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ボードゲームは学びになるか(1)

さて、遊びや学びなどについて考察を続けていますが、その発端となった疑問のひとつが「ボードゲームは学びになるのか」という問いです。

ボードゲームが好きな人、ゲームを使った知育活動を推進している人の間では「ボードゲームは知育になる、学びになる」という言説が有力に見えます。また、ボードゲームに限らず「すべての遊びは学びになる」と考える人もいますし、もっと突っ込んで「人生における活動はすべて何らかの学びがある」という主張をする人もいます。

最初に断っておくと、私もボードゲームはその扱い方によっては学びにつながるものが多いと思っています。しかし、知育ボードゲームの中にはそのゲームに含まれる要素を列挙して「〇〇力がつくゲーム」とうたっているものもありますがその力がつくのかどうかは定かではありません。そして、その看板に対して誰も何も言えません。例えば以下のような言葉が知育ボードゲームのパッケージにはよく見られます。

  • 論理的思考が身につく

  • 記憶力を育てる

  • 判断力がつく

  • 社交性が身につく

  • 発想力を育む

これを見ればボードゲームや知育ゲームをしていればさまざまな能力が育まれる万能なツールのように見えますが、実際にその力がつくかどうかは未知数です。ゲームメーカーに対してその力がつくことを保証しろと言いたいわけではなく、そもそもそのゲームにその力がつく要素があるとどうして言えるのかを説明してほしいのです。おそらく誰も説明できないでしょう。

そのボードゲームを作った人が主張している学びの効能に対して、誰も是とも非とも言えない。それはボードゲームに学びはあるのか、あるとすればそれは何か、そしてそれをどのように判断すればいいのかといったことが私の知る限り研究されておらず、また体系化もされていないからです。

私が試みたいのは、ボードゲームは学びがあるのか、あるのであればそれはどのような学びか、そして、その学びの程度は数値化できるものなのか(非認知能力なので数値化は無理では?という事も考慮しながら)という事を解き明かすことです。

現状はゲームを作った人、作った会社が「これは知育である」「子供の学びになる」「〇〇力がつく」ということを言いたい放題です。今のところこの状況を悪用して、子育てを頑張る親をだますようなゲームや会社はありませんが、ボードゲームの効能が野放しの状況が続けば「知育をうたうボードゲームはどうも胡散臭い」という評価もつきかねません。

ボードゲームの学びについて整理し、体系化し、なんらかの基準を見つけることができたならばそれはボードゲームの業界にとってプラスになることだと思っています。

さて、この課題に取り組むにあたってまず固めておくべき基盤の一つは「そもそも学びとは何か」です。これだけでも本が出版されるほどのテーマですが、次回はまずはそこから固めていきたいと思います。

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