敷居が高かった学芸大学が一気に身近になった喫茶店
都内の東横線沿線の駅は、遊びに行くことはあっても、住むには敷居が高い。
東京で生まれ育ちながらも、いや生まれ育ったからこそ、そんな風に感じ続けている。
代官山、中目黒、祐天寺、学芸大学、都立大学、自由が丘、田園調布。
自分の経済力的にそれらの街に住むのはハードルが高いというのが前提にありつつ、それを差し引いて考えても、自分ごときが住むのは烏滸がましいという気分になってしまうのだ。
僕が生まれ育った場所は、年に一回のお祭りを楽しみに生きていて、肩に大きな神輿こぶのあるおじさんたちが闊歩しているような下町だった。
小さい頃からゴリゴリの下町ヤンキーがいる環境で緊張感を持ちながら育った身としては、洗練されたカルチャーがあって、街を歩く人が洒落ていて、かつファミリー層も安心して暮らせるような治安の良さがある街には、安心感とともに少しの居心地の悪さも感じてしまうのだ。
すごく楽しいけれど、この街で暮らしている人たちのように完全に溶け込むことはできないだろうなあ、と。
そしてそう実感する場所は、その街にある個人経営の飲食店かもしれない。
お洒落で歴史を感じるお店も多くて、敷居が高く感じてしまうのだ。
今年の初夏、学芸大学の喫茶店「平均律」というお店に行った。
次の用事までの暇つぶしでたまたま降りた学芸大学。
少し調べてからお店に辿り着いた僕は、カウンター席でコーヒーを飲みながら小説をパラパラと読んだ。
レトロな喫茶店も、そこで読書することも、僕はすごく好きなので、この日もとても居心地が良かった。平均律は完璧な場所に感じた。
ただ、店主がカウンター席に座っていた上品な貴婦人の常連客と静かに談笑している様子を横目に見ていると、「自分はあの中に入ることはできないんだろうなあ」「あの常連客の方みたいにはなれないんだろうなあ」と、この日もそんな気持ちになっていた。
店主も常連客もすごくお洒落で落ち着いていて、やはり敷居が高い。
コーヒーを飲み終えたので店を出ようとして、トートバックの中身を見ると、やってしまったことに気づいた。
財布がない。
個人の喫茶店は現金のみしか使えないケースが多いよなあと思いつつも、ダメもとで「この店、キャッシュレス使えたりします?」と店主に尋ねてみると案の定、やはり現金だけということだった。
次の用事が少し離れた場所であること、また家も少し離れているので、連絡先を渡しつつ口座振込させてもらえないかと聞くと、
「うちのお客さん、良い人ばっかりだから。あなたのこと多分覚えているし、今度来た時で良いよ。だから連絡先とかもいらない」
と笑顔で言ってもらえた。すごく恐縮してお言葉に甘えさせてもらうことにした。
店主の言った「うちのお客さん」に、僕を含めてくれていたのが、すごく嬉しかった。
そりゃそうだろうという話ではあるけれど、仲間に入れてもらえた、認めてもらえた気がしたのだ。
一方で、一回来ただけの僕の顔をたぶん覚えているだろうと言ったことに、やはり敷居の高さも感じていた。
学芸大学の喫茶店は、やはり油断できない。なんかすごいのだ。
それから日を置いて、お金を返しに行った。
ちょっと緊張しながら、お店の中に入った。
店主は店に入った僕の顔を見ても「あ、この前お金を忘れた人だよね?」とは言わなかった。
「たぶん覚えてる」と言ってくれたものの、僕の顔を忘れてしまっている可能性もあるかと思って、前回と同じカウンター席に座った。注文も前回と同じで、アイスコーヒーにした。
前回と同じ行動をとると、思い出してくれるかもしれない。ただ、その後にコーヒーを運んでもらった時にも特に話しかけられなかった。
これは忘れられてるのではないか。
いや、でもおそらく気づいているのだろうと思った。
ただ、このタイミングで言うと僕がくつろげないから、会計のタイミングに話そうとされているのだろうと。
ふむふむと思って店主をみると、この日もカウンター席にいた常連客と世間話をしていた。
コーヒーを飲み終えて、会計をした。
しかし、店主は今回の金額だけを請求した。
僕はその場で、前回の支払いをツケさせてもらった旨を伝えた。
すると店主は「え、そうなの?全然覚えてなかった!」と笑って、ラッキー!と言いながらお金を受け取ってくれた。
常連客はその一連のやり取りを見て笑っていて、僕も笑ってしまった。
全く覚えていなかったのだ。
敷居が高いと感じていた学芸大学が、一気に身近になった瞬間だった。
あまり行かない喫茶店で / never young beach
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