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練馬ICを降りて道を間違える
東京で車を運転するのが苦手だ。異様に多い車の数、それゆえに極端に狭い車間距離。車線は3も4もあり、右折専用、直進専用、左折専用など用途が限られてる場合も多いと思う。事前に知らなければ通行できないのでは?と思うことがしばしばある。
私は2013年に石垣島で車の免許をとった。島内には高速道路がなく、車線も2車線までだったと思う。そこで一年ほど生活していたので、ごみごみと人の多い中で車を運転した経験がなかった。
その後2015年に社会人になり、毎日車を運転するようになったが、そこは茨城だった。運転が荒い人が多かったものの、道は広いし、車線も多くて3つほど。渋滞は嫌だったが、まあ耐えられた。
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社会人になり自家用車を持つようになって、車で東京の実家に帰ってみることにした。2時間半くらいのドライブはちょうどよく、楽しみだなーくらいに考えていた。
しかし、東京に入ると状況はいっぺんした。トラックも乗用車もたくさん走り、車線変更したいのに後続車が近すぎて怖い。とりあえず一番左の車線を走っていたら左折専用だったりして、なかなか目的地に辿り着くことができない。トイレに行きたいと思ってもなかなかコンビニなどが見つからず、とにかく嫌になった。へとへとになって実家に着いたが、疲労感だけしか残らなかった。
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後日、群馬にある実家に、家族と車で行くことになった。父が運転する車に乗って行ったが、帰りは私が運転する流れになった。嫌だと言い続けていたが、なんだか父や母が私の運転する車に乗りたいみたいな空気も感じ、渋々運転することにした。
練馬ICを降りた時、苦手な状況が訪れる。大量の車、よくわからない車線、予期せぬ渋滞。慌てていると父が笑う。そして案の定、車線を間違えて家とは違う方向へと進んだ。
「ははは、でも、大丈夫だよ。いつか家につくから」
父親にそう言われた時に肩の力が抜けた気がした。家族とのドライブを楽しむほどの余裕はなかったが、「まあなんとかなるか」とゆったりとした気持ちになれた。
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振り返ると、社会人になってから誰かに無条件で許されることがほとんどなかった気がした。
仕事でミスをしたら、改善策の提示や行動の変化を求められる。
迷惑をかけたら、「謝られても取り返しつかないから」という具合で、許されるというより諦められる。
もし気づかずにやっていたことがあったら、指摘されて怒られる。
そんな具合だった。
一般的には許されているのかもしれないが、中身を細かくみると諦めや怒りの気持ちを向けられ、それがいつか忘れられているというものだった。
ただ、父親の言葉や態度は完全なる許しだったように思う。本当に気にしてない様子だった。許してもらえることが、本当に気持ちを楽にしてくれるなと感じた。
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仕事に戻って上司や取引先などをよくよく観察すると、実はこうして全面的に許してくれる人もいた。怒ったり、指摘したりした後でも、「でもまあ、実際そんな大事じゃないし、きっと君ならいつかわかるから」ってな具合にだ。
そしてそういう人は周りから信頼を置かれ、どこまでも自分の仕事に没頭できる素質があるように思えた。
父も職場ではそんな一面があるのかなと思う。もちろん、父の言動と一緒に笑っていた母もそうだ。そんな人が家族でよかったな。
僕も人を安心させられるほど、許すという行為ができる人になるだろうか。