鮫洲駅の停車時間のような日々で
鮫洲駅と聞いて多くの人が連想するのは、教習所か、または京急線の停車時間なのではないないだろうか?
各駅停車しか泊まらない鮫洲駅は、急行の時間調整のために、長めの停車時間がある。
小さい頃、横浜方面から家に帰るとき、または向かう時に鮫洲で電車が停まると、少しイライラした。
早く家に帰りたいのに。目的地に行きたいのに。電車の中で退屈しているのに。
止まっている時間以上に、長く感じたものだった。
しかし大人になってからは不思議なもので、たまに鮫洲駅の停車時間に直面する機会があってもイライラしなくなった。
最近はその機会が少なくなったということもあり、その時間を過ごすときには懐かしさも込み上げてくる。
歳を重ねれば重ねるほど、あんまり急いでも仕方ないよなあ、なんて人生観になってきたからこそ、なのかもしれない。
天の邪鬼なので、タイパがどうのこうのとかいうのに逆行したい気持ちもある。
電車が動くまでの時間ぐらい、スマホも触らず何もせずに待ってやるよ、と。
そんな鮫洲駅の停車時間のことを書こうと思ったのは、いま新生児の息子と過ごしているからだ。
生まれたばかりの赤ん坊と一緒にいると、ただ電車が動くのを待つような、そんな時間が溢れている。
なかなか寝ずにぐずっているのをあやしながら待つ明け方、台所で哺乳瓶を消毒する電子レンジが止まるのを待つ真夜中、仕事終わりに寝顔が少しずつ変化するのをただただ見つめる夕方。
何かを待つだけの時間というのは、なんて贅沢なものなのだろう。
仕事でも日常生活でも、早く進め、早く決めろと急かされてばかりだからこそ。
鮫洲駅の停車時間のような日々を、抱きしめながら噛み締めながら生きていたい。
Blue Hour / Homecomings
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