【古陶磁の逸話⑤:小堀遠州と備前焼】小堀遠州が、茶会で使った備前焼を徹底検証!寛永期の古備前焼と「きれいさび」の創始者小堀遠州にまつわる逸話を古陶磁鑑定美術館が解説!
こんにちは、古備前研究・鑑定の古陶磁鑑定美術館です。
古陶磁鑑定美術館では、古備前焼を中心とした日本の古陶磁器の研究・調査・鑑定・評価・蒐集・保存・継承の事業を行っています。
みなさんは、『古美術品』という言葉を聞いた時に、どんなことをイメージしますか?
古い壺や掛け軸や茶道具などを大金で取引しているような風景を想像される方もいるでしょうし、美術館や博物館に陳列されている優雅な屏風や襖などをイメージされる方もいるでしょう。
それらの古美術品に共通することが、作品の『時代背景』です。
もちろん、作品によって、作られた時代や産地や用途が異なりますので、それぞれの時代背景は別々なものですが、どんなものであっても、『作られた当時』の景色を面影として残しているという点では、古美術品は同じと言えます。
そして、この「時代背景を愉しむ」ことこそ、古美術品の醍醐味であり、数寄の真髄なのです。
なぜなら、古美術品を通して「悠久の時間を超えて歴史の当時に思いを馳せられる」ことこそが、数寄者の最大の面白みであり、悦びだからです。
とは言え、それを言葉で説明してもイメージが湧きにくいかと思います。そのため、このコラムシリーズにて、古美術品が「現役」で使われていた時代の風景を紹介して参ります。
具体的には、主に「戦国時代(安土・桃山時代~江戸時代)」にかけての、茶の湯や茶会の記録や、大名や武将の逸話をベースに、当時の古陶磁や古備前焼についてのエピソードを解説します。
古美術品や骨董品に興味がある方は、ぜひこのコラムで、歴史の面影を感じてみましょう。
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今回ピックアップする逸話は、「小堀遠州と備前焼」です。
【コラム①:「豊臣秀吉と備前焼」を読んでいない方はこちら】
【コラム②:「千利休と備前焼」を読んでいない方はこちら】
【コラム③:「明智光秀と備前焼」を読んでいない方はこちら】
【コラム④:「古田織部と備前焼」を読んでいない方はこちら】
小堀遠州と言えば、古田織部の弟子で、「きれいさび」と呼ばれた、江戸時代初期の寛永文化を担った大名茶人です。
織部没後の徳川将軍家の茶道指南役であり、「遠州流」という茶道の流派の創始者でもあります。
小堀遠州が好んだ茶道具や様式は、「遠州好み」と称されました。遠州好みの作風は、それ以前の「織部好み・織部様式」とは一転し、優雅な宮廷式の意匠性が特徴的です。
小堀遠州は、高取焼、丹波焼、膳所焼、志戸呂焼、朝日焼、赤膚焼、古曽部焼、上野焼の7つの窯場を指導し、「遠州好みの茶道具」を焼かせたことが伝わっています。
また、「中興名物」と呼ばれる名物群を選定し、茶道具の価値向上に努めるなど、江戸時代初期の茶の湯の発展に尽力しました。
今回は、そんな小堀遠州が茶会で使った「備前焼」をピックアップしてみました。
小堀遠州は、上記の遠州七窯以外の焼き物にも影響を与えていました。その一つが、備前焼なのです。
無釉焼き締め陶の備前焼に、瀟洒で優雅なイメージをもたらした遠州の生き様を、当時の茶会記の記録から検証してみましょう。
【建水】
1643年 5月 江戸 水滴 備前(3回)
1643年 6月 江戸 水滴 備前
1643年 7月 江戸 水滴 備前
1643年 8月 江戸 水滴 備前(2回)
1643年 9月 江戸 水滴 備前
1643年12月 江戸 水滴 備前
1644年 1月 江戸 こほし物 平 古備前(5回)※古備前
1644年 2月 江戸 こほし物 古備前(2回)
【水指】
1599年 2月 伏見 備前水指
1628年 6月 京都 水さし 備前焼(2回)
1630年10月 伏見 水指 備前焼 姥口(2回)※姥口型
1630年11月 伏見 水指 備前焼 鞠成(3回)※鞠成型
1631年 2月 伏見 水指 備前焼
1631年 4月 伏見 水指 備前焼
1633年 6月 伏見 水指 備前焼
1637年12月 伏見 水指 古備前焼(2回)
1638年 1月 伏見 水指 備前焼
1638年 3月 伏見 水指 備前焼
1638年12月 江戸 水指 備前(2回)
1639年 1月 江戸 水指 備前(14回)
1639年 2月 江戸 水指 備前(13回)
1639年 3月 江戸 水指 備前(3回)
【花入】
1628年 5月 京都 備前花入 川骨入
1630年11月 伏見 花入 備前焼 りうこ ※立鼓型
【茶入】
1601年11月 伏見 備前カタツキ、白地金欄袋、緒ムラサキ
小堀遠州は、茶会記を見ても分かる通り、主に「寛永期」に備前焼を多用しています。
この期は、慶長から元和年間まで続いた織部様式から、寛永文化(遠州好み)の様式へと流行が移り変わった時期です。
備前焼では、塗り土を用いた「伊部手」と呼ばれる様式が開発されたましたが、その様相は、茶会記の「表記」から窺い知ることができます。
まず、「古備前」という記録ですが、これは備前焼と古備前焼とを区別する必要があったことを示唆しています。
すなわち、今(寛永期頃)の備前焼に対して、「古い」備前焼ということですから、古備前とは、寛永期以前の備前焼=利休、織部時代の備前焼と推測することができます。
また、「姥口・鞠成」などの水指の形を示した表記からは、当時の流行の意匠性が伺えます。これらの姿形は、従前の筒型・三角型とは異なる表記ですから、新しい形(寛永様式)の造形と判断できるのです。
それ以外では、「菱・四角・手桶」型の表記が残っています。烏帽子水指と呼ばれている「ひし形」の造形は、特に有名な作風です。
これらの様式は、現代まで伝来している古備前焼の作風から、いわゆる「初期伊部手」の様式でしょう。
小堀遠州が「伊部手」を指導したという伝承は、茶会記を見ても概ね正しいと考えられます。
つまり、安土桃山時代から江戸時代にかけての備前焼の流行は、「利休→織部→遠州」がそれぞれ好みの様式を指導(提唱)し、ブームが形成されたのです。
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このような「時代背景」を知っていると、当時の大名や武将を身近に感じたり、歴史の遺物(伝来品)に愛着を感じたりできるようになります。
そんな、安土・桃山時代~江戸時代にかけての備前焼を通じて、小堀遠州が生きた戦国時代に思いを馳せて見ませんか?
古陶磁鑑定美術館のホームページでは、書籍「古備前焼の年代鑑定」の出版記念展覧会として、小堀遠州が生きた安土・桃山時代から江戸時代にかけての古備前焼の名品を、オンラインで特別に公開中です。
戦国時代の茶人や大名は、一体どんな備前焼茶道具を使って、茶の湯を行っていたのか?
その答えを、実際の「伝来品」を通じてみることができます。
ぜひ、ホームページをご覧ください。また、書籍「古備前焼の年代鑑定」を宜しくお願い致します。
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