えることが何度もある。

ただ、当時も今も、その性的指向や性自認に関わる部分は、いまだに「面白いから」という理由で扱うことに強い抵抗がある。そんな扱いをしていいものではない。でも、社会で生きていくためなら、その考えをひとまず横に置いておくしかなかったのだろうか。
私が思い切ってLGBTなど性的少数者の取材がやりたいことを伝えた日にかぎって、その分野に関して傷つく返答がきたことにかなりのショックを受けてしまった。

その後、実は他の出版社の面接でもLGBTなど性的少数者のことを取材したいと熱弁した回で不採用を告げられた。そういえば、転職活動の時もLGBTなど性的少数者にまつわる企画のことを告げたときに面接官がかなり冷淡な反応をしてきて、頭にきたことがあったっけ。



本当は考えたくなかったからあまり言葉に口にしていなかったのだが、今回は書く。

就職活動などでLGBTなど性的少数者のことを口にしたときに、無碍に扱われた経験があるために、かなり臆病になっているところがある。受け入れてくれた友達や企業の数の方が多くても、圧倒的に傷となってしまった1回の経験が大きくフラッシュバックしてしまうのだ。
そして、今はカミングアウトもだいぶできるようになってきたが、いまだに怖くて怖くて仕方がない。

もし差別を受けたら。
何か不当な扱いを受けたら。
奇妙だと思われたら。

さらに、私は同じセクシュアリティーの人たちだけで集まるみたいなこともしたくないから厄介なのだ。
どんな人でも仲良くなれると思っているし、それを決して諦めたくない。
だから辛くても何度も繰り返し社会に出ているのだ。

ただ、そろそろ疲れたな、と最近は思ってしまっている。
気持ちのバランスをどう取っていくかが、もしかしたら30歳になった今の私が模索していく道なのかもしれない。

滅入った。
困った。
参った。

そんな気持ちを「良かった」にできるように。
今日も社会で立ち上がるしかないのだ。


<環プロフィール> Twitterアカウント:@slowheights_oli
▽東京生まれ東京育ち。都立高校、私大を経て新聞社に入社。その後シェアハウスの運営会社に転職。▽9月生まれの乙女座。しいたけ占いはチェック済。▽身長170㌢、体重60㌔という標準オブ標準の体型。小学校で野球、中学高校大学でバレーボール。友人らに試合を見に来てもらうことが苦手だった。「獲物を捕らえるみたいな顔しているし、一人だけ動きが機敏すぎて本当に怖い」(美香談)という自覚があったから。▽太は、私が尖って友達ができなかった大学時代に初めて心の底から仲良くなれた友達。一緒に人の気持ちを揺さぶる活動がしたいと思っている。▽好きな作家は辻村深月



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?